表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
49/56

The reminder of me

少し時間を遡ります。


漸く朝晩の足元から這い上る冷気を感じなくなったある晴れた日に、アゼルは大旦那に連れられて伯爵家を訪れた。

本当はクレスが大旦那に直談判をした日からそう日を開けずに訪問するはずだったものが、伯爵が仕事で長くレイシーを離れていた為に、この日はもう翌日にクレスが学院に向けて出発するというギリギリの日程となった。


伯爵家を訪問するのはクレスとレイズが射撃対決をした時以来だった。


前回は真っ直ぐ伯爵夫人の居間に向かったが、今回通されたのは壁一面を書架で覆われた、伯爵の執務室。

大旦那の後に続いて扉をくぐると、伯爵―――チョコレート色の長い髪を一つに結わえ、深い紺色の瞳をしたクレスの父が、大きな樫の一枚板で出来た机の向こうから出迎えてくれた。


「帽子屋、よく来てくれました」

「お久しぶりでございます」


机を回り込んでこちらにやってきた伯爵に、杖を手にした希代の帽子屋が恭しく頭を垂れる。

クレスの髪のちょっと茶色いのってお父様の色だったんだ、などと部屋に入ってから緊張のあまり全然関係ないことをぼんやり考えていたアゼルも慌ててそれに倣った。


「顔を上げなさい」


低くて柔らかい声が耳を撫でた。

その声にぎこちなくだが、ゆっくりと身体を起こす。


「君が、アゼルか」


もう帽子屋を出たときから早鐘を打っていた心臓は今や張り裂けんばかりに暴れていて、きゅっと口元に力を入れると、反対に伯爵様の唇は弧を描いた。


その笑んだ目元が、色は違えどクレスのそれとそっくりだと気付いたのは面接が終わった後、部屋の外で待っていたクレスに「お疲れ様」と微笑まれた時だった。







「大丈夫?」


緊張の糸が切れたのか部屋を出た途端その場にへたり込んでしまったアゼルを見たクレスは、いつもの調子で軽々と抱き上げると大旦那には「借ります」の一言だけ残してさっさとその場を後にした。


「夕飯までには返してくれないと、あちこちが煩いからのぉ」


スタスタと廊下を去っていく少年の背中に、大旦那のぼやきが跳ね返った。





「…どこに行くの?」

「森」


久しぶりだし、そう言って行きすがらすれ違う使用人たちの驚きの視線をこれっぽっちも気にかけず廊下を進む。


良くも悪くも慣れてしまった腕の中で、アゼルの先程の対伯爵の緊張も少しは和らいだかと思ったら大間違いだった。

ここは人が居ない屋根の上じゃない。

漸く畏れ多くも伯爵様と面接という圧迫感から解放されたと思ったら、今度は恥ずかしさに居た堪れなくてさっきとはまた違った意味で顔に血が上っている。

文句の一つも言ってやりたいところだったが、今はとにかくこれ以上目立ちたくない。

アゼルは恨めしげに涼しい顔をした少年を睨んだが結局は何も言えず、すぐ横にある肩に埋めるようにして顔を隠した。


一方足早に廊下を行くクレスは腕の中で擦り寄ってくる感触にだらしなく弛みそうになる顔を必死でこらえ、宝物を大事そうに抱え直すと颯爽とベランダから外に飛び出した。


耳まで赤くなったアゼルを抱え、森の中を迷いの欠片も見られない足取りで進んでお目当ての大木に張り出した太い枝の上に飛び上がると、アゼルを枝先の方を向かせて跨るように座らせる。普段スカートに隠れている膝小僧が顔を出した。

