第十二話「魔法の鍵」
アニタは、また干し草の上で眠っている。夏でも夜は冷えるので、胸まで毛布を掛けている。
彼女の、五つの指が揃った手は、美しかった。脱力している手は、少し握られた形になり、親指の横でツンと天井を見ている人差し指が、よく目立っていた。
これが、アリスやアガサや、もっと色んな者達を虜にする風景を生み出す、魔法の鍵なのだ。
この右手の人差し指。これがアニタの魔法の根源。彼女の魅力の根源。
私は、この人差し指を守るんだ。そう、私のお腹の中で。一つになって守るんだ。
アモンはアニタの魔法の鍵を口に加え、嚙み切った。
アニタは悲鳴を上げた。痛みのショックと、出血によるショックが、同時に襲ってくる。
横たわっていた事が幸いし、出血は最小限に抑えられた。
悲鳴を聞きつけたアガサが倉庫に辿り着き、手を真っ赤にしているアニタを見つけた。干し草の手前には、アニタの指を咀嚼しているアモンが居たが、アガサは見えないかのように突き飛ばした。
「アニタ。アニタ、しっかりして! 横たわったままで良いわ。腕を上に持ち上げて。血を止めないと……」と言いながら、アガサは周りを見回し、自分のエプロンのリボンに気付いた。
すぐにエプロンを引き千切り、長い丈夫なリボンで、アニタの手の傷口を縛り、止血する。
「アリス! アリース! すぐに来てー!」と、アガサはパートナーを呼んだ。それから、涙声になりながら、アニタに呼び掛ける。「気をしっかり持つのよ。大丈夫。すぐに、お医者様に連れて行ってもらうわ。アリス?! 何処にいるの?! アリス……」
そこまで言いかけて、アガサはようやく、アモンの姿が見えた。
干し草の段の前に尻もちをついている。口の周りには、アニタの物と同じ色をした血が、べっとりと付いていた。
アガサは、後ろ手に止血を続けながら、自分の背でアニタの姿を隠した。
「アリス! すぐに来て! 今すぐに! 早く!」と、怒るような声で、アガサは叫んだ。
ようやく異常を察したアリスが、倉庫に走りこんでくる。
一部が血だらけになっている干し草の上の二名と、その手前にちょこんとしゃがみ込んで、まだ口の中に在るものを、まるで惜しむように咀嚼している我が子を見つけた。
子供は、お行儀良く、口の周りの赤い血を、手でぬぐい取っている所だった。
アニタにはアガサが付き添い、搬送車で病院に運ばれた。
「『登録』されている方ですか?」と、搬送隊員の一名は聞いてくる。
「ええ。もちろん」と、アガサは担架を運び込んだ搬送車の中で答え、説明する。「血液型は、AB型。RHはプラスです。名前は、アニタ・フェイボック。しっかりするのよ、アニタ」
「意識はある。大丈夫。大丈夫です。落ち着いて下さい」
そう呼び掛けて来る搬送隊員の声は、失血で意識を失わせないよう、意図的に大声を出しているようだった。
アニタの左腕に輸血が打たれ、エプロンのリボンで止血していた右の手は、簡易的な消毒をされてから、ガーゼを当てられ、医療用テープでがちがちに止められた。
やがて、搬送車は、病院に辿り着いた。
その頃、フェイボック家の居間では、椅子に掛けたアリスと、立ったままのアモンが睨み合っていた。
正確には、睨んでいるのはアリスだけで、アモンは幸せそうに微笑んでいる。
「何故、アニタを傷つけたんだ?」と、アリスは床に立たせた子供に、厳しい声をかける。
「傷つけてないよ」と、アモンはうっとりしている。「傷つかないように、守ったんだ」
「どのように?」と、アリスは問う。「誰の、何を、どのように守ったんだ?」
「アニタの、魔法を、消さないように守ったんだ」と、アモンは宣言する。
「アニタの魔法の鍵は、私のお腹の中に在る。それで、体と一つになる。私が生きている間、ずっとアニタの魔法を守れるんだ」
アリスはそれを聞いて、深々と息を吐く。親は子供の幻想を許容しなかった。
「お前は、自分が何をしたのか、分かって居ないな?」
そう言って、アリスは椅子から立ち上がる。その背丈は、アモンよりずっと高かった。
「お前は、アニタから、創り出す自由を奪ったんだ。指を無くしたアニタが、これからどんな苦難を受けるのか、思い浮かべる事も出来まい?! だから、勉強をしろと言っただろう?! 何故、アニタのような、遺伝子を継いだ者が残されたのか、考える事も出来まい! 五百六十一ページには、何が書いてある?!」
その言葉を聞いて、アモンはちょっとだけ首を傾げた。
アリスは目を吊り上げ、「五百六十一ページには、何が書いてある?」と、もう一度聞いた。
アモンは頭に昔の事が思い浮かび、しばらくぼんやりした。
この星には、頭の良い二つの種族が居ました。一つは、人間です。もう一つは、神様が遣わした国から来た、違う星の命でした。
神様の使いは、人間は数が多すぎるので、減らしましょうと言いました。どんな風に減らせば良いだろうと、神様の使い達は話し合い、人間を選定する事にしました。
