A Rainy Morning
―アゼルもアゼルで、あのバカウサギに正直にスケジュールを教えるな。
ある朝、いつものように銀の髪を梳かしながらそう責めると、座っていたアゼルは正面の鏡越しにオレの顔を見て、こう言い募る。
「どうして?嘘はダメだって、大旦那様もマリアンも、みんな言うじゃん。クレスは伯爵様のご子息なんだから、もっと嘘は吐けないでしょう?お屋敷にいると周りがうるさいから、気分転換したいんだって」
…バカ、気分転換だけにわざわざこんなところまで週3回も4回も来るヤツがあるか。
呆れてついたため息に、アゼルは口を尖らせた。
「それに、ほとんどが庭か台所で一緒にお茶を飲んだり本を読んだりしてるだけだよ。いつも急に来るから、全然お相手できないこともあるし」
クレスは何も悪いことしてないんだから、ケンカ売っちゃだめだよ。と眉間に少ししわを作って見上げてくる。
…今のはお前に呆れたため息だったんだけど。
だがこの返事を聞いて、少しだけ安心した。バカウサギに会いたいが為にスケジュールを教えているわけではない…んだよな?約束して会っているわけでもなさそうだし、まぁこの家にいる分には大丈夫だろう。
昔からだ。人見知りする一方で、一度気を許した人間には警戒心を全然持たない。
だから、あんな悪夢が起こってしまったのに。
あの時のレイズは、何としてでも妹に元に戻って欲しいと願った。
その為には、世界中全て敵に回しても構わないと思って。
何事も無かったように、とまではいかずともせめてまた、以前のように笑ってくれるなら何でもしようと。
誰も守ってくれなくても。
ずっとオレが傍にいて、守ってやればいいことだ。
平均より笑顔は少ない方だと思うが、誰彼かまわず笑顔を振りまく必要なんて無いし、むしろ悪い虫が近付かないように接客の時以外は仏頂面でいればいい。
オレが帽子作りの技術を身につけて、いつの日か独立出来れば。
兄妹で小さな店を出して、普通に生活出来ればそれで十分。
多くを望んでなんていないつもりだけれど。
窓の外は、今の時期には珍しく雨だった。
…今日はまとめ髪にしよう。
アゼルの細い髪は、雨だとウェーブが少しきつくなって広がってしまう。
高めの位置で一つに結い上げて、緩い三つ編みの団子を作った。
後れ毛をピンで留めて、ふと思いつく。
「アゼル、あの髪留めは?」
以前レイズがアゼルに買ってやった、ピンク色のガラスの花。
手渡したときにはものすごく喜んでくれたが、なぜか実際にはなかなか着けたがらない。いつも朝髪を結う時に仕上げに着けようとすると、なぜか「今日は着けなくていい」と言う。
「今日は」じゃなくて「今日も」という頻度で。
今日だって団子の根元に飾ろうと思ったのだけれど。
本人曰く、
大事だから仕舞っておきたいの。
と言って、机の一番上の引き出しに仕舞いこんでいる。
「ううん、今日はいい」
ほら、今日も。
「どうして。あれ可愛いじゃん」
「うん。でもいい」
「モノは使えって言ってるだろ」
大事にしてくれるのはいいんだが、モノは使わなければ存在意義が半減するとレイズは思っている。駄目になったら、また新しい、その時気に入ったものを買えばいい話だ。
そう言っても、鏡の中のアゼルは口を尖らせる。
「だってー」
「だってじゃない」
一歩踏み出して件の髪留めが仕舞ってある引き出しを開ける。
「あっ」
座っていたアゼルは一歩レイズに遅れをとってしまった。
レイズの手の中に納まったガラスの花が、決して明るいとは言えない雨の日の室内の光を集めて煌めいた。
「もぉ、仕舞っといてー」
「ほら、座って」
ぐずる子供のような声を出すアゼルに命令口調で言い、アヒルのような口をしたままの顔をぐいっと鏡に向けて、肩を押し下げて無理やり座らせる。
「よし、完成」
バレッタ型の髪留めを斜めに着けて、鏡越しの仏頂面に微笑みかけた。
◆◆◆◆◆
雨の日の、数日後のこと。
小休憩を入れようと台所に下りてドアを開けたオレは、その場で固まった。顔からごっそりと表情が抜け落ちるのが自分でもわかる。
ダイニングテーブルにはアゼルと、このレイシーで、今オレが一番会いたくないヤツがいた。
何やら話ながらあのバカウサギが左手で頬杖をつき、右手の指をアゼルの髪に指を絡ませていた。髪の毛をいじられていることを気にもせず、アゼルはテーブルの上の本を眺めるばかり。嫌がっている素振りもない。
あの瞬間ほど手元に銃が無いことを後悔し、また安堵したことはない。
…もしあの時手元に銃があったら。
いくらアゼルと約束したとは言っても、確実にあの灰色の頭をぶち抜いていたに違いない。
二人もオレが入ってきたのに気づいて顔を上げる。…否、ウサギの方はとっくに気づいていたに違いない。目が笑ってやがる。
