The meteoric shower 3
「うわぁ………っ」
背中から歓声が上がる。
年に一度の天体ショーはもう始まっていた。
頭の上を大小の星々が好き勝手な方向に散っていく。
「ねぇ、どこまで行くの?」
左の耳元で天使が囁いた。
さっきまで耳障りなキンキン声を聞いていた反動もあってか、アゼルの声がいつも以上に耳に心地いい。
「口閉じて」
前を向いたまま言うと、通りの向かいの建物に飛び移る。
「あそこの上」
危なげなく着地してから、もう目の前に迫った広場の時計台を顎で示した。生憎両手は塞がっている。
時計台の鐘の下は講堂になっていて夜は人気が無い。真下まで来て立ち止まる。
一度背中のアゼルを背負い直して、声をかけた。
「しっかり掴まってて。口も閉じててよ、舌噛むから」
うん、と言う返事と、肩に廻した腕に力が入るのを確認すると、体中のバネを使って垂直に飛び上がった。
◆
星が降ると言っても、空から星が雨みたいに落ちてくるわけではない。
ただ、今の今まで夜空の上で動かないでいた星が、何の前触れも無くいきなり光の尾を引いて物凄いスピードで動き出す。
それもそれぞれてんでばらばら、好き勝手な方向に、だ。
動いて別の場所に落ち着くのかと思いきや、それこそ一瞬でそのまま空の端に消えていってしまう。
「わぁぁ、……すごぉい」
無事時計台の鐘の屋根の上に到着すると、クレスはゆっくりしゃがんでアゼルを下ろした。
恐る恐る屋根の上に立ったアゼルは一度足元を確認すると、空を見上げて白い息と共に感嘆の声を上げた。
クレスもアゼルの横に立ち、自身も二度目の星降りを眺める。
ここら一帯で一番高い場所に立って空を見上げると、遮るものはなにもない、360度満天の星空だった。
普段のそれでも十分綺麗だが、星降りの夜は格別だった。
空のあちこちで光の線が浮かんでは消える。
いつもは我が物顔で夜空を統べる月も、この時期ばかりは肩身が狭かろう。
星空も綺麗だが。
クレスの視線は隣で夢中で空を見上げる少女の横顔に釘付けになる。
普段表情の乏しい淡々とした少女は一見相変わらずの無表情に見えるが、クレスにはわかる。
満天の星をいっぱいに写しこんでそれ自体が小さな星空の様に煌いた青紫の瞳と柔らかく綻んだ口元は、今まで見た中でも最大級の笑顔だ。
――連れてきてよかった。
こんなアゼルの喜ぶ顔が見れるなら、多少の無理を押してでも連れてきた甲斐があったというものだ。
不意に、アゼルが胸の前で祈るように合わせていた両の手を空に向かって伸ばした。
「本当に、手で掴めそう。こんなに近いもん」
屋根の傾斜は緩やかで立つのに不安はないのだが、何分暗い。
目の前に広がる星達の競演にばかり気を取られているアゼルは危なっかしくて、クレスは半歩下がってアゼルの後ろに立った。
支えてた方がいいな、と思ったその時。
向かって上の方向に動いた星を追って、仰け反ったアゼルの体がバランスを崩してよろめいた。
「っ わ」
ぐらりと傾いだ体に、咄嗟に腕を伸ばして腰を攫う。
ぐっと足を踏ん張ってなんとかひっくり返るのは免れたものの、こらえきれず二人揃って尻餅をついた。
後ろからアゼルを抱え込む形で座り込んだまま、二人揃って止まっていた息を大きく吐き出した。
「危ない」
思わず言葉に力が入る。
「ごめんなさい…」
ため息を吐いたアゼルが気まずそうに身を捩った。
「だめ」
ぎゅっと力を入れて、そのまま抱きしめる。
「またひっくり返るから」
そう言うと、本当にひっくり返りそうになった手前強気にも出れないらしく、少しもぞもぞしていたが結局そのままの体勢で落ち着いた。
「くっついてた方が暖かいし」
視界の下半分を占める銀髪の上からぐるぐるに巻かれたマフラーに唇を埋めて冬空の寒さに感謝すると同時に、二人揃ってこれでもかと厚着をしていることを恨めしく思う自分の心に、内心苦笑した。
しばらく、二人は無言で空を見上げ続けた。
「あの星たちは、一体どこまで行っちゃうの?」
クレスの腕の中でずっと上を見上げていたアゼルがポツリと呟いた。
「さぁ…、少なくともレイシーのどこかに降った星が落ちてきて屋根に穴が開いたという話は聞いたことがないな」
「そうなの?…うん、そう言えば聞いたことないね」
「大人たちにも聞いてみたことがあるけど、皆そんな話は知らないと言っていたし、地面まで落ちてくることはないらしいよ」
「ふぅん。落ちてこないのに、なんで『星降り』って言うんだろうね?降るって言うより、流れてるとか、飛んでるって感じがする」
雨みたいに落ちてくれば、降ってるって感じするけど。
そう言ってアゼルは首に巻いていたもこもこのマフラーを一巻き外した。
「どうしたの?」
ちゃんと巻いときなよ、と言いかけた矢先、アゼルを閉じ込めて前で組んでいた手にマフラーの先がくるりと巻かれた。少年の灰色の目が大きくなる。
「手が寒いから」
小さな荒れた手が少年のむき出しになっていた両手を隠すようにマフラーの先を丁寧に巻きつけた。
ふむ、と一言満足したように洩らすと当の本人の手は自分のコートのポケットの中に戻っていく。
寒いのに、顔にどんどん熱が上っていくのがわかる。
アゼルから見えなくて良かった、と心から安堵した。
アゼルはまた空を見上げて呟いた。
「毎年のことだっていうのに、よく空から星がなくなっちゃったりしないよねぇ」
「そうだね、これだけ動いても全然減ったりしないね」
「星座も毎年変わらないよね?」
「うん、変わらないね。そう言われると不思議だな…」
「なんでだろうねー…」
見上げながら首を傾げるので、右の二の腕にアゼルの頭が軽く乗る。
「実は昼間のうちに、こっそり元の位置に戻ってるとか」
「えぇっそうなの?」
軽口に驚いて振り返ろうとするが、あまりに距離が近かったのでアゼルの額がクレスの鼻とメガネにぶつかった。
「わっ……」
「ご、ごめんっ …大丈夫?」
仰け反った顔と自分の顔が近くて驚いたのか、振り向けた顔をバッと元に戻す。
銀髪から覗く耳までが赤くなっている気がする。
表情は全然変わらないのに、顔色はコロコロ変わるのだ。
―もう少し、表情が動けばいいんだけれど。
―オレの前でだけ。
「じゃあ毎年確かめようよ、オレ、また夜抜け出してくるからさ?」
堪え切れずクスクス笑いながら、すぐ目の前にある小さな銀色の旋毛にそっと口づけて耳元で呟いた。
「来年も、再来年も、一緒にここに来よう?」
その呟きが純粋な誘いなのか、彼女への懇願なのか、己の願望なのかは、自分でも判断が付かなかったが。
おそらくは、その全てなのだろう。
読んでいただきありがとうございます。