人間の設計図から、分かりやすい特徴で分類できる「モデルパターン」を保存しました。
人種、髪質、肌色、瞳の色、体の大きさ、力の強さ、病気に対する強さ、毒に対する強さ、苦痛に対する強さ、どれだけ速く走れるか、どれだけ重い物を持てるか、どれだけ渇きを我慢できるか、どれだけ空腹を我慢できるか。
色んな方法で区別した、様々な「モデルパターン」を選び出して、良い特徴は、より伸ばせるように、悪い特徴は、より減らせるように、神様の使いは人間の設計図を書き替えました。
ですが、人間の中には、体の持つ能力だけでは、能力の測れない者が居ました。
そう言う者達は、神様の使い達が見たことも無い発明品を考え出したり、見たことも無い美しい絵を描いたり、知りえなかった算術的論理を構築したり、知りえなかった物語を語ったりしました。
この星の人間の一部は、在りもしない事を想像すると言う、不思議な頭脳の使い方をするのです。
そんな「霊感者」達は、それまでのどんなモデリングの中でも、一定数発見できましたが、確実に「この個体は霊感を持つだろう」と言う風に言い切る事は出来ませんでした。
そのため、神様の使いは、人間を選別するのをやめました。
そして、霊感者が生まれやすい土壌を築きました。
地上の人間達に、労働をさせず、充分な食事と時間を与え、様々な技術と知恵を授け、「霊感者」となるように、教育するのです。
その教育に付いてこれなかった、霊感の劣った者達は、「モデルパターン」として稀有でない者から順に、動物へと変貌していきました。
そのため、地上には、神様の使いの子孫である我々と、「霊感者」と「動物」が存在するのです。
その「童話」を思い出して、アモンはまた少し首を傾げた。
すっかり忘れていた、小さい頃に聞いた童話だ。五百六十一ページ。確かに、「霊感者」を発見した物語は、其処から始まっていた。
だけど、それが、アニタの魔法の鍵と、何の関係があるんだろう?
全く思い当たらないと言う風に、アモンは首をぐるぐるさせる。
「分からないか」と、アリスは一度、厳しく言う。息を吐いて、すっかり諦めたように、「分からないだろうな。お前は、『歴史神話』を、唯の楽しいおとぎ話だと思っていたんだから!」と言って、後ろのほうにあったソファに、どさりと身を投げた。
「我々は、この星で『霊感者』に出会ってから、考え方を変えたんだ。この、稀有な思考回路を持つ者達を存続させようと。そして、『人間』と『動物』を区別した。しかし、時に『人間』が『動物』に転じる事があると知った。そこで、『登録者』と言う制度を作り、『人間』の存続を願ってきた」
「嘘」と、アモンは呟いた。それから、もっとはっきりした声で、「嘘だ」と言った。
「嘘なものか!」と、アリスは幼子を馬鹿にするような声を上げた。
「だったら、あの頭は何なのさ?!」と、アモンは怒鳴り出した。「いつも、食事の度に、テーブルの上に、新しい『人間の頭』を飾ってたじゃないか! アリスも、アガサも、楽しそうに! 『この肉は美味しいな。遺伝子データを畜産場へ提出しよう!』って、平気な顔して言ってたじゃないか! 私達が食べてたのは、人間の肉なんでしょう?!」
「違う!」と、アリスも怒鳴り返しました。「あれは『動物』だ!」
「何が違うって言うんだ!」と、アモンは言い募ります。「アニタに食べさせてたのだって、人間の肉だ!
アニタだって人間だ! アリスも、アガサも、アニタも、人間を食べてたんだ! それを、何でアニタに教えちゃいけないんだ?!」
「それが本心か!」と、アリスは鬼の首を取ったように言い返しました。「アニタに何を吹き込むつもりだ?! 彼女を混乱させるような事を、お前の想像のままに話すのを許可しろと?! 霊感者に?! 全く、馬鹿げている!」
「混乱してるのは!」と、大声で言ってから、アモンは気づいた。
混乱しているのは、この世界だ。
神の使いと言うのは、この星を襲いに来た捕食者の事だ。この星に元々住んでいた人間達は、狩られて食べられたんだ。それを、美しく聞こえるように「神様の使いが選定を始めた」なんて言ってるんだ。
それに気づいて、アモンはやはり笑顔が浮かんできた。
アニタだって人間だ。そう「霊感者」って呼ばれてる、貴重な人間だ。逆を返せば、貴重でなくなれば、唯の肉なんだ。
アニタの魔法の鍵は、やっぱり私の物だ。
アモン達は、「笑う」と言う行動が取れない。微笑む事はできるが、腹に大きく息を吸い込んで、一定の率で吐き出す動作で、爽快感は得られない。
その代わりに、その背についている羽を揺らした。両腕を大きく広げ、飛ぼうとしているように、ヴィーンと細かい羽音を立てて、羽を大きく広げて揺らした。
退化してしまった羽を鳴らしても、何の役にも立たないが、気分を爽快にさせるなら、充分だった。
自分の娘が、何かに気付いて「満悦」しているのを、アリスは不気味そうに眺めていた。




