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Between Sun and Moon

 

―――歓楽街。




月の支配に屈しない、煌びやかで刹那的な夜の街。


月よりも明るく、太陽よりも暗いその街は、世界が一日を終えようとするこの時間に目を覚ます。



今は、まだ宵の口。表通りを一本入ったところにある、さして大きくない酒場。開店準備中の札に構わず、戸をくぐる。


「おはようございます、マスター」


この街では、日が落ちた後でも「おはよう」と挨拶をする。そんな街は、彼の性質によく馴染む。この世界の太陽には束縛されない。…目覚めた時が、‘朝’なのだ。


「おう坊主、来たか。今日は早くないか?…先週はどうしたんだ。エッタがむくれて帰ったぞ」


2週間ぶりに顔を出した人物に、店の主が開店準備をしながら声をかける。厳つい身体つきに灰緑色のくせの無い長髪を一つに括った姿は、実年齢よりかなり若く見えた。


「すみません。先週は気分転換に出張してみたんですけど…ダメですね。やっぱりココが一番居心地が良くて、営業しやすいです」


カウンターの隅に腰掛けながら、被っていた黒い外套のフードを背に落とした。

左耳の下でまとめられた長い髪は、濃い紅茶色。


「出張だぁ?どこまで」

「ハート地区の方です」


聞いた主は顔をしかめて首を振った。


「やめとけ。あんなところ、夜に客なんて取れんだろう」

「そうですね。…さっぱりでした」


そう言って苦笑する表情は、なぜかどこか愉しげだ。



数年前、ふとしたことで知り合った少年。時折店の片隅で飯を食わせてやっていたが、ある日他の客と話をしていたと思ったら、カウンターに来てトランプはあるかと言う。賭け事はするなよ、と釘を刺しながら奥から出してやると、話していた男の客に対して何やらカード占いを始めたようだった。忙しい店内でその顛末を見守ることは出来なかったが、後日、彼のいない日にその客が上機嫌で他の客に話していた。



失くしたと思っていた結婚指輪が見つかった、この店の小僧が言った通りの場所にあった、と。

ジョッキを握る左手の太く無骨な指に、華奢すぎる銀の輪。


これで嫁に面目が立つ、次に会ったら礼をしないとな。麦酒を煽って、そう笑っていた。





少女のような風貌の少年が、夜の盛り場で占いをしている。

このなんとも珍しい光景は、知る人ぞ知る‘ストレートフラッシュ’の名物となった。



「飯は」

「まだです」


主は慌しく開店準備をしながら、成長期真っ只中の先読み師の少年に賄いのシチューと丸パンを出した。


「今日はちょっと、早めに切り上げるかも知れません」


―起きたのが早かったので。

パンを飲み込んでから、そう告げてきた。



きれいに平らげる頃、主は表の看板の上のカンテラに灯を入れる。



パブ‘ストレートフラッシュ’の開店時間である。





王都レイシーの北側に位置するスペード地区。

このエリアは、東と西で全く別の顔を持っている。


大通りの西側は国営の劇場や音楽ホール、美術館などが立ち並ぶ知識と文化の中心地。この国で城の次に大きい建造物である国営図書館もこの地区の一角にある。自然と学生や研究者もこの地域には数多く住んでおり、文化人が足繁く通うカフェやバー、レストランも多数点在している。


一方、大通りの東側に足を踏み入れると雰囲気が一変する。西側の高尚な空気とは打って変わって、大通りから遠ざかるにつれて徐々に雑多で俗物的な街並みに変わっていく。行き交う人々もごく普通で、街の纏う気配は大衆文化のそれである。西側と同じように劇場や飲食店が立ち並び、一見すると他の街とさして変わらない。


だが西側と大きく違う点が一つ。世界が明るいうちは、立ち並ぶ劇場や店の半数以上が軒並み閉まっていることだ。


しかし、営業していた店のほとんどが店仕舞いをした後、それまで沈黙を守っていたそれらの看板が一斉に目を覚ます。瞬く星に対抗するかのように煌々と照らされ、街は昼間とは違う喧騒に包まれる。一日の労働から解放された人々が束の間の娯楽を求めて集い、酒を酌み交わし、歌と踊りに酔いしれる。


