His first love
2日前のこと。
クレセント坊ちゃんが夕食後私の部屋に来て、太陽の日の予定を空けておけと言う。
事情を聞けば、先日の帽子屋の兄妹を家に呼んで、あの紅い髪のシスコンお兄ちゃんとお気に入りのアゼルを賭けて勝負するという。あの兄の方…レイズと言ったか。
レイズが勝てば、坊ちゃんはもう帽子屋の兄妹に一切関わらない。
坊ちゃんが勝てば、レイズは今後アゼルの友達に暴力を振るわない。
……いつの間にそんな段取りをつけたんだ?
さらに驚いたことに、アゼルが二人の血を見るのを嫌がったので射撃で対決するという。
気に入らないヤツは問答無用で沈めるこのクレス坊っちゃんが。
「…明日は雪かしらねぇ」
ラティカは驚きのあまり左手を額に当て、しばらく言葉が継げなかった。
その幼少期からそのやんちゃぶりを如何なく発揮してきた目の前の少年が、あまつさえ薔薇の花を携えて気になる女の子に会いに行ったなどと、ラティカには想像もついていない。もし知ったら、雪どころか天変地異が起きて王都が崩壊する心配をしなければいけないだろう。
「どういう意味だよ?オレが負けるわけないだろ?」
不服そうに眉根を寄せて見上げられてしまう。
「…いや、そういう意味ではなく」
いろいろと意外過ぎる。
………否、成長したということか。
この三男坊はラティカが知る限り、売られたケンカや勝負は100%その場で買っている。
一見普通の少年なのに速さが見た目を大きく裏切っているので、相手は何が起こったのがわからず仕舞いなこともしばしば。何も知らず突っかかって、大抵その場で相手は地べたを舐めることになる。
数年前までは貴族同士の集まりなどでも、気づくと公爵家のご子息とケンカをしていたりした。頭より先に手が動くタイプの典型だろう。沸点が低いと言うか、何と言うか。まぁ話を聞くと9割方あちらに非があるのだが、爵位の上下など全くお構いなしなので、当面の伯爵夫妻の最大の悩みのタネの一つだった。
だがここ最近は集まりに顔を出す回数自体が減り、森の木の上で本を読んでいるか、一人で銃の練習をしているか。元来あまり大人数で騒いだりということは好まない性格ではあったが、周りの大人たちは思春期に差し掛かる少年にありがちな引きこもり傾向だと捉えていた。
それでも今回は違ったらしい。睨み合いにはなったが、アゼルの希望を汲んでその場で手を出さなかった上に、代替策まで講じて見せた。先日の帽子屋で、ほぼ初対面の紅い髪の少年に手を出さなかったことで遂に大記録返上かと思っていたのだが、やはりというかなんというか、件数は減ったものの、ケンカ買取率100%は着実に更新されていた。
その勝負のジャッジを頼まれた。本来ラティカは太陽の日は非番なのだが、こんな面白そうなこと、断るわけがない。
「あぁ、ところでさ」
「何か?」
話は終わったとばかりに部屋を出て行きかけたクレスが、ドアの前で振り向いた。
「ラティカ、どうしてあの帽子屋の連中がみんな揃って銃を使えるのか、知ってるか?」
「…そうなんですか?」
…初耳だが。
「アゼルまで練習してるらしいぞ」
「へぇ」
あの子も撃てるのか。
かなり意外だった。
「特にそんな話は聞いたことありませんが…」
「…ラティカでも知らないか」
ドアの前で腕を組んでなにやら考えこむ少年。
「普通の帽子屋に、銃は要りませんけどねぇ」
ラティカも頭をめぐらせるが、特に思い当たる理由も無い。
「調べといてくれるか?」
「わかりました」
……惚れた弱みかねぇ。しかしなぁ…
銀髪の少女に今までにない執着を見せる教え子を思い、クレスが部屋を出て行ったあと、一人でしばらく複雑な顔をしてしまったラティカだった。
これまでは子供だからと周囲もある程度の自由は容認してきたが、これから先クレスは将来を見据えて進路を決めないといけないし、年頃になれば然るべき縁談も持ち上がるだろう。
その時に平民の少女が、三男とはいえ伯爵家子息であるクレセントの中でお気に入り以上に昇格しているのも、それはそれで問題になるに違いない。
最終的に一番苦しい思いをするのは、クレセント本人なのだから。
先日の少女との初対面の様子で発覚したクレセントの女性の好みは、ラティカとしてはかなり意外だった。確かに、貴族の令嬢にはあまりいないタイプ。道理でこれまで周りの姫たちには全然目もくれなかったわけだ。いつもにこやかに、と躾けられている姫たちの多くは楽しくなくてもニコニコとよく笑う。その反面キャーキャーとよく騒ぎ、よくしゃべり、よく泣く。体よく言えば、結構、やかましい。
