表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/27

第六話「青い月」

 手術前、ジニアは美術館に足を運んだ。そこで、「美しい姿」だとされている、人間のあるべき姿をした女性の石膏像や、乾かすと金属に変わる粘土で作った銅像、透明な樹脂を一定の形に固めて着色した彫刻等を目にした。

 絵画の部屋に足を進めると、「企画展」と書かれたポスターが目に入った。赤く焼けている夜空の中に、青い月が燈っている絵だった。

 窓口で買ったチケットを改めると、「企画展示場入場券」も付いている。ポスターの絵に吸い寄せられるように、窓口の係員にチケットを差し出していた。


 幾つかの風景画を眺めて行くうちに、さっきのポスターで観た絵に辿り着いた。

 見上げるほど大きな絵だ。壁の一角を、天井から床まで使っているキャンバスに、赤く焼ける星空と、岩肌のような地面、それから光だけが見える夜景が描きこまれ、天空には、一際大きい青い月が浮かんでいる。

 その月は大気を纏っているらしく、白い雲が存在した。

 余りの迫力に、ジニアは口を閉ざして、巨大な青い月に魅入った。

「すごい」と、感想を呟こうとも思ったが、何故か声が出ない。

 視力が急に鈍ったように、目の焦点を合わせられなくなって行く。

「アニタ・フェイボックの絵です」と、絵の傍らの椅子に座っていた、学芸員と思われる女性が声をかけてくれた。

 ジニアはようやく絵から目をそらし、息を吸う事が出来た。

 心臓が早鐘を打っている。

 今にも吸い込まれそうと言うのは、こう言う事を言うのか、と、ジニアは納得した。

「すごい絵ですね。これは、本物の景色なんですか?」と、小さな声で学芸員に聞くと、「いいえ。アニタは、幻想美術画家として有名な人物です。地上でも、コンクールで賞を取ったりしていらっしゃる方です。この絵も、地上で賞を取ったものの一つですよ?」と教えてくれた。

「へぇ」と、気の抜けた声を返すと、学芸員は自分の仕事を終えたと言う風に、椅子に戻った。


 帰り際。ジニアはミュージアムショップで、今回の企画展の画集を買い、数枚のチラシを手に入れた。アニタの絵を飾る企画展は、この美術館でも年に一回は開催されているらしい。

 寮に戻り、ミュージアムショップの紙袋から、画集を取り出す。

 開いてみると、ページの左側に、企画展で飾られた絵が印刷され、右側に、参加した画家達のポートレートと、簡単な人物紹介がついていた。

 アニタの絵は、探さなくても目立った。

 赤く焼けた夜空に、白い雲の渦を纏った青い月。その周りに燈る、降り注いできそうな夜空の星々と、暗い地上を埋める夜景の星。

 これが、地上の人間が思い描く「幻想」なのか。

 じっくり絵を見つめてから、アニタのポートレートに目を移した。

 敢えて褪せた色で印刷されているポートレートは、彼女の髪と瞳の色の深さを想像させた。

 手元に筆を持ち、緊張しているのか、少し怒ったような無表情をしている。輪郭は比較的丸く、肩の辺りで切りそろえられている髪の毛は、軽くカールがかかっていた。

 美人と言うより、どちらかと言うと可愛らしい。だが、こちらを睨んでいるような表情は、その可愛らしさを否定しようとしている気がした。顔を緊張させていても、その目鼻立ちが整っている事は隠しようがない。

「アニタ・フェイボック」と書かれた紹介文の生年月日を見ると、今年で二十七歳らしい。

 俺より一年年上なのか。地上の人間って言うのは、幼く見えるものなのかな。まぁ、普段から労働なんてしないからか。

 ジニアはそこまで考えて、アニタが労働として絵を描いてるわけではない事に気付いた。

 宇宙プラントで絵を描いている者と言うと、企業に絵を依頼された「イラストレータ」が多い。彼等は仕事のためにデジタル機器を操るが、古典的な画材は使わない。

 画集に添えられた言葉によると、人間が「感覚」を通して描き出す自由絵画は、地上で再び注目を集めている。

 人間の絵の特徴である、「(むら)」や「霊感(インスピレーション)」を持った絵は、それを学習させない限り、人工知能では再現が難しい。

 地上では、「古典画材で絵を描く技法」が伝えられており、現代ではアニタのような偉才を生み出すまでになった。

 ジニアは画集をつくづくと眺める。

 豊富な有機物の食事と、労働に従事する必要が無い、たっぷりの時間は、地上の人間を堕落させるものではなかったようだ。


 ある時、ジニアは「ラスタが、地上の男に見初められたらしい」と言う噂話を聞いた。

 ラスタは、プラントで作った貨物を地上に送り届けるための、内宇宙行きの船の搭乗員をしていた。

 ジニアが冷凍車を走らせて、有機作物を届けている発着場は、「外宇宙行き」の便なので、ラスタの近況は知らなかった。

 好奇心を出して話をよく聞くと、「しばらくラスタは気分が悪そうにしてたんだ」と言う話題も出てきた。

「理由は良く分からないけど、疲れてるのかって聞いても、『大丈夫。安心して。何でもない』って、繰り返すだけだった」と言う。

「ふーん。だけど、誰かに見初められたって事は、ラスタは地上に住む事になったのか?」と、ジニアが聞いてみると、同僚が言うに、「そう言う事だと思う。もう、俺も三週間は、ラスタの姿を見てないし……。結婚式の準備でもしてるんじゃないか?」との事だった。

