第九話「死体遺棄事件」
フェイボック家の、アリスとアガサとアモンが、食卓を囲んでいる。
彼等のテーブルには、パンと、少量の野菜料理と、大量の肉料理が並んでいた。大皿に盛り付けられたご馳走は、目も楽しませてくれる。
アリスは、アガサの料理上手を褒めた。アガサは、「誉め言葉」に笑顔で応じて、ボトルを持ってくると、アリスのグラスにワインを注いだ。
「大したサービスだ」と、アリスは満足そうに言う。
点けっぱなしにしていたテレビジョンから、臨時ニュースの放送音が流れた。
フェイボック一家が住んでいる土地の近くには、大きな運河が流れている。通称はミルドレイク河と呼ばれていた。今朝、散歩をしていた住民が、「河に複数のビニール袋が浮いている」事に気付いた。
環境保全委員会に連絡を入れて、ビニール袋を回収してもらった所、その中には、腐乱した「人体の一部」が入っていたのだと言う。
驚いた第一発見者と、環境委員会の者達は、治安保全委員会に通報した。
治安委員会が調べた所、河底にはまだ複数のビニール袋が沈んでいた。石を重りにし、簡単に浮かび上がらないようにしてあったそうだ。
「不気味な話だ」と呟くアリスの横で、アモンは臨時ニュースの画面をじっと見ていた。
その日の勉強の時間。アモンは家庭教師に聞いてみた。
「先生は、殺人事件があったらびっくりする?」
その質問に、教師は答える。
「そうですね。世の中で『規律』とされている事が破られたら、驚きますね」
「人間を殺しちゃいけないって言う『規律』はあるの?」
「勿論です。人間は法律で守られているんですよ」
「じゃぁ、動物は?」
生徒の質問に、教師は腕を組んだ。
「そうですね。世の中には、『動物を虐待から救おう』と言う働きかけをする委員会もありますから、高い確率で彼等も守られるでしょう」
「その確率ってどのくらい? 五十パーセントより上?」
「それは私の宿題にさせて下さい。それより、なんでそんな事に興味が?」
「ミルドレイク河の『死体遺棄事件』は、知ってる?」
「今朝の放送で知りましたよ。大変な事件のようですね」
「最近、よく分かんないんだ」
アモンがそこまで行ったときに、ドアがノックされ、アガサの声がした。
「アモン。ギニア先生。お茶が入りましたよ」
「おや。難しい考え事は、後にしたほうが良さそうだ」
先生はそう言って、アガサがワゴンを押してくるのを手伝った。
「ミルドレイク河 死体遺棄事件」のニュースは、次の日も続いた。
バラバラにされていた人間の体をつなぎ合わせると、少なくとも六名の人物が、何者かの手により殺されている事が分かった。
どの遺体も、腹部と両脚が見つからず、見つかったとしても、鳥か魚がついばんだように表皮が爛れていたと言う。
「大変な事になった」と、地上の治安保全委員会の会長と、環境保全委員会の会長が、同じ会議室で話し合っていた。
治安委員会の会長が言う。
「死体遺棄の犠牲になった者達は、みんな登録者だ。血液型鑑定、遺伝子鑑定、歯型鑑定、全てに『登録』されている者だけだ。年齢も、老衰するには遠い」
その言葉に、環境委員会の会長は尋ねた。
「理由は分かっているのか?」
その声に、治安委員の会長は、両手で頭を押さえた。
「分からない事にしておきたかった。あの爛れた歯型さえ、見なければね」
「あの爛れは、歯型だったか……」
会長達の言葉に、同席していた秘書達は、提出された遺体の写真を注視した。人間の歯型では無い。
呻くように、治安委員会の会長は言う。
「何かが起こっている。だが、我々は、それを信じたくない」
「スオウ。現実を否定してはいけないよ」と、環境委員会の会長は助言する。「可能性があるなら、探し出して、一刻も早く止めるんだ」
「ああ。ああ……。そうだな」と、治安委員会の会長スオウ氏は、崩れかかっていた心を立て直した。
休憩時間の間、アニタは濃い紅茶を飲んで、眠気を覚ましていた。
「今日は眠らないの?」と、作業を見学していたアモンが、何時もアニタが眠っている干し草を横に、毛布を叩きながら問う。
「ええ」と答えてから、アニタはアモンには、この返事だけだと通じないと気づいて、付け加えた。「ここの所、ずっと眠ってばかりいたから」
そう言って、優美なデザインのカップを、ワゴンの上に置く。
「そう……」と、呟くアモンは、少し残念そうだ。
「アモン。やっぱり此処に居たね」と、家屋と倉庫をつなぐ入り口から、アリスの声が聞こえてきた。「先生が来るから、勉強部屋に居なきゃだめだって言っただろう?」
「なんで、毎日『お勉強』をしなきゃならないの?」と、アモンは文句を言う。「遊んでるほうが良い。体を動かしていたほうが、健康にも良いでしょ? 部屋に閉じこもって本を読むだけなんて……」
「本を読むだけじゃないよ」と、アリスは子供を励ます。「先生から質問を受けたり、逆に先生に質問したり、普段不思議だと思う事を解決する、大変有意義な時間じゃないか。それが、勉強の時間なんだ」
