社交界へ
――宵闇迫る街道。
王宮まで連なる馬車ランプの灯りが、まるで送り火のように揺らめいていた。
広いエントランスに到着した馬車から、続々と若々しい紳士淑女が降り立つ。
今日は社交界デビューを迎えた若者達のお披露目会がここ王宮で行われる。
各家の後継者がどの程度の器なのか、家同士の繋がり、新たな信頼関係の構築……表面上の華やかさに反し、その内実は、どろどろと人間臭い欲望が渦巻く評定の場でもあった。
わっと、一際大きな歓声が上がる。
『おぉ! エイリスヴェルダ公爵家の馬車だ!』
『フィリオ様もついに成人か』
『何という神々しさだ……』
竜に剣盾の紋章を掲げたエイリスヴェルダ公爵家の黒い馬車から、貴公子と呼ぶに相応しい赤髪の青年が降りてきた。
――次期公爵、フィリオ・エイリスヴェルダ。
健康的な褐色の肌、高身長で体格も良く、王国の剣技大会では若干15才にして優勝を勝ち取った若き剣聖として知られている。
そのフィリオに少し遅れ、大盾に雪の結晶の紋章を掲げたスノウホロウ伯爵家の馬車が到着した。
『プリシラ様だ!』
『お相手はフィリオ様か……⁉』
『まさか、辺境の伯爵家では家格に見合わないだろう?』
野次馬が見守る中、フィリオはスノウホロウ家の馬車から降りてくるプリシラ嬢の手を取った。
「フィリオ様、ありがとうございます……」
「いえ、プリシラ様をエスコートできて光栄です」
プリシラはクスッと笑みを浮かべると、アイスブルーの髪を手で後ろに払い、自信に満ちたサファイヤのような瞳を向けた。
今期「社交界の華」最有力候補と噂される程、その見目の麗しさは広く知れ渡っていた。
それは御三家の次期公爵自らが、一介の伯爵令嬢のエスコート役を買って出たことからもよく分かる。普通ならばあり得ない。まさに降って湧いたような幸運だ。この機を逃すまいとする伯爵家は、プリシラを旗印として、さらなる高みを目指そうとしている。
当然、プリシラ自身もそれを良く理解していた。
自らに与えられたこの容姿を持ってすれば、あのエイリスヴェルダ公爵家のフィリオ殿下でさえも跪く。
永らく不在であった社交界の『華』は、この私以外ありえない――
そんな考えを巡らせ、プリシラは薄青色の扇子の向こうで僅かに口端を上げた。
――その時、エントランスに輝くような白馬車が到着した。
『お、おい……あれ……』
『双剣に……薔薇⁉』
『ま、まさか……ウィンローザ家か⁉』
辺りが騒然とする。
王宮付きの侍従達の動きが慌ただしくなり、既に会場入りしていた貴族達までもエントランスに集まり人垣を作った。
『誰かのいたずらか?』
『大変なことになったぞ……』
『お、おい、アイフォレスト公爵家の馬車も到着したぞ!』
世界樹と杖の紋章、深緑色の馬車が到着する。
「騒々しい……何事だ」
馬車の中でリロイ・アイフォレストが口を開くと、側近が慌てて外を覗いた。
「何でしょうか……あ、あれは⁉ いや、そんなはずは……」
狼狽える侍従の肩にそっと手を置き、リロイは窓から外を覗く。
そこにあったのは見慣れぬ紋章を掲げた馬車……。
「双剣と薔薇……⁉」
リロイがそう呟いたと同時に、白馬車の扉が開かれる。
そして、そこから降り立ったのは、まさしく『華』と呼ぶに相応しい淑女だった。
§
騒然としていた場が、水を打ったように静まりかえる。
その中でプリシラだけは、一人恥辱に震えていた。
(な、なんなのよ、これは……)
先程までは、プリシラが場の視線を一点に集めていた。
だが、今はエスコート役を買って出たフィリオ殿下でさえ、あの得体の知れない女に目を奪われている。
『ウィンローザ家が公の場に現れるとは何事だ?』
『ヴィリア侯はお亡くなりになったと聞いたが……』
『見ろ、あの美しい白金の髪色を……かつてのヴィリア侯を彷彿とさせるではないか』
「プリシラ様、少し失礼を――」
「あ、フィリオ殿下……」
プリシラの手を離し、フィリオはウィンローザ家の馬車から降りたレディに声を掛けた。
「お初にお目に掛かります、エイリスヴェルダ公爵家のフィリオと申します……ウィンローザ家の御方とお見受けしますが……お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
場が一斉に静まりかえった。
誰もが謎の淑女の言葉を待っている。
だが、淑女は質問には答えず、微笑を浮かべたままだ。
「どうかされ――」
そう、フィリオが口を開き掛けた時、隣に立つ執事が口を開いた。
「フィリオ殿下、並びにお集まりの皆様、お騒がせして申し訳ございません」
『お、おい、あれは……アルフレッドだぞ⁉』
『また随分と懐かしい顔だな……』
『ウィンローザ家の執事……では、あれが噂の……『霧』か』
「こちらは我がウィンローザ侯爵家現当主――、リリィ・ウィンローザ様でございます。正式なご挨拶は後ほど」
恭しく頭を下げる執事。
そしてリリィをエスコートして会場に入っていく。
残されたフィリオは、ぽかんと口を開けたまま、その場に立ち尽くしている。
『おい、あのドレス……』
『まぁ……流行色ではないわね』
リリィが纏った真紅のドレスに注目が集まる。
中には流行遅れだと嗤う声もあった。
だが、ヴィリアを知る古参貴族達は、亡き先代当主が愛用したドレスを仕立て直し、この特別な日に着ることで、ヴィリアはもちろん、貴族社会の歴史そのものに敬意を表しているのだと好意的に受け取っていた。
ルーカスとの特訓で培ったリリィの流れるような歩き姿は、残光の如く見る者の目に焼き付き、二代に渡りロイドが調香した香水は、忘れ得ぬ薔薇の残香を皆の心に落とした。
誰もがリリィの美しさに心を奪われ、感嘆の息を漏らしている。
それは、フィリオやリロイも例外ではなかった。
ただ一人、憎らしげに扇子を握り絞める、プリシラ・スノウホロウを除いては……。