 ラスタが、地上の男に……と、頭の中で反芻して、ジニアは肩の力が抜けた。

 自分が求婚しても、絶対に応えてもらえなかったであろう人物が、誰かの甘い囁きに耳を貸して、遠く離れた場所に行ってしまった、と思えた。

 それから、開き直ったように、「しょうがないよな、今の俺は化け物だもん」と、鏡に映った自分を思い出して自嘲する。

 外科医とのカウンセリングは、三回目が丁度終わった所だった。

 俺も、この化け物の形を「綺麗」に整えたら、地上にだって行ける。結婚したラスタから、赤ん坊を見せてもらう事だってできる。何時か、マッシュの別荘に遊びに行って、本物の「果実とステーキ」を食べるんだ。

 俺からも、二人に何かプレゼントをしなきゃ。スペースコロニーで手に入る、一番喜ばれる贈り物って……カカオか。一級品のカカオの粉の瓶詰を用意しよう。

 そう心に念じて、ジニアは手術の日を待った。


 マッシュのように、同僚には挨拶をせずに手術を受ける者もいるが、ジニアは帰って来てからも、暫くは宇宙プラントで働く事を考えていた。そのため、同僚達にも入院期間を告げ、ちゃんと自分の班のメンバーと、顔見知りに挨拶をした。

「手術が終わっても、またお世話になるので、その時はよろしくお願いします」

 改まった言葉でそう述べて、代表である班長と握手をした。

 班長と言っても、その人物は顔見知りも顔見知りの、トムズである。

「これでお別れじゃないってのは、嬉しいね」と、トムズは述べた。

 それから、トムズの横に居た、メロウが、ジニアの肩をポンと叩く。

「つるっつるになって帰ってこい。お前の顔は、派手過ぎる」

 それを聞いて、ジニアは眉を片方上げて目元を笑ませた。

「あんまり見せた覚えはないんだけどな」と言うと、「食事中に、しょっちゅう眺めてたよ」と、メロウは意地悪を返してきた。


 最初の手術は、両足の指の、内側から四本目と五本目を融合させ、同じく六本目と七本目を融合するものだった。

 革のマスクを外されたジニアは、酸素マスクを口に当てられた。酸素マスクからはみ出した、裂け目の部分は、開かないように布テープで保護された。

 裸の上に青い手術着を着て、手術台の上に横たわらせられる。

「手術中も、何回か声を掛けます。なるべく返事をして下さいね」と、看護師に言われた。

 目隠しのカーテンの向こうで、足に局部麻酔の注射がされ、手術が始まった。

 固定された両足が、生ぬるいお湯に浸かっているような感覚だった。

 確かに、自分の足の一部にメスが入れられて、切ったり縫ったりされているのが分かった。

 付け根を同じくする指同士が、「五本指の形」に収まるように整えられて行く。

「痛みはありますか?」「大丈夫ですか?」「もうすぐですよ」「呼吸は安定させて」等々と、看護師は細かく声をかけてくれた。


 やがて手術は終わったが、病棟に移された頃には、患部は包帯に覆われていて、どんなふうに切ったり縫ったりしたのかは分からなくなっていた。

 面白がってそれを見てしまったら、ショックを受けないとも限らないだろう。熱を持っている患部は、恐らく腫れているだろうから。

 日を置いてから、尻尾を除去した。それから両手の手術があり、最後に、顔の手術の日になった。

 この日が一番「待ちに待った日」であったが、同時に恐ろしさも覚えた。

 今まで鏡でも見た事が無い、別人の顔になるであろうと言う事は、予測できたからだ。

 俺は、その顔に馴染めるかな?

 そんな悩みを覚えながら、初めての全身麻酔を受けて、ジニアは眠りの中に沈んで行った。


 手術後の顔は、パンパンに腫れた。鼻はいじらなくて済んだが、皮膚と筋肉の断裂を起こしていた顔の下半分が、顔の上半分にくっついていると言うのは、何とも言えず、気持ち悪い感覚だ。

 本来頬を覆うはずの筋肉を縫い合わせ、三ツ口に成っていた皮膚同士が結合するように縫合された。要らない皮膚や、余計な所まであった唇は、綺麗に形成されたようだ。

 だが、まだジニアは、その結果を知る事が出来ない。

 手術後は、腫れが引いて傷が治癒するまで、痛みを我慢する必要がある。

 術後に医師から、「顔の骨を削る手術は行わなかったので、比較的、痛みは少ないはずですよ」と説明されたが、痛いものは痛い。

 口を開けられないため、鼻からチューブを通して、胃袋に直接、栄養剤を溶かしたミルクを流し込んでもらった。

 筆談で、「このミルクは有機物?」と聞くと、看護師は困ったように、「ええ。由緒正しいホエイパウダーです」と答えた。

 恐らく、地上用に作られている畜産物の残り物を使っているのだろう。

 結局、此処では残飯にしかありつけないんだな。

 そんな風に思っても、溜息さえも吐けなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