色眼鏡
ギャップのある男を書きたかった。
「婚約破棄だ、アンドレア!」
学院の卒業パーティー。貴族の子女たちが過ごすに相応の煌びやかで品のある華やかな会場が水を打ったように静まり返る。色とりどりの貴公子と御令嬢の視線を受けて、名を呼ばれた令嬢――私、アンドレア・ブライトウェルは内心でため息をつきながら声の方へ振り返った。
「殿下、唐突に何をおっしゃいますの?」
何が言いたいのかは察しているが、問いかけずには居られない。祝いの席でこのようなことを言うほど、この人は愚かだっただろうか。
「ブライトウェル公爵家令嬢アンドレア、貴様との婚約は破棄すると言ったのだ!」
金色の髪を逆立てんばかりの勢いで叫ぶこの人は、幼い頃からの婚約者で、二人で国を良くしようと誓い合ったはずの人だったのに。
「何故、などと問うな。貴様は理解しているはずだ。この私の最愛であるコリンナに嫌がらせを繰り返していたのだからな!」
「ダニエル様……」
殿下の腕に縋り付く小動物じみた挙動の令嬢。その桃色の髪をちらりと見れば、ひぃとわざとらしく悲鳴をあげた。あぁ、やっぱり彼女が『ヒロイン』に違いない。それも、奸計をもって他者を陥れようとするタイプの、『前世』の物語によく出てきたような。
そう、私には前世、日本という国で暮らした記憶がある。乙女ゲームや少女漫画を題材にした小説を好んで読んでいたことから、自分が悪役令嬢の立ち位置に恐らく居るのだと察した。だからといって、何ができたわけでもない。勿論、他者を害するようなことなんてできないし、やりたくない。いじめは濡れ衣だ。
殿下が私が犯したという罪を挙げていく。お茶会に招待しなかった、は事実だから責められるのも仕方ない。でもあれは伯爵家以上だけを招くものだったのだ。その旨はヒロインにも王子にも説明したというのに。それに、ノートを破っただけの池に落としただの、そんなテンプレ通りのいじめには心当たりはない。……のだけれど。
「そして、貴様は私に近付くコリンナを心身ともに傷付けておきながら、不貞を働いたではないか!そのようなもの、王妃に相応しくない!」
思わず息を呑み、顔を俯かせる。その言葉を心から否定することができない。だって私は、きっと、『彼』のことを――
「その、不貞の相手、というのはよもやワタクシでしょうか?」
聞こえてきた声に胸がざわつく。不安げに囁きあう生徒たちの間からするりと抜け出し、声を張り上げたその人の顔を見ることができない。私を守るように、一つ結びの銀の髪を靡かせて隣に来てくれたのに。
「ほう、語るに落ちたなエルキン家のフレドリック。辺境伯である貴様の父はさぞ嘆くことだろう。王子の愛を受けた娘を苛む謀略家が息子だとはな」
王子が鼻で笑う。エルキン辺境伯家のフレドリック。何を考えているのかわからない、常に目を細めた笑顔を貼り付けた青年。色付きの眼鏡をかけていることも、得体の知れなさに拍車をかけているのだろう。生徒の中では彼はその知略をもって常に謀を巡らせている人間だと専らの噂だ。ひょんなことから私はそうではないと知ったが。
「謀略家などではない、と何度も申し上げましたよねぇ?」
「ふん! その胡散臭い顔でよく言えたものだな」
「人の顔を蔑まないでいただけないでしょうかぁ?」
いやでも胡散臭いのはそうじゃん、と雑踏の中で誰かが呟いた。今言わなくて言いやつよそれ。
「えぇと、とにかく、殿下はぁアンドレア令嬢が悪いので婚約破棄を申し入れると?」
「そうだ!」
王子、あなた昔からお返事は良うございましたが、それはきっと悪手です。
「……なるほどですねぇ」
あ、出ちゃった。一歩下がって耳を塞ぐ。
「きさん、なんば言いよっとかコラァァァアアアアア!!!」
怒声に、石造りの会場が揺れる。
「え?」「ひっ!」
王子とヒロインが後ずさった。
「言うてみぃ、なんば言いよっとかっち聞きよろぉが? あ?
自分の浮気ば棚さん挙げてから、不貞だなんだのこん××××が!」
あーっ、それはよろしくないやつ! よろしくないやつでしてよ!