それを聞くと、アモンはツンッと横を向いた。
「話し相手が『先生』だけなんて、つまんない。それに、先生の知ってるほとんどの事は、私も、もう知ってるもの」
「そう言うなら、もっと難しいカリキュラムを組もう」と、アリスは言い出す。「ちょっと考えただけでは、答えに辿り着けないような、謎々を用意しよう。これでどうだい? 勉強する気になった?」
むっとした顔をして、アモンは答えた。
「大昔の偉人が、『絶対に解けない』って言って残した数学だったら、願い下げ。あれって、どう解いても矛盾があるんだもん。最初から『ぐちゃぐちゃのもの』を、『答えのない謎々』だなんて言っても、騙されないからね!」
我儘を言う子供に、アリスは困り切ってしまった。その背後から、アガサに連れられたギニア先生が、倉庫に入って来た。
干し草の上に居たアモンは、流石に教師の登場にはびっくりした。
ギニア先生は呼びかけて来る。
「アモン。昨日、君が言っていた、『五十パーセントかどうか』について、答えに成る事を調べてきたよ。その結果について、話し合おうじゃないか」
アモンはそれを聞くと、すごく恥ずかしい事を言われた気がした。
特に、アニタには聞かせたくないくらい、恥ずかしい。
「わ……分かった。今、お部屋に行くから」と言って、ぎくしゃくと干し草の上から降りた。
倉庫から離れる廊下の途中で、「五十パーセントって何ですか?」と、アガサが聞いてしまった。
ギニア先生は、アモンの方をちらと見てから、「ちょっとした社会の勉強です。この世界のどの国の人口のうち、何パーセントがどんな人種か、とかね」と答えた。
さらりと穏やかな嘘を吐いてくれた家庭教師の機転の良さに、アモンは「確かにこの大人は、他の大人より頭が良いのかもしれない」と思っていた。
勉強部屋に連れられて行ったアモンの目の前に、教師は新聞を広げた。
「難しい文字は一緒に読みましょう」と言って、まずは先日から騒がれている「死体遺棄事件」の、現在の情報を読み込む。
「此処にも一文で書いてありますが、発見された人間達は、全員『登録者』でした。この世界では、『登録者』を殺す事は許されていません。ですが、人間は『突然体がバラバラに成って』死んだりはしません。つまり、この事件は、違法な犯罪なのです」
教師の言葉を聞いて、アモンは一つ頷いた。
「それなら、なんでこの登録者達は『命を失った』の?」
「法を侵害しようとする、愚かな者達の存在が、この記事から読み取れるのです」
そう言われて、アモンは別の質問をした。
「人間同士が殺し合ったりはしないの?」
「人間と人間を戦わせる……と言う、見世物もありますが。その場合も、スポーツとして成り立たせるための規律が決められています。対戦者の体をバラバラにして良い規律など、聞いた事はありません」
「それじゃぁ、この登録者達が死んだ理由は?」
「誰かが、登録者が法的に守られている者だと、『認識しなくなった』と言う事が考えられます。それで、先日の『動物』の話に移るのですが」
教師は深呼吸をして、新聞を片付けた。続いて、分厚い「動物史」と言う歴史書を取り出す。
「動物達は、昔から虐待の対象でした。ですが、今より、五百年ほど昔に、神を信じる者達の一派で作られた団体が、『動物達にも心があるのだ』と定義し、家畜を含める動物達を、身勝手にいじめたり、殺傷したりしないと言う、『動物愛護法』と言うものを制定しました」
「うん」と、アモンは相槌を打つ。「それから?」
「愛護法で守られるように成った動物達は、一部では人間のような権利を手に入れました。法整備がされてから、彼等を守る専門の委員会も設立されました。それが、『動物安全保全会』と言う委員会です。
彼等の定めた、動物達への『保護』は、このようなものです。
一つ、家畜である動物を殺傷する事は、その仕事を請け負うものだけに許可され、一般民がその仕事に手を染めてはいけない。
二つ、家畜以外の、自宅で飼っている愛玩動物に対しては、愛情をもって接し、家族の一員として受け入れなければならない。彼等が、どのような事態に陥ろうと、彼等を保護する意思を喪失しては成らない。
三つ、家畜が伝染病を媒介してしまう場合、速やかにそれを生業とする者に託し、生命活動を停止させて、大地に埋葬することが義務付けられる」
そこまで説明を終えてから、ギニア先生は歴史書を閉じた。
「この内容から、愛玩動物達は、ほぼ、人間と変わらない確率で守られるでしょう。ですが、家畜は伝染病には気をつけなければならない。それに罹った途端、彼等は命の尊厳を剥奪されて、殺されて埋葬されます。何故なら、医療行為を受けた家畜は、食用には適さなくなるからです」
アモンは、頭の中が冷たくなった気がした。何かがおかしいと言う感覚を覚える。胸に残ったわだかまりは、簡単に消えそうになかった。