His parents' heads
とりあえず書けた分だけ上げます。
「な、にを…」
どこまで。
どうしてこの人が知っているんだ。
「ヴェロニカ様!早く帽子を見せてもらいましょう?ダイナは待ちくたびれましたわ!」
レイズが呆然と零した呟きをぶった切って、それまで女王の背後で静物と化していた侍女がいきなり声を上げた。
思わずビクついたレイズを他所に裾の長い侍女服を翻してパタパタと寝椅子を回り込み、寝そべる女王に向かって「ね、早く早く!」と身振り手振りで急かし出す。
その空気を欠片も読んでいない場違いな明るさに、レイズから目を離してぽかんとダイナを見上げて瞳を瞬いた女王――ヴェロニカが口の端をにぃっ、と吊り上げた。
「レオ、早う広げぃ」
「御意に」
ばっと上体を起こし、レイズの背後にいたレオナルドをビシッと扇で指すと嬉々として立ち上がる。
もうレイズのことなど眼中に無い様子で少女のような軽い足取りでダイナと試作品の箱を積んだテーブルに駆け寄っていく。
それまで気配を消したかのように控えていたレオナルドが恭しく頭を垂れ、傍にいたウォルターが待ち切れず勝手に箱を開け出した二人に心得顔で姿見を寄せた。
一人取り残されたレイズはのろのろと首の向きを身体に合わせる。
その途中まだ寝椅子の後ろに直立で控えている騎士とちらと目が合う。
この状況を前にしてもその鋭い眼差しからは驚きも狼狽も、諦めの色さえ読み取れなかったが、ただ侮蔑の類が無かったことだけが救いだった。
◆
華のような笑顔で鏡に向かう女王を横で侍女が存分に褒めそやし、二人してはしゃいだ様子でその試作品にあれこれと注文をつける。
その様子だけを見れば微笑ましいとすら思える光景なのに。
それまでからの異常とも言える変わり様とそれをおかしいとしない周囲の空気の有り様に、背筋が冷えるような戦慄を覚える。
何よりも、目の前の女二人が不気味だった。
この部屋に入るまでの高揚した気分はどこへやら、レイズはショックからなかなか抜けきれないで呆けていたところをウォルターに急き立てられどうにか震える手を叱咤して彼の傍らで彼女らの要望や変更点をノートに書き付けていったのだが。
ノートから顔を上げられない。
あの瞬間、自身の肌に埋まる石を抉り取れというその黒の奥に、純粋な、けれど恐ろしい狂気を見た気がした。
過去という名のだだっ広い平野の一角、目印どころか本人ですらその場所を特定出来ないように、厳重に慎重に丁寧に、何事も無かったかのように平らに均して埋め立てておいたのに。
どこからかその存在を知りレイズ本人も預かり知らぬところでこっそりと掘り返して。無断で取ってきて我が物顔で弄くって、そうして飽きて忘れていたものを、突然思い出したかのように面白半分に目の前に広げて見せたのだ。
女王とて、許されるものではないと思うのは傲慢か。
あの間近に見据えられた真っ黒い闇が、ひたすらに怖ろしかった。
自分には何の罪も無いなどとは言わないが、あの夜のことを知っているのは主であるレオナルドと、あの場に居合わせた墓守のみ。
あれは、三人の合意の下で交わされたはず。
…裏切った?
まさか。
あぁ、それよりも。
自分はもちろん、いやアゼルまでも咎められるのだろうか。
それだけは、何としても避けなければ。
「ピエール!どうじゃ、似合うかえ?」
女王が大きな羽根飾りがついたロイヤルブルーのベレーを被り、未だ寝椅子の後ろで直立不動で控える騎士を振り返った。
「…陛下は何をお召しになってもお美しい」
「つまらん。お前はそればかりじゃの」
騎士の鉄面皮から発せられる判を押したような答えに女王は口を尖らせて帽子を乱暴に取り、ウォルターに押し付けた。
「レオ!わらわに一番似合うのはどれだと思う?」
今度は大きなブリムの上に紅と紫の薔薇の造花をたくさんあしらった黒い麦わら帽を被り鏡の前で少女のようにはしゃぐ女王に、足が悪いので女王を前に椅子に腰掛けることを許された帽子屋が後ろで好々爺よろしく頷いて見せる。
「外出用なら今被っていらっしゃるのが一番かと思いますのう。そちらの羽のヘッドドレスはサークレットに併せてもよろしいかと」
「なるほど、それは良いな!ではこれは次の夜会で着けようや。ダイナ、ドレスはまだであろ?」
被っていた帽子をウォルターに渡し、女王は侍女を振り返った。
「はい、最後の手直しがあるとお針子が申しておりましたので来週には出来上がるかと」
「そうか!では帽子も同じように納めよ」
「かしこまりましてございます」
侍女の返事と恭しく頭を垂れる帽子屋に満足そうにうむ、と頷き女王はご機嫌で最初に座っていた寝椅子に戻った。
視線を下げてただ機械的に女が発した言葉をノートに文字化していたレイズも、手にしていたノートとペンを置いて全て箱から出てしまった帽子を元の箱に納めていく。
その間も決して女王のほうには顔を向けないよう、黙々と手元を見つめ続けた。
「あぁそれとな」
いつの間にやら侍女が淹れたお茶のカップをソーサーに置く音がして、女王が口を開いた。
「いくつか色が変わってきてしまった首があるのじゃが」
「左様で。新しいものをお持ちしましょう」
女王と帽子屋が交わす意味不明な会話の不穏な単語に肩が震える。
思わず手に持っていた帽子を取り落とした。
「おや、どうした」
「っ…申し訳ありませんっ」
数歩先に転がった帽子を慌てて拾い上げる。
「……知らぬのかえ?」
上体を起こした際にこちらを向いた黒曜石とかち合い、後悔しても遅い。
戦慄が走る。
また、あの底無しの瞳が戻ってきていた。
「レイズはまだ未熟ゆえ陛下の帽子に触らせてはおりませんので」
硬直したレイズに変わってウォルターがそれに対して返事を返したが、レイズには未だそれが何の話だかが理解できない。
首って、誰の。
忘れかけていた心臓の鼓動がまた煩くなる。
帽子を箱に仕舞おうとする手を止めて眉間に皺を寄せたレイズを闇の双眸で捉えながら、紅い唇が愉快そうに言葉を紡いだ。
「レオ、こやつの売った首はどこにあるのじゃ?」
「…今もこの爺の私室にござりますぞ」