31話 運命
「残念。負けちまったな」
「軽すぎだろ。奏、創に説教してやってくれ」
「言っても、仕方ないことです」
「そんな簡単に納得できねーわ」
奏は観客席から試合を眺めて、それに先ほどの自分たちの試合を重ねた。
そして思わず微笑んだ。
「奏までどうしたんだよ。な、零。二人ともおかしいぜ」
「全力を尽くして負けたんだ。それに、いいプレーもできた。悔しいけど、清々しい気持ちだよ」
「あんたもかよ……」
「ふふっ。クロ様は誰よりも負けず嫌いで可愛いですね」
「それが普通だろ」
春に笑われたクロは頬杖をついて、とうとうむくれてしまった。
丸くなった彼の背をオジサンが優しく撫でてやる。
「その悔しい気持ちは、次の試合で爆発させよう。僕はそうやって戦ってきたよ」
「オジサンに言われると、何も言い返せねーよ。でもそうだな。ウジウジしてたって仕方ねーわな」
「そうだ!この悔しさは、あいつにぶつけてやろう……!」
創は突然に何かを思い出すとワナワナと震えて、まるで今にも噛みつきそうな犬のように表情が険しくなった。
ぽん、と春が気付いて手を打った。
そして嬉しそうに声を上げる。
「はい!私、春麗嵐、分かりました!いえ分かりますよ!創様は宿命のライバルとの戦いに燃えていらっしゃるのですね!」
クロも納得する。
「ああ。次の相手は、以前の県大会で優勝したもう一方のチームだったな」
「しかし、どうして同じCクラウダーなのでしょうか?クジを引き直さなくてはならないのでは?」
春が何かの間違いだと疑問を抱くのは当然だ。
このようなトンチンカンわけわかめこんぶのり、決して人の気まぐれでは許されない。
それでも、突然やけに落ち着いた創が静かに言葉を返す。
いいや諦めたように言葉を吐く。
「ねこが選んだクジの結果だ。ねこの気まぐれには誰も逆らえないのさ」
腕を組んだオジサンが目を閉じて頷く。
あらためて伝えておこう。
ねこバスケにおいて、その全ては、ねこの自由意志が絶対である。
それはある選手に、ねこバスケは猫に好かれた方が勝つ、と言わせたほど。
かつて猫の自由意思によって逆転され敗北したチームもいるのだ。
それがどんなものか、いずれわかる時が来るかもしれない。
「やっぱり運命なのね」
「麗嵐、もう何も言うな。できれば思い出したくない」
「え?」
「注目も人気も総取りされたもんな。僕たち優勝したのに浮いてたぜ」
「クロ……何も言うなって。今そう言ったよな?」
憎しみ渦巻く回想。
県大会で優勝して立った表彰式の舞台で、自分の隣に立つ少年が大注目とカメラのフラッシュを朝シャワーのように爽やかに浴びていた。
永遠に感じたマスコミの質疑応答もようやく終わり、マイクが他の人に回ったその時、挨拶もなくいきなり彼に話しかけられた。
「知っておるか?ねこバスケは猫に好かれた方が勝つのじゃ」
「え、はい」
意外と人見知りなのが創様のチャームポイントの一つだと、春の手帳にはラメペンのピンク色で下線を引いてメモしてある。
「己は猫に育てられた。誰よりも猫について知っておるし、愛されておる」
「ははは……」
痛い人だ、と悟った創は直ちに心の中で失礼を反省するも、引きつった顔で愛想笑いを返した。
対する相手は、ずっと微笑んだまま。
糸のように細い目。ややしゃくれ笑み。
創は彼の笑顔を眠るネコの表情と重ねた。
「ところで、そちはどうも犬っぽいの。もしや犬に育てられたか?」
「わ、すごい失礼。育てられてないけど犬はいますよ」
「なら悪いが、次の大会でもし争うことになれば勝つのは己等じゃの」
「は?」
「ねこは、そち等には懐かぬじゃろう。まあ、しかし気を落とすな。犬派ゆえに仕方のないことじゃ」
犬派を侮るなよ?