「お兄ちゃん」
一気にその場の気温が下がったのがわかったのだろう。休憩?お茶飲む?と聞きながら慌ててアゼルが立ち上がろうとする。ヤツの指に絡んでいた銀がするすると解けて、揺れた。
その手触りを一番良く知っているのは、このオレだ。
「おい」
「ケンカはダメなんだろ?お兄ちゃん?」
オレの方を見て勝ち誇ったように笑ってきやがった相手に、堪えきれなくなって詰め寄った。胸倉を掴もうと無意識に伸ばした手は寸前であっさりと捕まれ、膠着状態になる。
「お兄ちゃんっ」
アゼルがおろおろした声を出した。
「話がある」
「あぁ?」
バカウサギは笑みを消して、アゼルには届かないくらいの声で言った。
「アゼル、兄貴借りるよ」
バカウサギはアゼルに向かってそう言うと、掴んだオレの手をそのままぐいぐい引っ張って勝手口を出た。
◆
オレの手首を掴んだまま無言で赤薔薇の木戸を抜け、どんどん歩いていく。
少し行くと細い裏路地に向かっているのがわかった。
いつぞやどこぞの馬鹿を叩きのめしたことがある行き止まり。
行き着くと、それまで掴んでいた手をパッと離して数歩進んでこちらに向き直る。
振り返ったダークグレーの瞳はやや細められ、疑わしげに聞いてきた。
「お前、本当にアゼルの兄貴か?」
「?…どういう意味だ」
何を今更。
「アゼルと血は繋がっているのかと聞いてるんだ」
当然、オレとアゼルは同じ両親から生まれた正真正銘の兄妹だ。
髪の色と男女の差こそあれ、顔の造作などは自分でも結構似ていると思う。
「当たり前だろ。父親も母親も同じだ」
こいつやっぱりバカか?
呆れたという口調で言い返した。
「…じゃあ、もう無駄なことは止めろよ」
「何が言いたい」
「兄妹じゃあどんなに好きでも結婚は出来ないんだぞ」
何を当たり前の事を。それがどうしたって言うんだ。
「アゼルはお前の気持ちには応えてくれないし、周りも絶対認めてくれないぞ。いい加減束縛するのは止めろって言ってるんだ。誰と一緒にいたって、アゼルの自由だろう」
…オレの気持ち?
「オレは束縛なんてしてない。妹に悪い虫がつかないように気をつけてるだけだ」
特にお前みたいな奴が。
何を勘違いしてるか知らないが、損所そこらの野郎がオレのアゼルに近づこうなんて10万年早い。
「悪い虫かどうかはお前が決めることじゃないだろ」
「アゼルは警戒心が薄いからオレが気をつけてる。何が悪い」
妹に寄ってくる危険の芽は早めに摘み取るのが、親がいない今、保護者たるオレの務めだろう。
だが目の前のバカウサギは、そう言ったオレを呆れてものも言えない、とでも言いたげな目で見やると盛大にため息を吐いた。
「…お前、アゼルのこと全然信用してないのな」
その一言にオレの苛立ちは3割増しになる。
「アゼルが自分を害する人間を見抜けないと思ってるだろ?仮に襲われたって、アゼルなら自分の身は自分で守れるぞ」
「そんなことはわかってるっ。アゼルを信用してないんじゃない、お前を信用してないんだっ」
バカウサギを睨み、更に指差しながら怒鳴る。
わかってないのはお前の方だ、バカウサギ。
アゼルはああ見えてその辺の素人よりは強い。確かに自分の身はある程度自分で守れるだろう。
だけれど。
警戒を解いた所で不意を突かれれば。
また、あんな事が起こったら。
絶対に許せない。
……許さない。
妹を傷つけたその男も、
守れなかった自分も。
脳裏に繰り返し再生される、紅。
「オレが怖いんだ…」
思わず本音が口を突いた。
「怖い?」
バカウサギが訝しげに眉を顰める。
「お前には関係ない話だ」
口を滑らした自分の迂闊さに小さく舌打ちして顔を背けた。
「とにかくっ」
追及される前にもう一度振り返り、思い切り目の前の少年を睨みつける。
「遊び半分でこれ以上アゼルに近づくな。二人きりになるな、指一本触れるな、て言うかもう家に来るなっ」
さっきの台所での映像が頭を過ぎる。『役者』に腕っ節じゃ敵わないだろうが、やはり一発ぶん殴ってやりたい。
アゼルに何かしようものなら、本当になんとしてでも殺してやる。
「遊び半分なんかじゃないさ」
心外だとでも言うように、バカウサギが片眉を上げる。
「貴族のお坊ちゃんがどうして帽子屋の使用人を真剣に相手にするっていうんだ」
どう考えたって、遊びだろう。アゼルが気を許した所でこっぴどく傷つけるに決まっている。
例え本人にその気が無くたって。こいつの周りだって、こんな平民と馴れ合うのを良しとはしないだろう。
どちらにしろ、最終的にはアゼルが傷つくことに変わりは無い。
「オレだって、遊び半分で大人たちの目を盗んで屋敷を抜け出してなんて来ないさ」
バレたらヤバイんだぜ?
