爵位継承
リロイ・アイフォレストは、家の付き合いでエスコートをした令嬢と別れ、ホール奥に用意されたアイフォレスト公爵家専用の貴賓室に入った。
「ふぅ……」
大きなソファに座り、一つに束ねていた翡翠色の髪をほどき、軽く頭を振る。
「お直しいたします」
「頼む」
側近が手早くリロイの髪を結い直す。
「まさか、ウィンローザ家とはね……いまさら亡霊が何をしに舞い戻ったのやら」
「さあ……しかし、ヴィリア卿の美しさは耳にしておりましたが、彼女の立ち振る舞いは……天使のようでもあり、悪魔のようにも見えました」
「彼女ではなく、リリィ卿、だよ」と、リロイは側近をたしなめた。
「あ、これは失礼しました!」
低頭する側近に、リロイは「わかればいい」と手を振る。
「しかし、あの美しさは認めざるを得ないですが、孤児を養子に……しかも、侯爵位を継がせるなど、他家がどう思われるか……それに、いくら侯爵とはいえ、宰相殿に対してあのような振る舞いが許されるのでしょうか?」
「まあ、先王とはいえ……王印の押された授爵状がある以上、彼女は正式な侯爵ということになる。しかも、建国より国を陰から支えたウィンローザ家ときたもんだ。現王でさえ、おいそれと手は出せないだろうな……」
「例の元暗部の執事……ですか?」
「あくまで噂だがね、あの家には色々と謎が多い」
リロイはリリィ・ウィンローザの立ち振る舞いを思い返し、
「なぜ今になって社交界に現れたのか……ふふ、楽しくなってきたね」と、頬を緩ませた。
§
――数時間前。
豪奢なシャンデリアの下、煌びやかなホールでは、大勢の着飾った貴族達が噂話に花を咲かせていた。
もっぱら話題は、ウィンローザ家の新当主である私の話だ。
『ご覧になりましたか?』
『ええ、素敵な御方でしたわ』
『今年の社交界は面白くなりそうだね』
『誰があのご令嬢を落とすのか……』
『どうせ御三家かその親族に決まっているさ……おっと、見ろ、噂をすれば、だな』
ホール中央に集まったのは、今年、社交界デビューを迎える各家の若人達。
見渡す限り、やや緊張気味な者が6割、したたかに周囲を観察している者が2割、そして、他人事のように自由に振る舞う上位貴族達が2割……。
この後は、中二階から宰相が登場し、成人の祝辞を述べる予定になっている。
『どこのご令嬢だ?』
『あんな美しい女性を見たことがない……』
『ウィンローザ女侯爵だそうだ』
皆が噂する声は届いていたが、私は何も気にならなかった。
この日のために、事前にアルフレッドと何度も何度もシミュレーションを重ねた。
考えられる誹謗中傷は、全てこの頭に入っている。
集まった貴族家の顔、名前、家族構成、所属派閥、弱み……。
アルフレッドが集めた情報の全てが――。
「――セフィーロ宰相がお見えになりました!」
王宮付の侍従の言葉に、皆が胸に手を当て低頭した。
私もそれに倣い頭を下げる。
顰めっ面のセフィーロが重そうな身体を揺らしながら、置かれた椅子に腰を下ろす。ため息交じりに片手を上げると、皆が顔を上げた。
「はぁ、さてさて……今年は何やら懐かしい匂いがするな」
セフィーロは、まるで汚いものでも見るような瞳をリリィに向けた。
「ああ、あの気取った女侯爵の匂いか――それとも卑しい孤児の臭いか?」
場が一瞬で凍り付く。
だが、これも想定内――何ら動じることはない。
セフィーロはヴィリアを嫌っていた。
大勢の前で恥をかかされた過去を、未だ根に持っているのだろう。
つまらなさそうに禿げ上がった頭を掻き、ふん、と鼻で笑った。
「なんと虐めがいのない……まぁよい。では、宴の前に職務を全うするとしよう。ほら、早く来たまえ」
手招きされた私は、皆の視線を一身に浴びながら、中二階へ続く広い階段を上る。
セフィーロの手前で立ち止まり、丁寧に礼を執った。
「ふん、躾はできておるようだな」
臣下に手を伸ばして書状を受け取ると、セフィーロがだるそうに読み上げる。
「えー、リリィ・ウィンローザ――其方がヴィリア・ウィンローザ侯爵の後継者として爵位を継ぐことを、アルフォード・レイセオン王の名において正式に認める……と、これには書いてある」
「……」
セフィーロは書状をひらひらと揺らし、顔を歪めた――。
「白紙の――しかも、王印付きの授爵状を女狐にくれてやるとは……先王も物好きなものだ」
会場がざわめく。
王の授爵状というだけでも、とてつもない価値を秘めている。
しかも、それが白紙ともなれば、たとえ孤児や奴隷でも爵位を継げる。
悪意があれば、他人の爵位を合法的に奪うことさえ可能だ。
これはそういう類いの、決して金では買えない代物。
セフィーロが呆れるのも無理はない。
「だがまあ、法は絶対である。リリィ・ウィンローザよ、お前が侯爵を名乗ることに異論は無い――」
そう言って、セフィーロは授爵状を私の目の前に落とした。
嘲るような目付きで私を見据える。
本当に落とした――。
アルフレッドの言った通りね。
「ならば、次からはお前では無く、ウィンローザ卿とお呼び下さい」
「……なっ⁉」
「――アルフレッド」
「はい、ここに」
私が声を上げると、いつの間にか隣に控えていたアルフレッドが、床に落ちた書状を拾い上げた。
「それではセフィーロ宰相閣下――、これで失礼いたします」
膝を折って礼をした後、私は颯爽と踵を返した。
優雅に階段を下り、出口に向かって進むと、階下に居た貴族達が慌てて道を空ける。
「皆様、どうぞごゆっくりお楽しみを――」
そう言い残し、私はホールを後にした。
我ながら鮮烈で、華々しい社交界デビューになった。