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Natural enemies

……あいつ、気に入らないな。


どこが、というわけではない。ただ、目が合った瞬間から無性にイライラする。



帽子屋から帰る馬車の中で窓の外を眺めながら、クレスは無意識に口を尖らせた。

春になり日が伸びて外はまだ明るいが、大通り沿いの店は店仕舞いを始めている。…もう17時か。





ハート地区の目抜き通りにある帽子屋。普段は帽子屋が屋敷に出向いてくるので、店には以前一度母さんに連れられて短時間寄ったことがあるだけだ。その時はさして興味があったわけでもない、ほとんど記憶にも残っていなかったが、改めて見渡すとこんな店だったっけ、と既視感に似たものを感じる。実際来たことがあるのはわかっているのだから単純に思い出せないだけなのだが、ふわふわしたような不思議な感覚で周囲を見た。


さほど広くない店内には、白い壁面のいたるところに色とりどりの帽子が掛けてある。紅と黒を基調にした凝った内装で、家具もゴシック調にまとめてあった。

従業員の制服は男性が白いシャツに黒い蝶ネクタイ、黒いスラックス、女性は黒のレースが付いた深緑のワンピース。アゼルのワンピースも制服だったらしい。店の奥では同じお仕着せを着た女が二人、接客にあたっていた。


そんな店内でラティカが大旦那とマリアンという従業員にアゼルの怪我を説明している最中に、奥から出てくるなり自分に食って掛かってきた少年。店内には他の客もいる、あからさまに向けられた敵意に本当だったら蹴りの一つでも入れるところなのだが、今回は場を弁えて、ぐっとこらえて軽く睨み返すだけにしておいた。










「髪の色は全然違うんだけど、瞳の色が同じだから『スミレの兄妹』って呼ばれてるの」


アゼルが言っていた通り、瞳はアゼルと同じ青紫色なのに髪は燃えるように紅かった。否、燃え盛る火を通り越してなお紅い。木炭の周囲で静かに揺らめく高温の紅。その髪の色は、兄妹の気性をそのまま写したようだ。



火の様に熱くなる兄と、月夜のように穏やかな妹。



「すごく気が短くて、特技はケンカだね。あたしには優しいけど…。でも強いから、近所で知らない人はいないんじゃないかな。むしろ、相手の方が心配なの。ひどい怪我させてそうだから…。ホントは止めたいんだけど、いっつもあたしの知らないところでケンカしてくるんだよね」


だからレイズはいっつも傷だらけなの、アゼルはそう言って困ったように息を吐きながら肩をすくめた。アイツはいつもああやって、アゼルに近づく気に入らないヤツに牙を剥いているのだろうか。




…まるで番犬だな。

クスっと笑いが漏れた。




「ほどほどにしときなさいね」


向かいに座っているラティカが、まるでオレの思考を読んでいるかのように釘を刺してきた。


「まぁ半殺しで止めとくよ」


躾のなってない犬にはお仕置きが必要だ。


「それにしても面白いくらい正反対の兄妹だったわねー。髪の色があぁも違うと第一印象は全然違うわね。瞳はそっくり同じだったけど」

「目だけはな」



あれが兄妹なんて、言われなければまず気が付かないだろう。生まれ持っている属性が違いすぎる。


「そおねぇ、アゼルは落ち着いてるというか、ちょっと子供らしくないわね。その分あの子、レイズったっけ?お兄ちゃん。出てくるなり坊ちゃんにケンカ売るなんていい度胸だわ~。よく我慢したわね?」


ラティカもそう言って笑った。


「あそこが店じゃなくて路地裏だったら秒殺だぜ」


レイズはケンカで負けたことが無いとアゼルは言っていたが、オレが本気を出せば同年代の普通の人間なんてどうってことない。何しろ初動が違う。

もうここ最近は、全力で手合わせできるのはラティカだけだった。…悔しいが、まだ勝ったことがない。兄貴たちとはもう随分永いこと手合わせをしていない。もう自分の方が強いから。兄二人にしてみれば、やや年の離れた弟に打ち負かされるのも、手加減されるのも、プライドに傷が付くだろう。

だが、ケンカに関しては話は別だ。男には容赦も手加減も必要が無いものと思っているので、売られれば全力で潰しにかかる。…もちろん死なない程度に。以前そうラティカに言うと、後遺症や傷跡が残らない程度に、と訂正された。後遺症はともかく、男が傷の一つや二つでガタガタ言うようじゃ、器の大きさが知れると思うのだが。