一方的にケンカを売られて話し終えられた創は三日ぐらいムカムカしてゴロゴロしてワンワンをもふもふした。
のを思い出した。四回くらい。
「あいつだけは絶対に許さねえ……!」
クロが呆れた様子でため息を吐く。
「情緒不安定か。あんた、やっぱあん時に何か言われただろう。声が小さくて僕には聞こえなかったけど」
「ふっ。取るにも足らない宣戦布告だよ」
「その取るにも足らない宣戦布告をいつまで引きずってんだ。あれ?もしかして目立ちたかったりする?」
「ねーよ」
「まあ、とにかく冷静に頼むぜ」
「分かってる。冷静に負かして泣かす」
「おほー……!創様のトゲトゲした部分もまたそそる!」
「姉さんキモい」
「零!お姉ちゃんに対して、なんてこと言うの!」
「小声で、聞こえないように配慮したんだけど」
「ちゃんと聞こえましたー」
「まあまあ。ここで、きょうだい喧嘩はよそう」
奏になだめられて、きょうだい喧嘩は避けられた。
しかし犬派と猫派の闘争は避けようがない。
奴の憎い顔がよみがえるぞ。
「負け犬の遠吠えは、よう響くのう」
なんて言われたら初めて人を本気でぶん殴るかも知れない。
犬のお巡りさんに捕まって、麗嵐というストーカー猫が困ってしまって泣いてしまうようなことは絶対にあってはならない。
創は拳を痛くない程度に握った。
絶対に負けられない戦いが、そこにはある。
とは、サッカーワールドカップのキャッチコピーである。
「初戦は大健闘。シュートの精度、ドリブルの技量、ディフェンスの鉄壁。そしてチームワークの結晶。その全てが光り輝いていた。華麗な舞を披露してくれたエバーマスカレードに盛大な拍手を送ってくれ!」
ヤンキー先輩の面影を忘れられないMCがハイテンションで賛辞を呈して紹介。
エバーマスカレードは会場に集まった観衆より万雷の拍手で迎えられた。
「嬉しい紹介ですね。とても盛り上がります」
「僕は苦手だな。大げさで恥ずかしいわ」
正反対の感想を述べる奏とクロ。
その隣で、創がボールを抱えて女の子みたいにモジモジしていた。
「兄さん。だいじょうぶ?」
「お、おう。ぜーんぜんだーじょぶだあ」
「姉さんとデートの約束したから緊張しているの?」
零が悪戯な顔して耳元でささやく。
ギクっと創の肩が跳ね上がった。
「姉さんが試合に送り出す時、こっそり兄さんの背中に飛びついて何かささやいてたでしょう。頭を背中に押しつけて」
「みんな俺の前にいたよな……?」
「物音がしたから振り向いたの。そうしたら、見ちゃいけないものが見えちゃった」
「じゃあ見るなよ。それで、ぜんぶ聞いたのか」
「聞こえちゃった」
「誰にも言うなよ」
「うん。この試合、絶対に勝とうね」
「二人で何を話しているんですか?練習時間は貴重ですよ」
「な、何でもねーよ!奏こそ集中だぞ!」
「うん?」
チーム紹介に続いて選手紹介が終わると、一呼吸置いて、解説は次に移る。
創は練習に集中しながらも耳をそば立てた。
「さあ、続いては!初戦から迫力あるプレーで耳目を集めたLAYBACK CATを紹介だ!彼らのプレーは野良猫のように荒々しいのが特徴だ。駆け回るようなパス回し、飛びかかるようなドリブル、そして話題の屋根超えダンクシュートが驚異的で目を奪う。また、獲物を狩るようなディフェンスも脅威的で要注意だ。彼らが一瞬一瞬に魅せる、きらめく奇跡いや猫の足跡を決して見逃すな」
先ほどの明るいキラキラしたノリとは打って変わって、声色を変えて紹介された。
すごくシリアスで、まるで会場にいる人たちに注意を促しているようだ。
「今の紹介は、我々にとって良いアドバイスになりましたね」
「ちょっと分かりづらいけど、まるでヒントだな」
今度は意見が一致した奏とクロ。
その隣で創は、ある選手をジッと見つめていた。
「猫屋敷初心。高校三年。百五十八センチの身長でダンクを決めることから化猫選手と呼ばれ親しまれる。そして屋根超えダンクシュートという名前まで付くほど、バスケ界だけじゃなくて日本中から注目を集めている、今現在、最も期待されている選手」
零は、創を刺激しないよう落ち着いた声で、そっと呟いた。
「猫に育てられたらしいよ」
「インタビューを読んだよ」
「そんなのあるの?いや、人気者ならあるか。で、いつ見たんだ?」
「試合前にネットで。兄さんがあまりにも敵視するから気になって調べた」
「その話は事実だった?」
「ん」
猫屋敷ウブは山深い秘境の集落出身。
母は陶芸家で仕事場にこもり、父は町に構えた店に出て夜まで帰って来ず。
祖父母もまた早朝から夕方まで畑仕事をやっていた。
そこで彼の子守りを任されたのが、クマという名前の大きなハチワレだった。
「ねこに育てられたっていう、あいつの言葉に嘘偽りなしか」
「それで、誰よりも猫について知ってるし、愛されてるって」
「はは、それ言われた。鼻につく」
「そうなんだ。でも、犬も好きらしいよ」
「マジ?」
「近所に犬もいたから。あとウサギとか、ニワトリにアヒルもいたし、ヤギもいたって」
「へえ。じゃあ猫派の動物好きなんだ。気が合いそうではあるな」
「友達になりたいの?」
「それはない。おい、聞いたか!いま小犬丸って名前が紹介されたぞ!ニックネームかな?」
「本名じゃないとダメでしょ」
「良かった!あいつのチームにも犬派がいるんだ!」
「みんな猫派だって書いてたよ」
「ああそう……」
「そもそも名前で決めつけちゃダメだよ。偏見は時代遅れ」
「そだね。ごめんなさい」
「反省のお手」
……ぽふ。
「て、コラ!調子に乗るんじゃない!」
「わー。叩かれるー」
「こほん。二人とも、試合が始まりますよ」
「はーい」
「奏」
「ん?創様、どうしました?」
「負けたくない」
「……ふふ。十分わかりました。親愛なる友の剣となり盾となることを、今ここで誓いましょう」
「照れるな。でもありがとう。それじゃ行こうか」




