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Not sick, But XXX

フィリーネは部屋付の侍女にお茶を用意させて、リリスを残しまたどこかに行ってしまった。



用意されたお茶をすすりながら、頭の中で先ほどのことを反芻する。


説明するとは、何についてか。




「生理」とかいう病気ではないモノについて。


あの侍女たちは、私も「生理」とやらに罹っていると信じて疑わない風だった。

そんな不治の病、聞いたことがない。そして知らなかった私を、信じられないような目で見ていた。

そんな庶民の間では常識の一つであるらしい事柄、どうして今までの講義で教えてもらえないでいたのか。


一般常識はそれこそ貴族社会のものから一般庶民のそれまで一通り教えられてきたはずだ。

多くの民を預かる公爵家の人間として。この領地で誰より多くのことを知っていなければならないのだと、まだ幼いリリスに言って聞かせていたのは、先代公爵である祖父だったか。





いつも冷静で、歩く作法指南書のようなフィリーネが珍しく顔色をあれほど青くした理由。


もう今となっては自分と父公爵しかいない公爵家で、リリスの師を務めたのは乳母であり、侍女長であるフィリーネだ。


教え忘れていた事柄に思い至り、自分の落ち度に愕然としたか。


いや、それはないだろう。


常識の範囲に入るような基本的なこと、彼女が忘れるわけがない。


或いは――――


故意に教えないでいた事が露見して、焦ったか。


そうだとしたら、なぜ教えなかったのか。










思考に沈んでいたリリスを、ノックの音が浮上させる。

先ほど出て行ったフィリーネが戻ってきた。

ずいぶん顔色は良くなったようだが、その表情は沈んだまま。


「リリス様、公爵様がお呼びです」






◆◆◆◆◆





父が苦しそうに語る事柄が自分のことだと、頭に沁み込み腹に落ち着くのに、どれくらいの時間がかかっただろうか。



つい先ほどまでお茶を飲んでいたというのに、カラカラに渇いた口内で舌が貼りつく。



「………では、私は、子供を作ることができないと……?」


否。


子供を作る以前に。


私は。

























女ですら、ないらしい。





















「女」とは何か。




学者ではないリリスにはきちんとした定義なんてわからないけれど、少なくとも貴族の女に求められることは、



嫁いだ家の跡継ぎを産むこと。



それに当てはめると、どうやらリリスは貴族の女としては不合格らしかった。


生まれたときに既に発覚していたそれを、どうして今の今まで隠しておいたのか。


「…お父様。私を…一体どうなさりたかったのです?」


一通り詳しい説明をした専属医師を下がらせてから、とても、とても苦しそうに、まるで懺悔でもするかのように執務机に肘を付く父に向かって、ソファに沈みこんだリリスは弱弱しい声音で問うた。

眩暈を覚えながら、大きく息を吐く。


「心臓の弱かったそなたの母に、このことを知らせるわけにはいかなかったからな。世話はほとんどフィリーネに任せて、そなたの裸を見せることはしなかった。そなたが生まれた際に立ち会った数名の人間にも徹底した緘口令を敷いてある、世間には女の子が生まれたと公表したのだ」


全ては母に、私が女の子だと言う"嘘"を突き通すため。


確かに「女」ではないものの、かと言って「男」でもない。

「どちらかといえば女寄り」であったから、「女」として育てた。

事実を知るのは父と医師、それにわずかに限られた使用人のみで本人にすら伝えられることはなく。


妖精と謳われた母は、文字通り命懸けで産み落とした「一人娘」を思う存分可愛がり、リリスが8歳の時に家族に看取られて旅立った。そしてその後も、公爵家の「最高機密」はそのまま秘され、その性質からしても公にされることはなかった。現在もこの事実を知るのは父公爵とフィリーネとリリス付の侍女数人だという。



