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第十三話「予てよりの希望」

 ジニアの顔の包帯が取れる日が来た。ずっとガーゼで覆われていた皮膚は、少しギトギトしている。

「ミストフィールさん。目を開けても大丈夫ですよ」と、医者が呼び掛けてくる。

 特に目元の手術はしていないが、包帯を外されている間、ジニアは目を閉じていた。薄っすらと瞼を持ち上げ、目を瞬いた。

 看護師が、容赦なく鏡の角度を合わせてくる。躊躇する前に、その形は眼前に現れた。

 狼のように裂けていた口が、無くなっている。むしろ、唇が少し薄いんじゃないかと思うほど、男性的に作られた口元が見えた。

 おまけに、包帯で覆っていた間に、無精髭も生えている。

「髭は剃っていなかったのか?」と、医者は看護師に聞いた。

「ミストフィールさんが、『まだ勇気が無い』って言って、中々剃らせてくれませんでしたから」と、看護師は事実を述べる。

「すぐに髭を剃る準備を。傷が無いかちゃんと見なきゃ」と、医師は指示を出す。

「はい」と答えて、看護師はクリームと剃刀の用意をし始めた。

 その間、ジニアは見慣れない人間になった顔を、まじまじと見つめていた。


 看護師の手により、慎重に髭を剃られると、手術痕の無い、つるりとした皮膚が見えた。

「本当に、これは、縫われて……居たんですよね?」と、ジニアは確認した。

 口の先だけ動かす、何時もの喋り方をしてみたら、なんだか文句を言うみたいに口を尖らせてしまった。

 変な抑揚がついたのに気づき、「すいません。まだ、喋りづらいみたいです」と、言葉を補った。

 医師と看護師は、笑顔を作った。

「実に綺麗に治っています。今日から、口の筋肉を動かす練習を始めましょう」と医師は言い、看護師に何か指示を出す。

 看護師は別室に向かった。

 医師は、まだ鏡の中をじろじろ見ているジニアの、肩を叩く。

「ミストフィールさん。物珍しいのは、初めだけです。そのうち、この顔が自分の顔だと、認められますから。まずは、正常に口の筋肉を動かして、言葉の発音の崩れや、食事の時の誤飲が無くなるように、じっくり練習をしていきましょう」

 その言葉を聞いて、ジニアはようやく、状況は変わったのだと認識した。


 口と喉のリハビリをして、多少口元の表情を動かせるようになってから、ジニアは「地上派遣社員登録」の手続きをした。提出書類には、手術前の奇形箇所の写真と、手術後の写真を添えなければならない。

 看護師から顔を撮影してもらう時も、何度も撮りなおして、一番「ベストショットだ」と思えたものを選んだ。それまで出来なかった、「口角をほんの少し上げる動作」――つまり笑顔の作り方――も、看護師達に相手をしてもらったり、一人で鏡の前で顔を動かして、何度も練習した。