アゼルには悪いが、レイズは今度会ったらタダじゃおかない。





おそらく、向こうもそう思っているだろう。









………ちなみに人はこんな二人の事を、「犬猿の仲」と言う。片方ウサギだが。







◆◆◆◆◆




その日の夜。



レオナルドは自室にレイズを呼び出した。


「どうして呼ばれたかわかっているね」

「……はい」

「お客様の前だぞ。もう少し弁えたらどうだ」

「…すみませんでした」


レイズは自分と目を合わせようとはしない。

レオナルドは内心ため息をついて続けた。


「しかも伯爵家は古くからの顧客だ。クレセント坊とモメるのは控えるように。そのくらいわかるじゃろう?」

「……アイツが、アゼルにちょっかいを出してこなければ」


…今更反省などしないだろう。

実際、今度クレセントの坊が来たら間違いなく一悶着あるに違いない。この場合『役者』のクレスが勝つのは目に見えているが、クレスもクレスで敵には容赦が無いと聞く。まぁ伯爵家の血筋はそう出来ているからな…アゼルとは親しくなったようだし、とどめまで刺してくることはなかろう。


「あれでも伯爵家の人間だ。お前が心配するような事態は起こるまいよ。アゼルも今日のことは気に病んでおらんようだし、お前が手を出す必要もあるまい」

「でもアイツは、アゼルに怪我をさせました」

「…クレセント坊といがみ合う方が、アゼルは悲しむと思うがの?」

「……っ」


レイズはものすごく不服そうに唇を噛んだ。


レイズのアゼルに対する執着は、妹思いの域を超えている。妹に近づこうとする男に対しては全く容赦がない。その男の目的が何であれ見境無しである。それがいつからなのかは定かではないが、8歳でここに来たときには、もうその片鱗が見えていた。


―初めてレイズがアゼルをからかった近所の少年を血まみれにしたのは、確かこの家に来て1ヵ月経った頃のことだ。


それ以降も時に周りが見えなくなり、単なるケンカの域を超えかけたこともあった。運良くその場に出くわした人が止めてくれなかったら、取り返しが付かないことになっていただろう。






――ただでさえ、狂気の深遠に片足を突っ込んでいるこの少年が両手を血に染めるのは……まだ、早い。





―――いや、もう手遅れか。






レオナルドは一つ息をついて、切り出した。



「今度屋根裏部屋を大掃除して、お前たちのどちらかをそこに移そうと思うのだが。屋根裏とは言っても窓もあるし、今までとそう広さは変わらんじゃろ。来週はカイルと一緒に片付けを手伝ってくれ」

「っ!…オレたち、今のままでいいです。相部屋で不自由はありません」

「そうは言っても、いつまでもそういうわけにはいかないじゃろう」


やはり食い下がってくるか。普通なら一人部屋を持てることを喜ぶものだが。


「じゃあ、オレが屋根裏に行きます。アゼルが今までの部屋で」

「頭に天井がつかえると思うが、大丈夫か?」

「はい。…でも本当に今のままで」


本当ならもっと早く別々の部屋をあてがうべきだったが、先代、先々代からの荷物がなかなか整理が付かず、ずっと伸ばし伸ばしになってきていた。

…元々一人が来る予定だったから、二部屋用意していなかったのだ。


いずれにせよ、そろそろ年齢的にも離さないといけない時期だ。




「では来週屋根裏が片付き次第、レイズが部屋を移るように」


まだ何か言いたげなレイズに、やや強めに言い渡す。


「もう遅いから下がりなさい」


強制的に話を打ち切った。






レイズが部屋を出ていった後、壁の一角を見やり、兄妹と初めて対面したときのことを思い出す。

妹を守るように背後に隠し、あたかも世界全体が敵であるかのように周囲に牙をむいていた少年。生意気、という表現は正しくないだろう。自分も不安だろうに、妹の手を固く握り、降りかかる全てのことから逃げるでもなく、受けて立とうとするその瞳。


―――面白い。


なかなか8歳の少年ができる目ではない。


探していたのは雑用をやらせる男の子供一人で十分だったが、条件を付けて二人とも預かることを決めた。








居もしない神に祈る。


――願わくば血塗られた兄妹に、青薔薇の加護を。







窓の外は、下弦の月。

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