延々隠し通せるものでもないだろうに。








父に告げられた真実と迫られた選択は、リリスの人生を大きく変えた。










子は望めないが「女」として他家に嫁にいくか、


「女」として婿を取り夫に爵位を継がせるか、


貴族籍を離れ聖職者となるか、




あるいは、




自ら爵位を継ぎ、女公爵となるか。





「どうしたい?」


あまりにも無責任にそう振られ、リリスは右手で目を覆い、ため息と共にようやく一言告いだ。


「…少し、考えさせてくださいまし」












侍女がお茶を用意して退室するドアの閉まる音で我に返った。


父の部屋からどうやって戻ってきたのか思い出せない。

あぁ、ショックだったんだわ、とまるで人事のように思い、一人苦笑する。


温かいお茶を口に含んで、何とか頭を働かせようとする。


…確かに、他の家の子達と違うところはいろいろあったけれど。今になって思えば、父にしてみれば娘として育てつつも心のどこかで娘…もとい、息子…否、我が子の将来を案じたのだろうか。貴族の娘が一般的に習う礼儀作法以外にも家庭教師を付け、男の跡取りと変わらない教育を受けさせた。そのおかげでリリスは動物たちの世話以外の時間はほぼ勉強の時間となってしまっていたが、リリスが当たり前の教養として受けていたその状態が普通ではないと気づいたのは、珍しく同年代の少女たちとのお茶の席に着いたときのことだった。


国の歴史も、数学も、剣術をはじめとした護身術も、一般的には男子が身につけるものであった。


「なぜリリス様はそんな難しいことをお勉強なさっているのです?跡取りとはいえ、いずれはご結婚なさるのでしょうに」


心底不思議そうに可愛らしく首をかしげて聞いてくる父の友人である伯爵の令嬢。普段からどうも会話がちぐはぐするなと思ってはいたが道理で、と納得がいった。

そして、あの時自分はなんと答えたか。


もう、はっきりとは思い出せない。確か、


「お父様がリリスは覚えがいいから、たくさん勉強しなさいっておっしゃるの」


くらいのことを言っていた気がする。

子供の頃から動物の世話にかまけていたが、本を開けばリリスは賢かった。


リリスを娘だと思い込んでいた母も、よく


「リリスが男の子だったら我が家も安泰でしたね」


でも私はこんなにかわいい娘を授かって幸せですわ。

と、自分好みのドレスを着たリリスを幸せそうに抱きしめた。



もし、母が生きていたら、実は出来損ないだった私をなんて言うだろう。





机に顔を伏せていた父は、ノロノロと顔を上げると自分の今後について「どうしたい?」と聞いてきた。

言われた瞬間は、なんて無責任か、と言葉を失ったが。


一呼吸置いて考えると、それは本来貴族の令嬢には与えられることの無い「人生の選択」だった。



貴族同士の結婚など所詮は権力の道具にしかならず、リリス自身も幼いころから、大人になったら家の為に好きでもない然るべき貴族のもとへ嫁ぐことが自分の未来だと、漠然と思い描いていた。

幼い頃は反抗期も相まって、キャサリンたちを楯に少年たちをいじめたりもしたけれど。そんなことで、その時点では好きでもない、下手をすると顔すら知らないような男と結婚させられるという事実は避けられるものではない。

そしてそれと同時に、夫がどんな人であろうとも、嫁ぎ先には今飼っているトカゲたちを全員連れて行き、授かった子供たちと一緒にトカゲたちを愛でて暮らすのだと心に誓っていた。



それが自分の行く末にある、爬虫類好きの平凡な貴族の女として待ち受けている、なんてこと無い未来だと。


諦めつつも達観していたのに。
















そんなことも、杞憂に終わってしまった。





















最早自分には平凡な女の幸せは望めないと宣告された瞬間。


自分の中で、音も無く何かが壊れた瞬間だった。





















◆◆◆◆◆







夜毎どこかの夜会に、美貌の公爵令嬢の姿があった。



その長身とスレンダーな身体を瞳と同じグリーンのドレスに包んで、人々の中心でリリスは笑っていた。


それまで避けていた分を取り戻すかのように、毎夜シャンデリアの下でよくしゃべり、よく笑い、よく踊った。


元々の家柄と美貌に併せて機転の利いたおしゃべり。引っ込み思案で変わり者と囁かれた彼の人とはまるで別人のように振舞う彼女に、今まで陰口を叩いていた者たちも何食わぬ顔で擦り寄ってきた。









可笑しかった。


全てが可笑しかった。


自分も、


自分の容姿に羨望と嫉妬の眼差しを向けてくる女たちも、


自分に言い寄ってくる男たちも。


何もかもが笑えてしょうがなかった。

















何かに憑かれるように、リリスはその交友関係を広げていった。


その数ヵ月後。














現公爵の一人娘リリスが家名を継いで次期公爵となることが、正式に発表された。







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