そうして自分もその背後で幹に背をつけて同じように腰を下ろし、見慣れたお仕着せの深緑のワンピースを腕の中に囲い込んだ。

いつかの星空の下のように。

腕の中の温もりに、お仕着せに染み付いた甘い香りに、今度こそ少年の頬が弛む。


囲い込まれた少女は背を強ばらせたまま、それでもやっと羞恥刑から開放されたと言わんばかりに長い息を吐き出した。

が、直後。


「もうっどういうつもり!?」

「何が?」


背中を捕られながらも、宙に浮いた両足をばたつかせて猛然と抗議する。


「自分で歩けるのにあんなっ」

「あんなにへたり込んでたのに?」


笑い声を含んで聞き返したクレスは暴れ出したアゼルに廻した腕に力を込めた。

バランスを崩すといけない。

落ちたらただでは済まない高さだ。


「…皆見てたよ」


アゼルはお姫様抱っこを伯爵家の使用人たちに見られたのが余程恥ずかしかったらしい。

揺れなくなった足とすぐ間近で聞こえる小さくなった声は、怒っているのではなく照れて拗ねているそれで、ようやく背中に入っていた力も抜けた。

そしてこれだけ感情が乱高下しても、アゼルの心を一目で表すのは口の動きと、大袈裟に変化する顔色くらいだろう。


「いいじゃん、オレの従者がどんな子か、皆知りたがってたし」


廊下ですれ違った侍女たちは今頃、三男坊に捕まった哀れな少女が帽子屋のお仕着せを着ていたことを面白おかしく話しているに違いない。

どうせ隠してもそう遠からずバレることだ。


「よくない」


あれ紹介じゃないし、そう呟いたアゼルの声はまだ不機嫌だ。


「心配しなくても、そのうちちゃんとお披露目するよ?」

「そういう意味じゃなくて、」

「じゃあどういう意味?」

「どうって…」


ただ単に恥ずかしかっただけなのだから十分な理屈なんて持ち合わせていなかったんだろう、言いあぐねた末に、また無言で足をバタバタさせている。


最近は対面でなければ、クレスと身体が近くてもアゼルは嫌がらない。

高いところにも慣れて最初の頃のように怖がらなくなり、今みたいに無防備に背中を向けていれば力を抜いて寄りかかってくる。

これもお姫様抱っこの効果だろうかと、目の前で木漏れ日に煌めく銀髪に目を細めた。


「オレの従者になったら、伯爵家の使用人てことになるんだよ?当然屋敷の人間に紹介はするさ」


アゼルが伯爵家にくれば、今よりもっともっと一緒に居られる時間が増える。


「大丈夫、みんな優しいから」


オレがついてるし。


長い銀髪にするすると指を通す。

本当は、この距離で大好きな青紫を眺めたいのだけれど。

今それをすれば、恥ずかしがりの未来の従者殿は今度こそ枝の上から転げ落ちてしまうだろう。










「怒らないで…機嫌直して、ね?」

「知らない」


腕の中の姫のご機嫌はなかなか直らない。


「オレは仲直りしたいよ。しばらく会えないし」


そう。

次に会えるのは早くても夏になるというのに、ケンカ別れなんて絶対に御免だ。


「…従者を抱っこして運ぶご主人様なんて聞いたこと無いよ」

「じゃあオレが第一号」


木の上であやすように前後に身体を揺らしながら、やや焦る内心はともかく外見は嬉しそうに言うクレスに、アゼルは呆れたように溜め息を吐いた。


「父さんに、何聞かれた?」

「…今、帽子屋で何をやってるのか、とか、何が得意か、とか、学院に行って何を勉強したいのか、とか、あとはー…」


すぐ目の前の銀髪を撫でながら聞くと、思い出しながら指を折って数える。

うん、うん、と相槌を打って先を促したが、銀髪の旋毛は小さく傾き、固まった。


「…あと、なんだっけ」


ー緊張し過ぎて忘れちゃった。


「緊張した?」

「うん」

「オレの父さん、見た目はそんなに怖くはないと思うけど?」

「だって!」

「!」


ばっとこちらを振り返ろうとして、アゼルがまたバランスを崩しかけるのを引き寄せてどうにか抑える。

さわさわと、葉たちが笑った。

二人して強張った身体からふっと力を抜くと、思わず笑いがこぼれる。


「伯爵だから?」


笑いをまぶしながら問うと、当たり前じゃん、とふてくされた声が返ってきた。

確かに商家の一使用人にとっては雲の上の人なのかもしれない。


「大丈夫、仕事に関しては鬼だけどそれ以外はとても優しいよ。うちの父さん」