比べてあのアゼルという少女。銀髪に青紫の瞳を有した顔立ちは、大人になれば可愛らしいより綺麗という形容詞が付くだろう。大人しくて、おそらく普段表情は乏しい部類。一見無愛想にも見えるが受け答えもしっかりしていたし、語尾も優しい。先日の食事中にも一度も嫌な印象を受けることは無かった。
大人の目から見ても、貴族の子供社会の中でクレスはそこそこモテる方だ。父伯爵と同じ灰茶の髪と濃いグレーの瞳に、母譲りの整った顔立ち。気の強い性格と素行でどこまでも紳士とは言い難いが、彼の強さはなよなよした他の貴族の子息らと比べても、少女たちには逞しくてかっこいいと映るのかもしれない。これまでも可愛らしい姫君からアプローチを受けたことも少なくなかったが、残念なことに本人はさっぱり相手にしてこなかった。
だがそんな一見淡白な少年が、先日その少女の笑顔を初めて見た時の顔と言ったら。
……もう手遅れかもな。
それでも。
レイズの銃の腕は知らないが腕っぷしで勝負というわけではないので、的までの距離が延びてくれればあちらにも勝機はある。
年の離れた弟のような少年の初恋を応援したい反面、レイズに勝利の女神が微笑んでくれることを心の片隅で祈った。
◆◆◆◆◆
………しまったなぁ。
クレスは心の中で大きく舌打ちした。レイズがこんなに上手いとは思わなかった。
ここまで距離が延びる前にケリがつくと高を括っていたのだ。クレスとしてはそろそろ決着をつけないと確実に不利になる。
5メートルから始めた的当ては、両者譲らず距離がどんどん延びていった。今現在、目の前の的はラインから30メートル先の樹に括られている。
実は遠隔射撃はあまり得意ではない。本来なら接近戦専門なのだ。
視力があまり良くないから。去年あたりから本を読むときなどは眼鏡が欠かせなくなった。
「……なぁ、お前。」
ラインに向かう前に、レイズに聞いておきたいことがあった。
「どうしてアゼルから友達を遠ざける?アゼルも嫌がってるんだろ?ちょっとくらいからかわれたって、気にしなければいいだけだ」
「……お前には関係ないだろ」
「あぁ、関係ないけどな。お前がアゼルから鬱陶しがられて口を利いてもらえなくても、オレの知ったこっちゃない」
いつからかは知らないが、見たところ今現在アゼルはレイズと口を利いていないらしい。
……たぶん一昨日オレが帽子屋に行ってからずっとだな。ニヤッと意地悪く笑って横目でレイズを見る。
カッと顔を赤らめて睨み返してきた。
「いくら兄貴だからって、いつかアゼルに嫌われるぞ」
「得体の知れないヤツをアイツに近づけるわけにはいかないんだ」
「……伯爵家の人間を得体が知れないなんていう奴はお前くらいだぞ」
「怪我をさせるヤツなんて、それ以前の話だな」
オレから目線を離し、的を見た。
「……お前、本当にアゼルが大事なのか?」
「は?」
意味がわからないというようにクレスに視線を戻した。
「お前が怪我して帰ってくるって話す時のアゼルの顔知ってるか?大事ならどうしてあんな悲しそうな顔をさせるんだよ?」
「余計なお世話だ」
このバカ、いい加減にしろ。紅い石頭にイライラしつつ再度言い募る。
「せっかく出来た友達もお前のせいで離れてくんだろ?嬉しくないってこないだ言われてたじゃないか。」
言い返せないのか視線が更にきつくなった。
「お前がアゼルを不幸にしてるんだろ。お前がやってるのはアゼルの為じゃなくてただの自己満足だ」
クレスの脳裏に、渡したピンクの薔薇と青紫の潤んだ瞳が蘇る。
「…何も知らないくせに偉そうに言うんじゃねぇ!!」
そう言うなり、いきなりレイズはオレの胸倉を掴んできた。オレも反射的に持っていた銃をレイズのこめかみに突きつける。どうせ中の弾はインク弾だから打ってもたいした怪我にはならないが、至近距離で打てば衝撃で脳震盪くらいは起こすだろう。
「お前にアゼルの何がわかる!」
頭の銃口を気にもせずレイズが拳を振り上げた時、ラティカが背後からその腕をひねり上げていた。
…いつの間に来たのやら。いつも思うのだが、気配を消していきなり現れるのは勘弁してもらいたい。
「ほら、始めますよ?クレス坊ちゃんも落ち着いて。今日はソレで決着を着けるんじゃないんでしょう?」
ギリギリとレイズの腕を押さえたまま、ラティカがオレににっこりと笑いかけた。…目は笑ってないんだが。
二人とも拳を収めたところで、勝負再開となった。
今のところダークな要素薄めですが、タネはあちこちに蒔いているので、そのうち芽を出してくれることを切に願います(爆)