第三話「治安保全委員会」
子供の頃から、「理想的な人間の姿」を学習していたためだろうか。ジニアは、「人外奇形」を治す手術を終えて、まっさらな身なりになったある女性に、憧れを抱いている。
執刀医の腕が良かっただけではなく、彼女は顔や手腕に残った微細な傷に気を付けて、顔には入念にメイクを施し、手腕には光を反射して肌を綺麗に見せる日焼け止めを塗っていた。
そのためか、一見して「手術痕」の見えない、整った姿を手に入れていた。
聞くに及べば、彼女も手術前は「全身を鱗で覆われているような姿」をしていたらしい。
かつての彼女を知る者でも、容易に手術前のその女性の姿を思い浮かべられないくらい、大変身をしたのだ。
ある時、ジニアは更衣室への途中の廊下で、その女性が別の男性に呼び掛けられているのを見た。その男性も「手術後」の、まっさらな姿を手に入れている。
何事かと思って、遠目からジニアが様子を伺っていると、男性は女性に手紙を渡して、更衣室のほうに去って行った。
手紙を受け取った女性は、不思議そうな顔をしていたが、便箋を開いて内容を読んでから、驚いたように目を見張り、ガタガタと震え出した。
様子が尋常じゃないと思い、ジニアは女性に歩み寄り、声をかけた。
「ラスタ。何かあったのか?」
「あ。ジニア……。それが、これ……」と言って、女性は震える手で、便箋を差し出してくる。
ジニアは受け取り手から託された便箋に目を通した。
手紙の内容は、なんとも失礼なものだった。
「ラスタ・リムフォード嬢。手術後の君はとても美しい。ようやく君を女性として見られるようになった。それに相まって、僕の心は君と触れ合いたいと言うものに変わってきている。
体中を覆っていた君の『人外奇形』が、どれほどにまで美しい変化を遂げたのかを、僕に全て見せてくれる勇気はあるだろうか。もし、その勇気の備えが出来たと思った時は教えてくれ。
夜の帳の中で、その勇気と信頼を分かち合おう」
それを読んで、ジニアは頭に血が上って来た。
女性に、全身を見せろ? 医者でもあるまいに、変態野郎、と、心の中で罵った。
ジニアは、更衣室の中に聞こえないように、ひそひそと声をかけた。
「ラスタ。こんなことを書いてくる奴は、まともに扱っちゃいけない」
「え、ええ……」と、ラスタは答えて、安心したように息を吐く。「どうしたら良いと思う?」
ジニアは少し考えてから、「治安保全委員会に報告しよう」と述べた。「ラスタは、なるべく一人に成らないように行動して。あの……失礼だけど、仲の良い友人は居るかい?」
「手術前から懇意にしている知人や友人なら、数名」と、ラスタは答える。
ジニアも、安心したように息を吐き、こうアドバイスした。
「しばらくは、その人達と一緒に行動して。もし、この男が居室まで追いかけてくるようだったら、居室に立てこもって。委員会の判断が下るまで、絶対に、こいつを近づけないように」
ラスタはそれを聞いて、自衛しなければならないと覚悟を決めたようだ。
「分かった。委員会には、私が報告したほうが良い?」
ジニアは少し考えて、「数名、人を募ろう。複数人での訴えかけのほうが、彼等は話を聞いてくれる」と述べた。
数日もしないうちに、ジニアは自分と同じ感覚を持っている人物を三名ほど集め、ラスタやその友人達と一緒に「治安保全委員会」の相談窓口がある建物に向かった。
人数が多いので、ステーションで切符を買って、電車に乗る事にした。
「質の悪いのがいるもんだね」と、列車を待つ間、トムズがラスタに声をかける。彼はその時、頬にある片方の目をマスクで隠していた。なので、彼の顔の左側は目が見当たらない。
「お騒がせして、申し訳ありません」と、ラスタはどちらかと言うと引け目を覚えているようだ。
「あんたが謝る必要ないよ」と、グレンと言う名の手術後の女性が、ラスタに声をかける。
「中身が綺麗だったから『手を出させてくれませんか』なんて、言ってくる奴の頭がイカレてるんだ」
たった七名の集団だが、みんな頷きあい、ラスタの友人であるグレンとアギトは、彼女の背や肩を叩いて励ます。
「俺も、似たような手紙をもらったことがあるんだけど」と、メロウが言い出した。
メロウが受け取った手紙と言うのが、彼が言うにこうだ。
「貴方は、『人外奇形』があっても、男性としての威厳を失っていないと思う。その男性としての威厳を、私に確認させてくれないだろうか。一刻も早くそれを知らなければ、私は心が張り裂けてしましそうだ……って」
その場に居た、メロウ以外の全員が硬直した。
確かに、肩甲骨の奇形以外の、目立った変異が無いメロウは、真正面から見ると、「いたってまっとうな人間」に見える。鼻筋は通っていて、輪郭も歪んでいない。額は少し突き出て、眼窩に日陰を作っているが、「普通」の範囲に許容できる。手術後の人間達と比べても、遜色ない容姿をしているのだ。
