Queen of Crimson
遂に出ました、女王様。
目に映るもの全てが煌びやかで荘厳なそこは、まるで絵本の挿絵をそのまま立体化したかのようだった。
真っ白い壁に、真っ赤な絨毯が延々続く回廊。
天井を支える石造りの柱と梁は真っ黒で、顔が映るほどに磨かれたあれは黒曜石だろうか。
まだ日が高い時間なので同じく黒に縁取られた窓から日が差しこんでいるが、天井にはシトリンの小ぶりなシャンデリアが等間隔に下がっている。
「どうした、迷子になるぞ」
「っ…はい!」
数歩先を歩くウォルターに急かされ、巡らせていた視線を戻す。
「間違っても落とすんじゃないぞ」
「はいっ」
両手に抱えた試作品の箱を大事に抱え直し、主人たちの後に続いた。
赤と白と黒、時々金。
初めて訪れた王城は、文字通りの、別世界。
◆
変人に意味不明な忠告をされた数日前、確かにレイズは王城に上がった。
女王に呼び出されたレオナルドに付いて、ウォルターと共に女王の帽子のフィッティングの補助をする為だ。
貴族の屋敷には何度か付いて行ったことはあるが、顧客の中でも女王は別格。
今まで王城に上がる際、レオナルドはウォルターのみを帯同し、他の従業員を王城に連れて行ったことは無かった。
それが今回初めてレイズを連れて行く、と指名されたのだ。
浮かれないわけがない。
一人前への階段を、一歩登れた気がした。
通されたのはレイズが想像していたような大広間ではなく、帽子屋の店舗を一回り大きくしたような広さの謁見室だった。
両脇を騎士が固めるドアをくぐり中に通されると、部屋の中央にある寝椅子に一人の女性がゆったりと腰掛け上体をクッションに預けていた。
騎士らしき剣を佩いた男性と侍女であろうお仕着せを着た女性が一人づつ背後に控えている。
帽子のフィッティングはドレスなどとは違いこの場に男性が居てもなんら問題はない。
逆にこちらが男性三人で来ているのだから、護衛やらでこの場に男性が居るのは当然なのだろうし、むしろ室内に一人、入り口に二人というのは少ないのかも知れなかったが、レイズには判断が出来なかった。
最後に部屋に入ったレイズも試作品の箱を脇の台に寄せて、大人二人に倣い深々と頭を下げる。
「面を上げい」
気だるげな声がし、ゆっくりと顔を上げて主人の向こうにいる雲の上の存在に目を向ける。
当代の、赤薔薇の女王。
その艶やかさに目を奪われる。
漆黒の絹糸を集めたかのような長くて癖の無い黒髪と闇夜が凝ったような大きな瞳。横になっていてもわかる高身長に凸凹が控えめな、すらっとした印象の美人だった。
黒と見紛う濃紺のスレンダードレスを纏った肌は、黒と対照的に抜けるような白。
年の頃は見た目でははっきりとわからなかった。十代後半と言われればそうかと思えるし、三十代と言われればそのくらいかも、とも思える。
いずれにせよ作り物のような美しさが年齢という概念から彼女を遠ざけている印象を与えていて、百年後もこのまま、と言われれば納得してしまいそうだ。
それでも『赤薔薇』なのにこの女王は自身に戴く色を持たないのか、とレイズがぼんやり考えた時、ふと動かした扇の影から鎖骨の上で紅い何かが光に反射するのが見えた。
ネックレスでも、ボディピアスでもなく。地肌に…直に生えているような。
…石?
思わず目を奪われたレイズの視線に気がついた女王が手にしていた扇を傾け、胸元の石を指し示した。
「気になるかえ?」
「…っ」
不躾に見つめていたことを指摘され、慌てて視線を下げる。
一気に顔に熱が昇るのが自分でもよくわかった。
楽しげに紅い唇から発せられた声は女性にしては低く、耳障りの良い音色だった。
ベルベットのリボンを音にしたらこんな感じだろうか。
「これがなんだかわからないのであろ?」
「…はい」
「近う寄れ。レオ、これが前に話した小童か?」
妖艶に微笑みながらの声色はレイズと差して変わらないであろう十代のそれなのに、言い回しはまるで老婆のようだった。
「左様に。レイズと申します、陛下。レイズ、ご挨拶を」
「っ…レイズと申します、女王様」
女王を前に緊張する様子もなくいつも通り鷹揚なレオナルドに促され、弾かれたように再度頭を下げる。
だが頭の中は女王とレオナルドの間で自分の事が話題に上がっていたことに対しての驚きでいっぱいだ。
それを面白そうに見やり、女王はコロコロを笑い声を立てた。
「そう硬くなるなや。意外なのであろ?黒髪黒目のわらわが『赤薔薇』であることが」
近う、と再度促され思わず主人の顔を見ると、レオナルドはさも大丈夫、と言うかのように一つ頷いた。恐る恐る近づき寝椅子の前で膝を折り頭を垂れる。
「……そなたのほうが、余程相応しい色をしておるな」
つ、と扇がレイズの顎を持ち上げ、今度こそレイズは正面から黒曜石の瞳とかち合う。まるで自嘲するかのような声音とは裏腹に真っ直ぐ射竦められた。
艶然と笑む底が見えない深い黒に映り込み、絡め取られそうになる。
「っ…いえ、そんな…」
はっと意識を戻し女王の顔全体を見やると、ほぅ、と至極愉しげににやりと笑んだ。
「どうした。これが『赤薔薇』の印ぞ。よう見やれ」
大きく開いた胸元に煌めく、大小七つのルビーのような紅い宝石。
間近で見てもそれはレイズの知っているアクセサリーの類ではなく、皮膚に直接付いて、否、確かに埋まっていた。
「…取れ、ないんですか?」
思わず零れた呟きに女王は一瞬呆気に取られたような顔をし、次の瞬間弾けたように笑い出した。
それまでのアンニュイな雰囲気は霧散し、一人で抱腹絶倒の大爆笑だ。
目の前でのいきなりの変わりように唖然とするレイズを他所に、笑い過ぎて腹筋が痛くなったのかクッションに突っ伏して苦しそうに肩を震わせている。その様はレイズと同じ年頃の少女そのもの、なのだが。
背後に控える騎士も侍女も微動にしない。
背後のレオナルドとウォルターの様子は窺い知れないが、特に動く気配は無い。
…よくあることなのだろうか。
「そうよのう。くくっ…レイズと言ったか。そなたが取ってくれぬか」
「え、」
「陛下、お戯れはほどほどに」
そんなことを言われても女王相手にどう返していいやらわからず言葉に詰まると、それまで置物のように直立不動だった背後の騎士が口を開いた。
「黙りや。なぁ、出来るであろ」
騎士の進言も意に介さず、いい思い付きだと言わんばかりに今度は寝椅子から身を乗り出して言葉を重ねる。
いきなり目の前に迫った美貌に、膝をついたままだったレイズは思わず仰け反った。
耳鳴りがする。心臓が痛い。立て膝に載せていた掌がじっとりと汗ばんでいる。
恥ずかしいから、だけじゃない。
嫌な予感が、する。
「陛下」
「女王様っ」
静観していたレオナルドとウォルターも原因不明の焦燥感を塗して女王を呼ぶ。
だが年齢不詳の女王は何かに憑かれたように闇夜の瞳を爛々と輝かせ、紅い唇はベルベットの声音で囁いた。
「妹のために両親の首を売ったそなたなら」
わ、爆弾発言。