The doubtful adopted child
我が主、女公爵が連れてきた今回の「坊や」は、ちょっと…いや、だいぶ変わっている。
この子の前の子も、その前の子もそうだったが、押し並べて皆きれいな顔をしていた。我が主本人も誰もが認める絶世の美女だが、間違いなく面食いで、下世話な言い方をすれば若干…否、かなりのショタコンだと使用人は口を揃える。…見たところ、好みの系統に一貫性はないようだが。
そんな中、今度のダスクという少年も、最初見たとき女の子かと思った。…ショタコンではなく、ロリコンだったのかと疑った一瞬だった。
紅茶色の長い髪に自家で取れたレモンのような濃い金色の瞳で、身長はそこそこあるが何しろ線が細く、成長期前の面差しは少女のそれと大差ない。来た当時はあからさまに栄養失調だったが、屋敷に来てからも身長は伸びたものの、その様はさして変わることはなかった。現在だと少し前に変声期を越したため少年だと知れるが、それでも口を開けばその見た目と声のギャップに違和感を覚える者も多い。
更に屋敷に来た当時からの悪い癖(?)で、その顔と声でクスクス笑いながら時々意味不明な謎掛けをして回っていることがあり、陰では気が触れているのでは、と根も葉もない事を言い出す者まで出る始末。
――あぁ、思い出した。「彼」が私に投げかけた、初めての「質問」。
芋の皮を剥いている私のところへやってきて、こんなことを聞いてきたのだ。
「ねぇ、ヘレイナ、どうして足踏みミシンは鋸と仲が悪いの?」
…そもそもなんで足踏みミシンと鋸が知り合いなのかをお教え願いたい。
気が触れていることはないだろうが、何を考えているのかとても掴みづらいのは、今も昔も間違いない。
そんな質問をされた後、彼に付けられた家庭教師に聞いてみた。彼曰く、頭は正常でむしろいい方らしい。居眠りが多すぎるが。
中身はともあれ、そんな彼は華奢な少年少女がお好きな我が主の好みどストライクであろう。あの飽きっぽい女公爵が名前で呼ぶことを許し、5年もお傍に置くなんて。
「あら、短時間でも傍に置くんだったら、見目は良い方がいいでしょうに」
そう悠然とキアランに言ったとか、言わないとか。
もういつのことだったかきちんと思い出せないくらい前の話になってしまった。確か、前の子が「お仕置き」されてから、2週間後のこと。女公爵がストリートチルドレンを拾ってきたと聞いてかなり驚いた。
女公爵はよく道端で子供を拾うらしいが、普段なら女公爵が主宰する団体が運営する孤児院に放り込んで仕舞いである。そしてその帰りに孤児院にいた子を適当に一人、屋敷に連れ帰ってくる。そうしてその子が「お仕置き」を受けると、また次の子がやってくるのだ。
拾って直接自邸に連れてきて、家庭教師を付けて教育を受けさせる、なんて事は本当に稀だった。自分より長く勤める執事のキアランに聞いても、ここまで入れ込むのは過去1度しか記憶にないそうだ。結局はその子も「お仕置き」されたらしいが。いずれにせよ、ダスクのことはよほど気に入ったのだろう。
…あんなにガリガリでは「お仕置き」はまだ当分なさそうだ。
そんな彼は目下、女公爵邸滞在記録を現在進行形で更新中である。
◇◇◇†◇◇◇
室内に足踏みミシンがあった。
…昔はミシンなんてなかったのに。
外は明るくて、家には自分以外に人の気配は無い。
足元には色とりどりの布地が散乱している。
窓際のトルソーには、作りかけの服が着せてある。
紺色のワンピース。誰の為の服だろう。
そもそも、この家に服を作れる人間なんていなかったはずだ。
近寄って服に触れようとした瞬間。
玄関のドアが開いた。
◇◇◇†◇◇◇
我が主、女公爵が連れてきた今回の「坊や」は、ちょっと…いや、だいぶ変わっている。
まず、一日のほとんどを寝て過ごしている。怠けている、という意味ではない。文字通り本当に眠っている。本人によると、だいたい一日18時間くらいは寝ているらしい。いくらなんでも寝過ぎだろうと思うのだが。
そして昼夜関係なくようやく起きてきたと思えば、使用人部屋にやってきて、お腹が空いたという。
