食材市場
――王宮・謁見の間。
宰相のセフィーロは、エイラム・レイセオン王に恭しく頭を垂れた。
「面を上げよ――、舞踏会はどうであった?」
玉座に座るエイラムは、頬杖をつきながら訊ねる。
「はっ、今年はエイリスヴェルダ家とアイフォレスト家の御嫡男も参加しておりました故、例年よりも参加者は多かったように思います」
「ふむ、そうか……で、例の娘は?」
「娘と申しますと……?」
セフィーロは白々しく質問を返した。
だが、エイラムは構わず話を進める。
「其方の目から見てどうだ?」
「……多少、目を惹く程度ですな。これと言って報告するようなことは何も」
そう答え、セフィーロは目を逸らす。
明らかに私情を挟んだような態度を見せるセフィーロだったが、エイラムがそれを咎めることはなかった。
「滞りなく爵位が継がれたのであればそれで良い……」
エイラムは呟くように言ったあと、脚を組み直し「時に、アーガスはまだ戻らぬか?」と訊ねた。
「はっ、アーガス殿下はウィルギスに奪われた砦を奪還後、友好条約の調印を済ませ、首都ベルホルンを出たと報告を受けております。そろそろお戻りになられる頃かと……。いやはや、末恐ろしい活躍振りにございますな」
「そうか。わかった、もう下がってよい」
「ははっ」
セフィーロは再び低頭し、謁見の間を後にした。
誰も居なくなった部屋でエイラムは玉座の背に凭れ、天井を仰ぎ見る。
「君はもういないのだな……」
そこには、まるで天界へと続くような輝く空が描かれていた。
§
『安いよ安いよぉ! ほら、見てってくんなぁ!』
『さぁさぁ! 今朝入ったばかりの青魚だ! 今なら三尾で銅貨3枚! 買った買ったぁ!』
『いらっしゃい、いらっしゃーい!』
威勢の良いかけ声が飛び交う。
王都の食材市場はいつも活気に満ち溢れていた。
私はこの空気感がたまらなく大好きだ。
まだ、私が花を売っていたころ、多く売れた日には銅貨を握り絞め、この市場に遊びに来ていたのを思い出す。
買えるものなんて殆ど何もなかったけど……それでも、店先に並ぶ色とりどりの野菜や、吊された大きな七面鳥、即興で作られる木彫りの装飾品などを見ていると、その時だけは、嫌なことも忘れられた。
「なぁ、ホントに来て良かったのか? 後でジジイに怒られないよな?」
眉を下げたジョンが、心配そうな顔を向けてくる。
「大丈夫」
「でも、正式に侯爵になったんだろ? マズくないか?」
「ヴィリアだってしょっちゅう来てたじゃない、大丈夫よ」
「まぁ、そりゃそうだけど……」
「ほら、買い出し買い出し!」
私はジョンの広い背中を押した。
「う、うん……まぁいっか」
ジョンは慣れた様子で、旬の野菜や魚、肉、卵などを買い付けていく。
「これを二袋、あとそこのローリエも」
「へい、毎度あり!」
ジョンが注文をしている間、店先に置かれた香辛料を見る。
こんなにたくさん種類があるのね……。
大きな麻袋に入った赤い木の実に触れようとした瞬間、店主から声が掛かった。
「おっと、お嬢ちゃん、それは触らないでくれよ!」
「あ、ごめんなさい、へへへ……」
と、その時、大通りの方が騒がしくなった。
「何かあったのかしら……」
店前に出て来たジョンと店主と一緒に並んで、遠目に様子を伺う。
「ありゃ、王太子の親衛隊だな……」
「ああ、ウィルギスからお戻りになられたようだ」
店主の返事に、ジョンがまた大通りに目を向けた。
「凱旋形式ってことは……友好条約を結んだのか、王子も中々やるじゃないか」
「形だけでもありがてぇよ。これでウィルギスとの流通が正常化すれば、俺らもやりやすくなるんだが……ま、期待しないで待つさ」と、店主は苦笑いを浮かべる。
長年に渡り小競り合いを続けてきた両国が友好条約を結べば、経済は急速に発展を遂げるだろう。しかし、友好条約は過去に何度か結ばれているが、いずれもウィルギス側から一方的に反故にされている。
これは、ウィルギスの不安定な内政にも一因あるが、即位した皇帝が親レイセオン派か否かによって繰り返されてきたことだった。
そして、現ウィルギス皇帝は、反レイセオン派として知られている。
今回、王太子が条約を締結したとすれば、反レイセオン派を相手に締結させた手腕は見事としか言い様がない。
「ねぇ、ジョン、見に行きましょ?」
「あ、ちょっと待っ……おい店主、これ全部ウィンローザに届けてくれ」
ジョンが一筆書いたメモを手渡すと、
「ウィンローザって……あ、あんた偉い人だったんだな」と、店主が目を丸くした。
「何言ってんだ、偉かねぇよ。じゃ、頼んだぜ」
人懐っこい笑みを向けるジョンに、店主が「おぅ、任せときな」と笑みを返した。