第五話「夢を見る人」
宇宙プラントに、マッシュが戻って来た。不完全な鰓がくっついていた首筋の皮膚は、つるつるになるように手術されていた。
防塵服への着替えの時に、それを自慢されて、ジニアは「良かったな」とだけ答えた。
「最新の縫合技術ってのは、すごいもんだぜ」と、マッシュは手術後の首を撫でてみせる。「縫い合わせた痕なんて、一切残らないんだ。見ての通りな」
「うん。綺麗に成ってるじゃないか」と、ジニアは差し障り無い言葉を返す。
興奮気味に、マッシュは聞いてくる。
「ジニアは、何時の予定なんだ?」
出来たら、ジニアは「何が?」と聞きたかった。しかし、話の流れからして、「手術日は何時の予定なのか」と言う問いかけである事は分かってしまう。
「来年中には……って、思ってる」
そう答えると、マッシュはジニアの肩を叩き、「最高!」とはしゃぐ。
「本当、手術するとな、それまでのしかかっていた呪いが消えたような思いがするぞ」
「ああ、そうか」と受け答えてから、ジニアは声を潜めた。「それを、鰓持ち達に、聞かれないようにな」
「何でだ? 嬉しい事は、仲間同士で打ち明け合うもんだろ?」
どうやら、マッシュは子供の頃から聞かされていた「信頼」と「友情」は、どんな事態が起こっても揺るがないと思っているらしい。
ジニアは、鰓持ち達がまだ更衣室に来ていないのを確認してから、再び囁いた。
「その嬉しい事を手に入れたのは、お前だけだろう? 挨拶もしないで入院なんて……他の鰓持ちからしたら、抜け駆けしたと思ってもおかしくない」
マッシュは考えるように眉を寄せ、言い繕う。
「いや、それは……手術が失敗したら格好悪いと思って、言わなかっただけなんだ。
だけど、本当に、良い医者に巡り会えたんだよ。手術費は比較的安価で、腕は良い。
その事を、みんなにも打ち明けたいんだ。みんなが思ってる金額より、だいぶ安い値で手術が受けられる。
勿論、闇医者とかじゃないぜ? ちゃんとした開業医なんだ」
マッシュが慌てて言葉を続けるほど、周りの者達の顔色は悪くなって行く。
ジニアは努めて穏やかに声をかけた。
「マッシュ。マッシュ、落ち着いてくれ。それは、思っても、言葉に出しちゃだめだ」
「なんで?!」と、ほとんど怒っているような声でマッシュは問う。
ジニアは説いた。
「鰓持ち達の中でも、手術が受けられるのは一握りだ。みんな、家族があったり、子供があったり……。もっと重い枷を持ってる者もいる。手術を受ければ呪いが晴れるなんて、手術を受けなきゃ呪われたままだって言ってるのと同じなんだ」
それを聞いて、マッシュは考え込んだ。しばらく無言で着替え、それから、ぼそりと、「みんな、努力が足りないよな……」と呟いた。
「みんな」と言う吐き出し口を封じられたマッシュは、ジニアに向かって、自分がどれだけ努力をして、カネを掻き集めたのかを話した。
仕事明けの「久しぶりの街歩き」の時に、ジニアを誘い、マッシュは語った。
プラントで働いている分だけではなく、鰓をチョーカーで隠して、アルコールを飲ませる夜の店でも働いた。女性客と話をする店や、唯バーテンダーを務める店等、彼方此方の店で労働に従事した、と。
「食事の錠剤の金額を抑えたり、『夜間』は停電の時みたいにライト一つで過ごした。店で、客からアルコールを奢ってもらう以外の娯楽も、なるべく抑えたよ。
あれが欲しいこれが欲しいって言う願望が湧いてくるけど、全部『手術のためだ』って思って、無駄遣いをしようとする心を捻じ伏せた。
分かるか? ああ言う、無作為な願望が湧いてくる時って、大概は腹が減ってるんだ。カカオ味の錠剤を多めに飲んだら、全部は解決する」
それを頷きながら聞き、ジニアは、「大変だったんだな」と、一応は同意した。
マッシュは一つ頷き、続ける。
「そう思うだろ? 実際、大変だったんだ。目標金額が貯まった事は、周りに知らせないようにして、家族からのカネの無心も無視した。最終的には、黙って出かけるしかなかったけど、おかげで傷跡一つなく、綺麗な姿に成れた」
綺麗な姿。それは、マッシュの素直な感想だろう。だが、ジニア達プラントの仲間の多くは、その感想で傷つく「醜い姿」をしているのだ。
「あのさ……。マッシュ」
ジニアは、どうにか説得を試みた。
「手術が成功して、嬉しいのは分かるんだ。だけど、自分から『友情』を壊すようなことを、言葉にしちゃいけない。その言葉で傷つく奴は居るんだから」
マッシュは空中を見るように視線を泳がせ、またジニアをはっきりと見た。
「俺の苦労話の何処に、傷つくんだよ?」
「『綺麗な姿』って所にだよ」と、ジニアは答えた。「その言い方だと、まだ、努力中の奴等は、『醜い姿』をしてるって事になるだろ? 俺達、手術前の奴等が『綺麗な体』とか、『つるっつるになる』とか言うのは、理想を唱えてるって事で許容されるけど、手術後の人間が『自分は綺麗な体になった』って言うと、嫌味でしかないんだ」