…何時間寝ようと勝手だが、その協調性の欠片も無い生活リズムに周りを巻き込むのはやめて欲しい。
最初のうちは的はずれな時間でも仕方なく彼が食べ損ねた食事の残りなどを出してやったが、それが毎日のこととなると、いくら主が迎えた子と言えどもいい加減にしろと言いたくなってくる。週に4回も深夜にたたき起こされる私たちの身にもなれ、というものだ。
もしこの調子で夜中に起こされる事態が続くのなら、深夜手当てなどの待遇改善を交渉しようと他の使用人たちと話していた時分。小さな事件が起きた。
あれはダスクがやってきて3ヶ月ほどたったある日のこと。夜中に手洗いに立ったところ、台所で物音がした。
また「Rat」が入り込んだか、と廊下の隠し抽斗からナイフを取り出し、その場に灯りを置いて台所に向かった。その前数週間に渡って、朝になると食料が減っていることが度々あった。物取りの仕業かと思われたが、金品などには目もくれず、ただ食料だけがなくなっていた。
夜中に屋敷内を歩き回る、という点で一番に容疑がかかるのはダスクだが、問いただしても頑なに「自分ではない」と言い張った。確かにこの少年が起き出すと、誰かしら叩き起こしていた。
とは言っても、出自がストリートチルドレンということもあり、来たばかりのダスクを完全に信用していない人間も屋敷内に少なからずいた。実は警護という名目で夜中見張りを付けてもあったのだ。それまでのところ被害は食料品のみだったが、何かがあってからでは遅い。屋敷全体で警戒を強めていた。
閉まりきっていないドアをそっと押し開け、台所の床に置かれた灯りが映す影の本体に向かってナイフを一本放った。
空気が動いた瞬間、そいつが反応した。投げたナイフが別の何かに当たったのだろう、鈍い音が響くが手ごたえは無い。思わず舌打ちした瞬間、代わりにわずかな光を反射して何かが飛んできた。咄嗟にドアを楯に身を引く。
タンッと小気味よい音を立ててフォークがドアに突き刺さった。
「誰!?」
ドア越しに小さく誰何の声を上げた。
「……なんだぁ、ヘレイナか。びっくりしたぁ」
暗がりから気の抜けた少年の声がした。
床に置いていた灯りを取り上げ、こちらに向けた。
「………ダスク様?」
灯りに照らされたのは、女公爵が連れてきた少年だった。
「フォーク投げてごめんねー。お腹空いちゃったんだ」
「どうしてここに?ご自分ではないと言い張ってらしたでしょう?」
外見は、先日無実を頑として主張していたダスク……なのだが、何かがおかしい。
それに見張りはどうしたんだ。
「うん、ダスクじゃないからね、ボク」
少年は訝しむ私に向かってニコニコ笑って見せた。
…なんだって?
「ほら、ダスクがいっつもみんなのこと夜中に起こして、悪いなぁと思ってさ。なんか食べられるものないか、自分で探してたの」
眉根を寄せる私にお構いもなくニコニコと話し続ける。
胃の辺りがざわつく。
普段のダスクは礼儀正しくおとなしい少年なのに、言葉使いといい、クスクス笑う表情といい、まるで別人のような豹変振りだった。いや、目の前の少年はその口ではっきりと自分はダスクじゃないと言い切ったではないか。
「じゃあ、あなたは誰なんですか」
――私の問いに、この無作法な少年はドーンと名乗った。体は一つだがダスクの片割れだと言う。二重人格なのかと思ったが、本人曰く、世に言う二重人格とはまた別物なのだそうだ。チャンネルが少し変わっただけで、どちらのときの記憶もお互いちゃんとあるのだと。
まぁちょっとややこしいから、二重人格でいいよ、と笑いながら肩をすくめた。
年端もいかない子供のそんな態度にむっとして眉をひそめたちょうどそのとき、先ほどフォークが突き刺さったドアから見張り番のはずの使用人が顔を出した。
「ヘレイナさんどうしたんですか、こんな時間に……って、ダスク様、どうしてここに!!」
部屋からいなくなったダスクを見つけて目を丸くする。
「ちょうど廊下でダスク様とばったり会って、夜食を」
「目が覚めてお腹が空いたんですけど、あなたはドアのところでうたた寝してらしたので、起こさないで来たんですよ」
二人揃って口裏を合わせる。お互い先刻のことがバレては何かとマズイのだ。