「決闘すっぞ決闘! こげーん真面目かお嬢さんに対して、酷かこつばっか
言いよってから! 剣でんなんでん持ってこんか! 相手になっぞ!」
「あーっ、いけませんわフレドリック様! 脱がないでくださいませ! 拳を握らないでくださいませ!」
「ばってん、けんかやつ、くらしてやらんと気ぃのすまん!」
「でけん! ……コホン、ど、どなたか先生をお呼びになってぇ~!」
私の悲鳴に一様にぽかんとしていた皆様が慌てて動き出す。向こうから顔を真っ赤にした学院長先生が走ってくるのを確認して、私は盛大に息を吐いた。
***
「フレドリック様は幼い頃、辺境の中でもとても訛りの強い地域でお育ちになりましたの」
会議室に移った私に殿下が説明を求めてきたので、ぶーたれて、もとい不貞腐れてそっぽを向いている彼の代わりに説明することになる。
「な、訛り……」
「元々は王国の古語だったものが長く残っていたところへ、どうせなら暗号じみたものにしようとした動きが二百年ほど前にあって、わやくちゃ……じゃなくて、
ええと、とにかく王国共通語よりだいぶわかりにくくなってしまった、訛りです」
ふぅ、とため息を一つ。
「その地域は魔物を狩って生計を立てており、皆、ー気性が荒く口と手がすぐ出る。そこで染みついた、学院には相応しくない悪癖を何とか抑えようとしていらっしゃった結果が、笑顔とゆっくりとした口調だったそうですわ」
「い、糸目銀髪一つ結び男が九州方言キャラで脳筋……」
愕然と呟くヒロインに頷きを返す。わかりましてよ。私だってうっかり彼の方言を聞いた時、ひっくり返りましたもの。そこはせめて関西弁ではないの?って。
自身が色眼鏡で見られているストレスを、人の来ない校舎の裏で思い切り吐き出している彼を偶然見付けてしまったことで私と彼は友人になったのだけれど。
「我が家の書架にその訛りをまとめたものがあり、私が興味を持ったことから親しくさせていただいておりましたわ」
と、いうことにしておく。興味があったことは本当だ。私の前世でひどく聞き覚えのある方言に聞こえたものだから。
「私という婚約者がありながらか?」
「あなたこそ私という婚約者がありながら真実の愛を見つけたではありませんか」
「……それはまぁ、うん」
王子、あなたのその素直さだけはまだあの頃のままなのですね。
「そこで納得しちゃうの?!」
あら?
「あれっ、じゃあもしかしてアタシ苛めてたのってアンドレアじゃない?!」
あらあらあら?
「……あの、まさか私がいじめたと思っておりましたの?
「えっ、うん。だってミーくんもハーくんも、聞いた話だけどアンドレアがやったらしいって言うから」
ヒロインの言葉に、それまでそっぽを向いていた彼が向き直る。
「ミーくんとハーくん?」
「う、うん」
問われて頷くヒロイン。彼はなるほどですね、と呟いて。
「誰か知らんばってん、そいつらがそらごとば言うたとやな。だごんす」
「でけん! だごにせん!」
握りしめた拳をぎゅうと捻じる。
「殿下。ミーくんとハーくんとは恐らく、ミッチェルとハーバート。我が家とは対立している勢力の伯爵家の子息です」
「ということは……もしかして私とコリンナは騙されていたということか?!」
「えぇっ?!じゃあ二人からもらった宝石とかヤバいやつじゃない?!」
あぁ~気付いてしまったわ。ヒロインだなんて思い込んだけれど、この娘は王子と同じ素直すぎる子だわ~!
「……何やら誤解などが重なっていたようですな」
私たちに椅子に座るよういった後は黙って話を聞いてくださっていた学院長先生が口を開く。
「今回のことは、恐らくご両親へ相談なさったほうがよろしいでしょう」
それはそれとして、とぎろりと睨み付けられる。
「卒業パーティーを台無しですぞ! 反省なさってください!!」
そもそも為政者としての感覚が、学生らしい節度あるお付き合いが、かっとなっても決闘を申し込むなど、と私たちは懇々と説教されることになった。
***
一ヶ月後。ダニエル殿下と私の婚約は解消された。対立派閥の工作は私たちを引き裂き、コリンナ嬢ではない別の令嬢を殿下にあてがうことで傀儡に仕立てようとするために行われたものだったそうだ。それを暴くのに尽力したのがエルキン。暴(くのに尽)力で(どうにか)した。その功績の報奨に彼は私との結婚を申し入れ、条件付きで許可されたのだ。
ダニエル殿下とコリンナ嬢は婚約できていないが、殿下たちは互いを諦めきれないらしい。「結婚するために親御さんに認めてもらわなきゃいけないから」とコリンナ嬢は頑張っている。話を聞いたところ彼女も転生者だったが、ここが何の作品かという知識はなく、ただただダニエル殿下を好きになって迫っただけらしい。私たちは仲良くやれそうな気がする。
彼女は学院でもう一年学ぶことを選び、殿下もそれに寄り添い、私たちもそんな彼らを見守っている。
――嘘をつきましたわ。卒業パーティーで盛大なアホをやらかした私たち四人は卒業取り消しで留年させられましたの。トホホですわ。
「でも、ワタクシは嬉しいですねぇ。今度は誰に咎められるでもなく、あなたと一緒にいられるのですからぁ」
「エルキン……」
限りなくニヤリに近いにっこりで微笑む新たな婚約者の頬に、そっと手を寄せる。
「そういうのはきちんと卒業要件を満たしてから言いなさーい!!」
「あいたーっ!!!」
前回も赤点ギリギリ、追追試まで受けてようやく卒業にこぎつけた彼の勉強を見てやりながら、私は叫ばずにはいられなかった。
「どうしてこの顔で勉強できないのよ~っ!」
私たちの幸せな未来には、もう少し時間がかかりそうである。
作中の方言は作者的にはこう使うよな…で書いてるので、実際の方言とは異なる部分がございます。