「噛んで飲み込む練習」のために用意された病院食で、心ならずも、生まれて初めての「生野菜」を食べる機会を与えられた。

 宇宙プラントで生産された、飼料用になるはずの「余分な葉っぱ」や、「形のおかしな実」を集めた物だった。

 変な形で膨らんでいるトマトを丸かじりした時、最初は酸味にびっくりした。だが、我慢して噛んで飲むと、その赤い実が「ほのかに甘い」事が分かった。

 地上の家畜は良い物を食べているんだなぁ。

 そう思いながら、ジニアは形が一回転しているキュウリを齧った。


 アルファベットを発音する練習をしてから、日常言語の発音練習に移った。

 今までも、「ヴィー」の発音にはてこずっていたが、きちんとした唇が作られてからも、「ヴィー」の発音にはてこずった。

 自分が思ってるより、大げさに口を動かしたほうが良いようだ。

 何よりの大きな変化は、うつ伏して眠っても、枕がずぶぬれになっていない事だ。頬の範囲が広がったので、しっかりと口腔内で唾液を留めておけるようになったのだ。

 リハビリがすっかり終わって、ミルクだけで生きていた間に削げ落ちた肉が戻ってくる頃、ジニアは退院する事になった。

 リハビリ期間中にすっかり見慣れた「まともな顔」の頬を叩き、平服に着替えたジニアは、住み慣れてしまった病室を離れた。

 廊下で、世話になった医師と看護師が、ジニアが出てくるのを待っていた。

「退院おめでとうございます」と、医師は言って、握手を求めてくる。

 ジニアは、五本指になった手を差し出して、握手に応じた。

「お世話になりました。すっかり、生まれ変わった気分です」

「それは良かった」と言って、医師はシェイクハンドをし、「うん。握力もしっかり戻っていますね」と述べる。

「ええ。毎日、何度と両手を握り合わせた事か」と、ジニアは冗談を言う。

 医師は手を放し、一つ頷いた。

「御立派です。これからも、日常的にリハビリは続けて下さい」

 ジニアも頷き、医師と看護師に手を振った。

「ええ。勿論です。それでは、これで」

 医師と看護師は手を振りながら声を揃えた。

「お大事に」

「お元気で」

 その言葉を背に受けながら、ジニアはよろけることも無く、五本指になった足で靴の先を進めた。


 新しく写真を差し替えた身分証を、プラントの守衛室に差し出す時は、ジニアもちょっと照れた。

 顔馴染みだった守衛達が、名前と生年月日の欄を見て、びっくりしたようにジニアの顔と、身分証の写真を何度も見る。

「これは、これは……見事な名医を見つけたらしい」と、守衛の一人が言う。

「おかげさまで」と、ジニアはすっかり慣れた笑顔を作り、元々並びの良かった白い歯を見せる。

「ええっと、それじゃぁ、これからも、此処で働くの?」と、別の一人が聞いてきた。

 ジニアは答える。

「ええ。また貯金が出来るまで、暫く御厄介になります」

 そうすると、守衛の一人も、冗談のように言う。

「地上派遣の仕事はしないの? せっかく男前になったのに」

 ジニアは言葉に困ったが、正直に答えた。

「いや、貯金がすっからかんになったので、地上に呼ばれても、すぐは出かけられないんです。派遣の登録だけはしてあるので、担当部署が変わったりはするかもしれません」

 それを聞いて、守衛達は嬉しそうに笑い声をあげた。

「それは良い話だ。まぁ、これからもよろしく」

「はい」と答えて、ジニアが片手を出すと、守衛は受け取っていた身分証を返してくれた。


「よぅ。ジニア」と、普通に声を掛けられて、ジニアは逆にぎょっとした。

 廊下の向こうから、平服姿のメロウが歩いてくる。休憩を取りに来たらしい。

「上手く行ったようじゃないか。手術」

「あ。ああ。だけど……。よく俺だってわかったな」と応えると、「目元は全然変わってない。こうすれば前と同じだ」と言って、ジニアの顔の、せっかく治った部分に片手をかざす。

「やめろよ。結構気に入ってるんだから」と言って、ジニアはメロウの片手を口の前から退ける。

「悪い悪い。それで、どうなんだ? 地上行きは?」

「登録だけしてある。まずは、『手術済み』として、此処の労働に従事しますよ。生活資金が貯まらないと、交通費も出せ無いしな」

「そうか。後で、トムズ達にも挨拶しろよ。今日、お前が来るって聞いて、みんな『物見遊山』だから」

 そう聞いて、ジニアは、一時的に見世物になる覚悟を決めた。


 予想した通りに、ジニアの顔面を見物しに来た従業員は、みんな楽し気だった。

「どこをどう手術したの?」と、聞いてくる意地の悪い奴もいる。

「尻尾も無くなってる」と、指摘してくる奴も居れば、「手を見せて」と、ねだってくる奴もいる。

 ジニアの五本に収まっている手をつくづくと見て、偽物ではない事を確かめるように爪先を触ってから、「本当に五本になるんだ」と言っている連中の指は、大体多指だ。

 多指組の子供が聞いてくる。

「ジニア。指の手術って、要らない所を切り落とすの?」

 ジニアは軽く首を横に振る。

「いや、多くある部分のうち二つを、一つに融合させるんだ。どんなふうに切ったり縫ったりするのかは、見てないから分からないけど」

 子供達は、「へー」と声を上げ、ため息をつきながら、物珍しそうにジニアの手をいじり続ける。

 ジニアは暫く苦笑いしながら我慢したが、トムズが休憩室に来たのに気づいた。

「もう良いかい?」と、子供達に声をかけ、手を放してもらう。

 ジニアは、メロウと違って分かるかな? と思いながら、声をかけた。

「トムズ」

 声を掛けられた班長は、ずれている二つの目でジニアを見た。

「ジニアか?」と、トムズは嬉しそうに言う。「すごいじゃないか。綺麗になったな」

「やめてくれよ。ちょっと気持ち悪いぞ」と、ジニアは照れ隠しを言う。「ようやく、『三ツ口じゃない顔』に成れたよ」

 トムズはその言葉を聞いて、ハハハッと軽く笑った。


 その晩、ジニアとメロウとトムズは、トムズの奢りで、立ち飲みのアルコールバーに行った。

 着色料で染めて風味料で味をつけたカクテルを飲みながら、ジニアは、包帯を取った時に観た自分の顔の様子と、リハビリの時の苦労を二人に語った。

 周りの客達も、大声でしゃべっているが、ジニアの発音は「ヴィー」が崩れることも無く、明瞭に二人の耳に届いたようだ。

「一番びっくりしたのは、朝起きても、枕が湿っぽくなかった事だね」と、ジニアは力説した。「涎の海を泳がないと、こんなに快適に眠れるなんて! ってね」

「そりゃぁ、大発見だったな」と、陽気に成っているメロウは、碧い色付けがされたカクテルを傾けながら言う。「手は治ってるようだが、足はどうした?」

 ジニアは自慢げに、自分の膝を叩いてみせる。

「勿論、五本指に成ってる。見せられないのが残念だよ」

「流石に、見たくないよ」と、トムズは腹から笑った。「何時か、『奥さんになる人』に見せてあげなさい」

「全くだ」と、メロウも同意する。

 ジニアも、へへっと声を上げて笑う。

 祝杯を楽しんだ三人は、帰りに、夜間営業の「カカオカフェ」に立ち寄った。酔い覚ましのドリンクと、噛みなれた栄養剤で腹を満たす。

 窓から見える「地上」の青さが、酔っぱらった眼にも鮮やかだった。

 ジニアは、あの大地を踏みしめる日を、心の中で改めて思い描いた。

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