「そんな、大げさな」と、マッシュは受け入れない。「実際、ジニアは傷つくのか?」
「俺は……」と、ジニアは良いかけ、口をつぐんだ。それから、マッシュにも伝わるように言葉を整える。「鰓持ち達の気持ちは分からないけど、俺のは、ちょっと派手だからな……」
革のマスクに隠されている口元と、その口元に添えられた七本指の手。ジニアの特異性を思い出し、マッシュはようやく、自分が彼の心を刺していた事に気付いた。
「それは、確かに……。悪かった」
「分かってくれれば良いんだ」と、ジニアは目元を笑ませた。「それで、どんな名医と巡り会ったんだ?」
そう話を振ると、マッシュは、其処が話したかったとばかりに、言葉を進めた。
何時まで歩いてもマッシュの話は止まらず、結局二人で「カカオカフェ」に入った。
キンキンに冷やされたアイスカカオのグラスが、周りにだくだくと水滴を纏っても、マッシュは喋り続けた。
それから、ジニアはずっと考えている。本当に、自分達は努力が足りないのか。マッシュのように、本気になってカネを集めたら、短期間で手術が出来る費用が貯まるのか。
実際、十二歳の頃から貯金をしてきたジニアも、細々と出費を重ねたせいか、プラントでの勤務歴が十年を超してから、ようやく手術費が貯まりかけている。
だけど、アルコールを飲ませる店の店員って、外見が必要だろ? と、ジニアは思って、マスクの上から口元に触れた。
マスクで隠せば良いとしても、客からアルコールを奢られたら、どうにかして飲まなければならない。
ストローを使う手もあるが、そこまでして顔を隠したい店員が居る「夜の店」なんて、繁盛するだろうか。
ジニアは、マッシュの例は、自分にとっては当てはまらないと判断した。
だが、安価で治療してくれる、とても腕の良い外科医の事は、しっかり覚えておいた。
マッシュに、地上行きの話が来たらしい。
手術が終わって、手術部位の腫れが治まってから、申請手続きは済ませて置いたようなのだ。
彼には、地上に搬送される貨物を、各小売店に配るための、トラックドライバーとして仕事が任されることになった。
「こんなにトントン拍子に進むなんて、思わなかったよ」
相変わらず、周りの様子を気にしないマッシュは、ジニアに地上行きが決まったことを自慢した。
「やっぱり、手術って受けるべきだな。ジニアは、前に話した外科医の所に、連絡したか? 人気の医者だから、予約に、一、二年かかるなんて当たり前だぞ?」
「うん」と、ジニアは相槌を打つ。「俺も腹を決めたよ。来年には、絶対に手術を受ける。だけど、全身の手術になるから……。それなりに、かかるものはかかるな」
そう言って、ジニアは最近始めた「節約生活」について打ち明け、マッシュはそれを聞いて大変満足したようだった。
「頑張ってるじゃないか。そうだよ、そのくらいの意気込みが無いとな」
マッシュはそう言って、ジニアに「どんな所を節約すると、更に小金を貯められるか」を力説してくれた。
噂の外科医に電話予約を入れると、手術日は、本当に来年の日付を提案された。手術をする前にカウンセリングが必要だと言われ、その日程は年内のうちの三日間が設定された。
申し込んだ内容は、顔の整形手術と、発達した尾の切除と、両手両足の多指を整形する、全身の手術だ。実際にカウンセリングをしないとどうとも言えないが、手術も数回に分けて行なう事になるだろうと告げられた。
ジニアは、寮の自分の部屋の洗面台で、歯を磨く時に鏡を見てみた。
普段は、口を尖らすように、歯列が並んでいる所だけを開けるのだが、勇気を出す事にした。歯磨きの間に口に溜まった唾液を吐き出してから、いつも閉じている裂け目の上を、頬を叩くように押さえた。それから、大きく口を開いた。唇上から鼻の下までの皮膚が裂け、本来、頬の肉で繋ぎとめられるはずの部分まで、下顎がガバリと開く。
自分の顔ながら、物凄い有様である。
「こいつは化け物だよな……」と、首を振り、唱えた。
一ヶ月後、地上での任に就く前日、マッシュはスーツを着てトランクケースを持ち、旅支度をすっかり整えた状態で、プラントに来た。
人伝に、ジニアをプラントの外に呼び出し、握手を求める。
「俺は地上で、必ず財を築く。一時滞在しか許されなかったら、別荘を作る。そしたら、お前も遊びに来てくれよ。本物の『果物とステーキ』の晩餐で持て成すからな?」
そんなマッシュの夢見がちに対して、ジニアは鼻でため息を吐いた。
「ああ。旅行にしか行けなくても、きっと遊びに行くよ。でも、まずは一日一日、勤労意欲を無くさない事に気をつけよう」
そう言葉をかけると、マッシュはこう返した。
「お互いにな」
そうして、マッシュは船の発着場に向けて走る列車に、乗り込んだ。
黄色がかった優しい色をしている「日光型電光」が、少しだけ、寒々としているような気がした。