「なんでそれを訴えなかったの?」と、ジニアは聞いた。
「うーん。怖かったから、かな」と、メロウは暢気に答えた。「無視してないと、逆に何をされるか分からないと、俺は思っちゃったの」
それを聞いて、ラスタの顔色が真っ青になる。
メロウは、不味い事を言ったのが分かったらしい。
「まぁ、俺の場合はそんな感じだったけど。ラスタ。君の場合は、ちゃんと公共の機関に守ってもらったほうが良いよ。何せ、男と女じゃ、腕力に差があるからね」
「は、はい……。そうですよ、ね」と、返すラスタの声は、ぎくしゃくしていた。
「何だったら、スタンガンとか持ってみる?」
そう言い出した、尖った耳と吊り上がった目をした女性の名は、リザラと言う。
フェアリーライクと呼ばれる、見ようによっては「奇形を起こしていないより美しい」とされてしまう特徴を持っている。リザラも、素顔のままでは異常に見える目元を、化粧でうまく誤魔化し、美しく見える目元を作っていた。
そんな彼女は、片手に持っていたバッグの中から、実際にスタンガンを取り出す。
「私は常に持ってるよ」と言って。
相談窓口に辿り着いてから、整理券を受け取ると、すぐに番号が呼び出された。
まずは窓口で簡単な説明をしてから、物証として、便箋のコピーを提出する。
奥に居た職員達が、何か話し合っている。その後、ラスタ本人が別室に呼ばれた。付き添いとしてグレンも、一緒に席を立つ。
残りの五人は、ホールの中の待合ソファで待機する事になった。
「しっかり聞いてもらえるかな」と、リザラは不安そうな声を出す。
「役員の質にもよるな」と、ラスタの男友達アギトも言う。「もし、ラスタが泣かされて帰ってきたら、報道局にタレこむよ」
ジニアは、自分が「治安保全委員会に知らせよう」と言い出した手前、不安は口に出せなかった。
数十年前までは「正常者の姿をした男に口説かれるなんて、女のほうは気分が良いだろう」と、言う唐変木な考え方が、治安保全委員会にも蔓延していた。
だが、当時の治安保全委員会が放置していた、追跡者被害の事件が、殺人事件にまで発達した事例を報道局に突き止められ、その件が大々的に報じられたので、治安保全委員会は十年間ほど辛酸を舐める事となったそうだ。
その当時のトップの人間を全部入れ替えた、新体制の治安保全委員会は、追跡者被害を、この十五年くらいでようやく真面目に受け取るようになった。
どんな風に追跡者被害を減らすのかの、具体的な法整備が整ったのも、ほんの十年前くらいからである。
「ジニア」と、トムズに呼ばれた。「何ボケッとしてるんだ?」
見れば、居残りのうちの四人は、円陣を組んで、何やら話し合ってる所だった。
「あ。ああ、ごめん」と言いながら、ジニアも円陣の一ヶ所に参加する。
その時の話し合いで、リザラはスタンガンを売っている店をラスタに教える事にし、数日間はリザラかグレンと一緒に、アギトがラスタに付き添う事になった。
だが、アギトは食肉プラントのほうで働いているので、建物に入ってしまうと、ラスタに付き添う事は出来ない。
「プラント内の警護は、俺かジニアが付き添う事にする」と、メロウが言う。
「でも、大丈夫? 周りの人達の目とか」と、リザラは返す。
「そこは、グレンねえさんに補ってもらう。女が二人、男が一人なら、怪しまれないだろ?」
警護の話で、トムズの名前が出てこない事には、誰も疑問を挟まない。プラント内以外では、左頬にある片目を隠しているトムズには、他人の警護は荷が重い。
居残りの五人が、ラスタとグレンが帰ってくるのを、今か今かと待っていると、思ったよりさっぱりした表情で、二人は戻って来た。
「女性の委員から、詳しく話を聞いてもらえたの」
そう、ラスタは表情も明るく言う。「それで、私、『地上』に行く事になった」
それを聞いて、さっきまでラスタの周りに隙を作らない事を約束し合っていた五人は、気が抜ける思いがした。
「『地上』行きは、なんで?」と、リザラが尋ねる。
「えっと……」と、ラスタが言い澱んでグレンを見たので、グレンが言葉を補った。
「本来は、接近禁止令って言う、問題の男が近づいて来たら、それだけで罪を問えるって言う命令を出してもらう事が多いんだ。けど、プラントで働いてると、どうしたって距離は近くなるし、仕事を辞めさせられたら、男のほうが逆上して何をしだすか分からないでしょ?」
ラスタは、其処まで聞いてから、五人のほうを振り返った。
「それで、私が仕事をするために『地上』に行く事になったの。一時的に地上に行っては、コロニーに帰ってくるって言う、往復の仕事になるって聞いた」
手の平を返したように明るいラスタの様子に、五人は互いの顔を見て苦笑いをし、それから口々に、彼女の栄転を喜んだ。
会って間もないと言うのに、リザラはラスタに「おめでとう」と言いながらハグまでした。
ラスタも、他の六人も、「地上」に憧れを抱いている事は変わらないのだ。