「怖いって事じゃない、あたしにとっては」

「いつも通りにしていれば問題ないよ」

「そうかなぁ?」

「そうだよ」


アゼルが不安気な空気を滲ませて溜め息半分に答えるから、話を元に戻した。


「それで、なんて答えたの?」

「え?、そのまんまだよ?」


もう一度指を折りながら、伯爵の前で語った自分の答えを辿っていく。

その一つ一つに相槌を打ち、自分が一番訊きたい質問を父親が訊かなかったことに安堵する。


卒業は四年後。


もちろん先のことなんてわからない。

ましてやダスクのような未来を覗き見る力もない。


これが今の自分に考え付く自分にとっての、本当に自分にとってだけの、最良の道だ。


アゼルの友達でいたいと言う言葉を脇に押しやっておきながら、彼女の将来の夢に手を貸すような素振りをして、その実自分の願望に沿うように言い包めて、大人たちを巻き込んで、自分のテリトリーに囲い込んで。


ずるいな、と自分でも思う。


けれど。


願わずには居られない。

望まずには居られない。

想い描かずには居られない。


卒業後に続く長いであろう自分の人生に、必要不可欠な腕の中のこの人と共に在る未来を。


その未来を手に入れる為なら、いくらでも頑張れる。


―アゼルは、オレが卒業したらどうするの?


けれど今のアゼルの答えがわかりきっているから、クレスはこの問いを喉ギリギリで押し留めた。

聞いたら困らせて、また怒らせてしまうのは必至だ。

本当にオレがアゼルを必要としているのはその先だと、どのタイミングで伝えればいいだろう。


ただわかるのは、まだ早い、それは今ではない、ということだけ。


「しばらく帽子屋に会いに行けないから、アゼルにはお守りをあげる」


ご機嫌取りの仕上げに、最終関門を無事通過したご褒美に、ポケットに入れていた細長い箱を取り出した。


「…え」

「開けてみて」


躊躇する小さな手に自分の手を添えて蓋を開けると、中には銀の細工物が一つ。


「これ……っ」


はっと息を呑んだアゼルが懲りもせずまた身体を捻って振り返ろうと…して失敗した。

右肩越しに手元を覗き込んでいたから、アゼルの右頬がクレスの左頬に勢いよく当たる。


「あたっ」

「わっ」


「……三回目」


くすくす笑いながら反動でぐらつきかけた身体をまた抱き寄せる。

今回は予想がついていたので思わず声が出るものの、支えるの自体は危な気ない。

さっき二回支えた時は居づらそうに身動きしていたが、今はそれどころではないらしい。


「びっくりした?」


箱の中で木漏れ日を反射したのは、学院行きを切り出した日にアゼルが細工物屋で選んだかんざし型の栞だった。


「…どうして?」

「頑張ったご褒美」

「そうじゃなくて」


アゼルの困惑は当然だろう。

最後の二択に残って、自分が選んだのにオレが選ばなかった栞がなぜか今目の前にある。

オレがトレーごと店員に戻す素振りをして実はこっちを買い求めていたなんて、アゼルはちっとも気付いていなかったから。

いつ渡そうか、ずっと悩んで悩んで結局今日になってしまったけれど、渡せてよかった。


「あれ、全部一点ものだって…」

「そうだよ」

「もらえないよ!こんな高価な」

「受け取ってもらえないと困るな。返品出来ないから」


アゼルの言葉を遮り、ほら、とかんざし部分の真ん中辺りを指で示す。

小さく刻まれた、持ち主の名前。


「これはもうアゼルのものだから、ね?」

「そんなぁ…」


心底困ったといった声音で呟く少女を深く抱き込んで、肩に顔を埋める。

お仕着せにしみこんだ甘い香りが鼻をくすぐった。


「気に入ってたでしょ?」

「そうだけど…」

「アゼルに使って欲しいんだ」


所在無さげに箱を持つ手を、右手でそっと覆い撫でる。


「毎日読む本に使って?ね?」


そして毎日、オレのことを思い出して。


出来るだけ自分という存在を馴染ませて、染み込ませておきたかった。

たとえ離れている間で若干薄まってはしまっても、すぐに思い出せるように。



やっと手繰り寄せた糸は、まだまだ細い。


だが決して手放すことはしないだろう。



ここに来て、クレスの恋心全開?です。

でもまだダイレクトには出しません、出せません。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