太陽より月に親しむこの街の素顔があらわになる時間。

裏の顔、ではない。



こちら側が、‘表’だ。






夜も更けて月が中天に差しかかろうという頃。



「あーーーっ坊や見ぃーっけ!!」


入り口の方から、店内の酔っ払いの喧騒に負けない大声が聞こえた。

今日3人目の客が終わってカウンターの端で大人しくジンジャーエールを飲んでいた僕は、声のした方に顔を向ける。顔を見なくとも声の主はわかっていたが。

声をかけてくる酔客をあしらいながらこっちに向かってくる、一目で夜の商売とわかる雰囲気の女が二人。麦酒と簡単なつまみを注文して、断りも無く僕の隣に腰を下ろした。


先週僕に会えずに終わってしまった、ダルシーとエッタ。二人とも年齢は20歳そこそこ。近くのシアターでダンサーをやっている彼女らは、もう付き合いの長い常客だ。


「お久しぶりです、ダルシー、エッタ。先週はすみませんでした。今日はもう上がりですか?」

「ううん、今日はお休み。先週はどうしたんだい?」

「あたしずーーーーーーっとここで待ってたんだよぉ?」


ねぇ、マスター?と、紅紫色のまっすぐな髪と茶褐色の瞳をしたエッタが、カウンターの向こうにいる主に甘えた声で同意を求める。


「先週坊主は忙しかったらしいぞ」


マスターがにやりと笑いながら助け舟を出してくれる。だがその声音は微量の嫌味も含まれていた。

…店に来ず出張なんてするから。

僕も無言で唇を歪めて返す。


「でもでも、週に一度も来ないなんて今までなかったのにぃ」

「その辺にしときな。素面のうちから絡んでどうする」


横にいた、柳色の髪と蒲公英のような黄色の瞳という少々珍しい取り合わせの色彩を持ったダルシーが、頬を膨らませたエッタをなだめにかかる。


数年前から大体週に一度、この店の客を相手に商売をさせてもらっている。昔は週に三、四度通っていたが、公爵家に入ってからはその頻度は落ちた。夜抜け出すのが少し面倒だからだが、周りには辻に立つ回数を増やしてると話していた。ここの人間には公爵家のことは一切話していないので、先読み師の少年はスペード地区のはずれからやって来るのだと思っているが、実際にこの少年の現在の家を知っている者は皆無である。



「そういえば、ちゃんと彼をディナーに誘えたんですか?」


手元にあるトランプをシャッフルしながら、先々週視たことを聞いてみた。

片思い中の男性にどうアプローチすればいいか、だったかな。

聞いた途端、エッタの顔がほころんだ。


「そうなの!成功したの!遂に二人で食事したの」

「それで、先週はそのお食事に何を着ていけばいいかを聞きたかったんだよね」


ダルシーが苦笑しながらつまみのナッツを口に放り込んだ。


「そういうことはカードに訊くより、女性同士で相談された方がいいんじゃないですか?」


少し首をかしげてそう返した。

…カードも訊いたところで答えてくれるだろうか。


「結局あたしが選んでやったんだ」

「ダルシーが、濃いピンクのドレスがいいって。本当は黒でシックにキメたかったんだけど」

「エッタが黒を着ると葬式になっちゃうんだよ。あれでいいの、似合ってたから。褒められたんでしょ?」

「うん」


語尾にハートマークが付きそうな声音でエッタがうなづく。

ダルシーが、本当にしょうがない、とでも言うように目を細めてジョッキに口をつける。同い年だというが、ダルシーの方がだいぶ落ち着いた雰囲気だ。生まれ持った色彩の印象は、まるで逆なのに。


一見全然合わなそうなこの二人は、郷里が同じ幼馴染。15の時に二人で田舎から王都に上り、トップダンサーを目指している。

本人たち曰く、幼馴染兼、親友兼、ライバル兼、戦友なのだそうだ。

ダルシーは姉御肌のしっかり者だが、エッタは少し心配性の気が強く、もっぱら先読みの依頼をしてくるのはエッタの方だ。こと恋愛となると、どうにも右往左往してしまうらしい。最近は意中の彼を振り向かせるためのあれこれをよく訊いてくる。 


ジョッキ片手に初デートのことを話し出したエッタに相槌を打ちつつ、玩んでいたカードをそっとテーブルに置いた。




今日はダルシーと二人で、エッタの無料恋愛相談になりそうだ。



◇◇◇†◇◇◇



 東の空から太陽が顔を出す。


 空気が、木々が、動物たちが、月の支配から開放される瞬間。




 見覚えのある路地。


 見覚えのあるドア。



 ボクはゆっくりとそのドアを開ける。


 生まれ育った家の居間で、こんな早朝からカードタワーを組む子供。


 開けたドアから風が舞い込み、組み上がったカードがハラハラと散った。





◇◇◇†◇◇◇




眠い目をこすりながら、喧しい通りを歩く。

フードを目深に被り、早歩きの足を更に動かす。




―――尾行られている。



さっき角を曲がった辺りから、男二人が一定距離を保ってついてくる。気配を丸出しにしているから、おそらく素人の物取り。

すっと路地に入り、積み上がった木箱を踏み台にして屋根に上がる。


バタバタという足音と狼狽する声が聞こえたが、まぁ追ってはこれないだろう。


今日はこのまま屋根の上を行ったほうがいいな。もう相当眠いから、相手をしている余裕はない。


早く家に帰り着かないと。夢に堕ちる前に。


月明かりに照らされて雲がグレーの影を浮かび上がらせている。誰に憚ることなく大あくびをしながら、屋根の上を歩く。自然と顔が上向き、思い出した。


あぁ、あの夜もこんな半月だっけ。






一目で貴族のものとわかる高級な馬車から降りてきた貴婦人の背後に浮かぶ、金色の半月。

逆光に浮かび上がるシルエットが、鈴の声で僕に尋ねる。



「…あなた、お名前は?」



絡んできた恐喝犯たちの呻き声が周りに響く中、あれ、ここはどの世界だろう、と思い返す。


そのときの僕は。僕の名前は。



「……ダスク」



まだそこは、‘僕の世界’だった。




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