全然ヤバくなさそうにそう言って、ヒョイと肩を竦めて見せる。
…やっぱり周りは認めてないんじゃないか。
「お前が心配するようなことはしないから安心しろよ。オレだって望んでないしな」
お前が敵わないような奴が近づいてきたって、オレがやっつけてやるよ。
不敵に口角を上げる少年に、胸の奥がジリジリと焦げ付く。やっぱり、全然わかってない。
「まーだわかってないようだからもう一度言うけど、オレはお前の敵じゃないぜ?…もしお前がアゼルの兄貴じゃなかったら、完全にライバルだけどな」
超強いガーディアンが増えたと思って喜べよ。
そう言うと規格外のバカウサギはいきなり目の前の塀に飛び乗った。
グレーの忌々しい瞳がオレを見下ろして不敵に笑う。
「またな、オニイチャン?」
オレが何か言う間もなく、屋根の上に飛び上がってその姿は見えなくなった。
……あの塀、身長の二倍以上あるぞ。
「はぁ?ふざけんな。誰がオニイチャン、だ」
取り残されたオレは胸の奥にくすぶる木炭の火のような苛立ちを抱えて、バカウサギのセリフを反復する。あんな憎たらしい弟をもった覚えはない。
言外に眼中に無いと言われているようで、イラつく。
出会って数ヶ月の奴がでかいこと言うな。
今のレイズに妹以上に近い存在なんてない。同じようにアゼルにとって兄である自分以上に近い存在はないはずだ。
生まれたときからずっと傍にいて、一緒に育ってきた。たかが10年、されど10年。ずっとオレが傍にいて周りの悪い奴らから守ってきたんだ。
…………一度だけ、致命的なミスを犯したが。二度は無い。絶対に。
これからだって帽子屋で一緒に修行して、二人で店を出すんだ。他人がオレたちの間に入って来られる余地なんて、これっぽっちも無い。
自分の思考回路の危うさに全く気づいていない少年は、敵と認めた少年が乗っていた塀の上を睨みつけ、踵を返した。
久々にあとがきを。
またもや番外編です。と言うか入れるタイミングを見極められず、フリーセル扱い。汗
とある日の一幕でございます。。
こいつらいつもガキのくせにマセたこと言ってんなーと思われているかも知れません。。。が。
小学校高学年とかそのくらいって(ネズミさんはもうちょっと年上ですが)、世界が狭い上に子供過ぎることもなく、更に面倒なことに大人になったつもりで背伸びもしたがる頃なので、大人から見れば「そんな大げさな」となってしまうような事でも、本人たちの間では痛いくらい真剣に難しくこんな会話をしてることがあると思うんです。めんどくさいお年頃ですねー。
作者の子供時代も、今振り返るとそんなエピソードいっぱいあります。恐ろしくて公表なんてできませんが。滝汗。
なので登場人物たちの年齢にしてはチョイ大人めで、大げさで、一生懸命な会話をさせています。子供らしい面も併せて出していきたいとは思っているんですが、追い追い。なにしろ作者の力量が。。。あわわ。
まぁこの世界の住人は皆さんどこか様子おかしいですがね。あはは。
読者様方も体調にはお気をつけて。