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Penpals under the moon

Fantan Domino → 七並べ

とある午前中のこと。


日に日に勢力を増してくる秋の空気によってその覇権を脅かされつつも、太陽は未だ天上斜め三十度から無駄な抵抗を続けていた。


その努力を労い、むしろ心の中でエールを送りつつ、今日もアゼルは赤薔薇の生垣に囲まれた庭で洗濯物を干していた。

ここの物干しはかなり低めにしてあるが、それでもアゼルが背伸びをして手をうんと伸ばしても竿に手が届くかどうか。


ちゃんと手が届くようになれば洗濯バサミが楽に留められるんだけどな。

最近背が伸びた自覚はあるけれど。


最後の枕カバーを留めようと、爪先立ちで竿のすぐ下を洗濯バサミで挟んだ直後、バランスを崩してそのまま顔が空を仰いだ。

わ、と声をあげ、なんとか右足を下げて踏ん張ったものの、干したシーツの合間から向かいのアパルトマンの上にある太陽と直にお見合いしてしまう。

反射的に顔を背けて目を瞑ると同時に、あれ?と思った。

瞼の裏にかすかに残った残像。


姿勢を直してシーツの幕を潜ると、眩しさに手を翳しながら恐る恐る薄目を開けた。

今度は意識して、人影が見えた…気がした屋根の上に視線を向ける。


屋上など無い三階の屋根の上には、もちろん人が居るわけも無く。


…あんな人が、そう何人もいるわけないもんね。


瞼一枚隔てても突き刺さる日差しから目を背けたアゼルは、我知らず小さな溜め息を吐いた。








クレスが学院に入学してから、季節が二つ変わった。


規格外な伯爵家のお坊ちゃんが帽子屋の勝手口から当たり前の顔をして入ってくることがなくなったこと以外、帽子屋の毎日には表向きは変化と呼べるものは少なく、淡々と、けれど相変わらずの忙しない日々が続いている。


朝は玄関の掃除をしてからレイズとパン屋に行き、朝食の後片付けが終わったら店の開店準備。

基本的に店頭に立つ回数は少ない。店に出て接客をするのは通いの店員が休んだり、どうしても人数が足りなくなった時だけだ。

だから大旦那やウォルターから用事を言いつけられない限り、マリアンと一緒に裏方の仕事をこなしている。

日によって当番が決まっているが、大抵午前中は生活共有部分の掃除をしてから買出しに出て昼食の支度をするか、家人全員分の洗濯をして庭に干していると終わってしまう。

午後は午後で店のお客様にお茶を出したり、マリアンに教えてもらいながら午後のお茶に添えるお菓子を焼いたり、毎日のノルマとなっている勉強をしたり。

さらにその合間を縫って大人たちの雑用を聞き、洗濯物を取り込んで、少しずつ習っているビーズ刺繍やレースの留めつけを進める。

なんだかんだとそんなことをしていたらあっという間に夕食の支度をする時間になっていて、マリアンと台所に立ち、閉店作業を終えた皆と揃って夕食を食べる。

後片付けを終わるとお湯を使って、サーシャと少しおしゃべりして、遅くならないうちに部屋に戻るのだ。

これまでなら自分の寝つきの悪さも考慮に入れて早々にベッドに入ってしまうのだったけれど、この春以降、ベッドに入る前の日課が出来た。


春からきっちり二週に一度アゼルに届く、一見何の変哲も無い茶色の封筒。


表いっぱいに大きく書かれた帽子屋の住所と、アゼルの名前。

裏に返すと、そこにはローレンシア学院の紋章と、表と全く同じ調子で一文字だけ書かれた『C』の文字。


一番最初に届いた手紙を受け取った時の感動は忘れられない。

何せ、自分宛に手紙をもらうのなんて生まれて初めてだったから。

帽子屋に届く郵便物を仕分けするマリアンがいつもレイズに気付かれないようにこっそりと渡してくれてるから、多分きっとあの心配性の兄はこの手紙の存在を知らないはずだ。

知られたらまたひと悶着あるんだろうけれど、今のところそんな騒ぎは起こってない。

そうでなくたって、この手紙に心配されるようなことなんて、何も無い。


窓から覗く月と机の上の明かりを頼りに、夜毎ベッドに入る前に何度も何度も読み返しては丁寧に返事を書く。


今日来たお客さんのこと、うまく焼けたケーキのこと、新しく教えてもらったビーズ刺繍のこと。


彼のくれる手紙のように、面白いことなんて何も書けない。

彼が帽子屋に来ていた頃と差して変わらない毎日に、書けることなんてそう多くはないのだから。

ペンを持ちつつ、寂しいと言うか、申し訳ない気持ちになってくる。


一度そのことをちらと書いたら、優しいクレスはアゼルの生活が知れて楽しいと慰めてくれた上に次の手紙からはアゼルに向けていくつかの質問が書いてくれて、お返事を書き易くしてくれるようになった。

なんだか気を使わせてしまったみたいで自分の失言に少し落ち込んだアゼルだったが、知らなかったお互いの一面も垣間見えて、気がつくと自分からも毎回一つ二つ質問を書くようになっていた。

そうして質問への回答と、変わり映えしない日常生活を綴った薄紫色の便箋を揃いの封筒に入れて、封をする。


表はきちんと宛先とクレスの名前を書き、裏にはただ一文字だけ、『A』と書いた。






そして今夜も月明かりの下で、封筒と同じ紋章がある白い便箋の上に並んだ、罫線をややはみ出るくらいの大きな文字を追う。

授業のこと、いつもお茶を一緒に飲むお友達のこと、寮での生活のこと、便箋三枚に事細かに学院での暮らしを教えてくれる。

そのどれもが使用人の少女には未知の世界の話であり、未来の話だ。

そうして最後は必ず、ある言葉で終わっている。


『青薔薇の加護がありますように』


以前読んだ本には、家族や恋人、友人など大切な人に贈る言葉だと書いてあった。

二年後には従者になる間柄だけれど、クレスはまだ友達として手紙をくれる。

帽子屋の人たち以外からそんな言葉をもらえるなんて、とアゼルはとても幸せな気持ちになった。


まだ幼く世間知らずな少女は、楽しくて優しい手紙をくれる未来のご主人様に感謝しつつ、贈られた言葉の真意を正しく理解しないまま幸せな気持ちで今夜も便箋にペンを走らせる。





◆◆◆◆◆





「ふぅーん、頑張ってるみたいじゃん?」


秋は、月が大きくなる。


燦々と降り注ぐ銀の明かりは、大切なものを闇の中の陰に厳重に隠し込み、太陽よりも余程いろいろなものを映し出してしまう。


普段は見えないものも、見たくないものも、見てはいけないものも。


「観てるだけなんて、つまんないしさ、」


帽子屋の裏通りを挟んだ屋根の上の影が、くつくつと笑った。

それはそれは楽しそうに。


「困った時にこそ手を差し伸べるのが、友達だよね」


でしょう?


同意を求めて振り仰いだ金の双眸は喜色を纏って、是とも否とも返さない天上の支配者よりなお明るい。


そんな彼の方を写し取ったような瞳を細めつと立ち上がると、見下ろす窓辺にちらと目をやり、


音も無く闇に溶け込んだ。







―見落としてはいけない。


―見誤ってはいけない。


それらの中にこそ探しているものが、追い求める真実が、紛れているんだよ。





ご無沙汰してました。(土下座)

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