うたた寝をしていたのは本当だったのか、やや疑いのこもっていた眼差しが急にオロオロし出した。
「え、…そ、そうだったんですか、なら、いいんですが。…遅くならないうちにお戻りくださいね」
そう言うとそそくさとドアの向こうに消えた。
この少年にナイフを投げたことが女公爵に知れればどうなることか。首が飛びかねない。
私は安堵の溜め息をつき、ダスク…もといドーンはクスクス笑った。
……この子は事ある事に笑うのが癖なのだろうか。
イマイチ納得いかないところもあるが、要するに、だ。
睡眠不足の頭を無理矢理動かす。
今目の前にいる食料泥棒は、体は同じでも私たちが今まで知っている「ダスク様」とは中身が別人の「ドーン」である、と。
「…………だから、ダスク様は‘自分’じゃないと」
台所に忍び込んでいるのはドーンであって、ダスクではない。だから彼は‘自分じゃない’と言った。
「そして、ドーンのことを言わなかったのは、誰も‘じゃあ誰なんだ’とあの子に聞かなかったから」
当ったりー、と目の前の少年は口角を上げてニッと笑った。
真相を思い当て、思わず溜め息が出た。いろいろな意味で。
「ヘレイナって、ナイフ投げるのうまいね。コックさんって、みんなナイフ投げ出来るの?あんなに暗い中で頭の上すれすれだったよ」
今度教えてよ、と目をキラキラさせて無邪気に笑った。料理人が揃ってナイフ投げが出来るわけではないが。
まさか侵入者がこんな子供だとは思わない。手元が狂ったかと思ったが、単に的が低すぎただけだったらしい。
「もうお教えしなくても出来るのでは?」
さっき投げたフォーク。10歳やそこらの少年の技ではない。
…本当にただのストリートチルドレンだったのか?さっきはあんなことを言っていたが、この様子だとあの見張りにも気付かれずにここまで来たのかも知れない。それに、女公爵はこのドーンの存在をご存知なのだろうか。
「今まで隠してたんですか?」
「ううん、別に隠して無いよ。普通に昼間もボク出てるし」
ダスクって呼ばれても返事しないよ、とさらりと言った。…なんで3ヶ月間誰も気付かなかったんだ。頭を抱えたくなった。
「ねぇところで、こないだの答えわかった?」
笑う少年を前にこめかみを抑えて記憶を辿る。
先日、ダスク様―今思うとドーンだった―がクスクス笑いながら聞いてきたこと。
「あの、足踏みミシンが鋸と仲が悪いとか―」
「そう!それ!」
頭が痛くなってきた。いきなり何を聞いてくるのかと思ったのだ。普段のダスク様はそんな奇妙なことを言い出す子ではないのに。だが、このドーンなら合点がいく。
「わかりません。そもそも足踏みミシンと鋸が出会うきっかけがわかりません。出会わなければ仲がいいも悪いもないでしょうに」
ぐったりしながら答えると、さも不服そうに唇を突き出した。
「えー、鋸が家に来てたのに…」
またよくわからないことを。どうやって鋸が家を訪ねてくるんだか。
ドーンの言うそれが二重人格とどう違うのかは、一介の料理人に過ぎない私には知る由もないが。
ひとまず考え込んでいるドーンに、冷蔵室に夜食用のサンドイッチを常備するから、今後夜中に台所を漁るような真似はしないことを約束させた。
お互い今夜のことは他言無用で、と再度口裏をあわせ、ダスク…もといドーンを部屋に帰す。これで私の首は当面大丈夫…だろうか。
再度大きな溜め息を一つ吐いて一人ごちた。
「全く、とんでもなく大きなRatだこと」
そうして、公爵家の使用人はダスクによる安眠妨害からあらかた開放され、それ以降、朝起きて食料が無くなっていることはなくなった。
ちなみに後日お伺いしてみると、女公爵様はドーンの存在もとうにご存知で、食料泥棒がドーンであるということも勘付いていらっしゃったそうな。
どうして教えてくださらなかったのか、と思わず非難の視線を送ってしまったが、そんなものはどこ吹く風でこうのたまった。
「だって、面白いでしょう?」
さすが、我が主である。
今回は公爵家の使用人、ヘレイナさん目線でした。彼女はコックさんです。原作をよくご存知の方なら、なんとなくわかっていただけるかと。