3話 細川奏、猫の手を借りて
隣のクラスに先輩とタイマンを張って勝った男がいる。
犬飼創、彼はモテるタイプだったと記憶しているが、今では一躍、性別学年問わず学校一の人気者になった。
とは言え、一週間を過ぎればそれも落ち着いた。
彼との接触を図るなら今が好機だろう。
だが面識がない。
いきなり声を掛けてはファンの一人だと勘違いされる可能性がある。
なにより警戒されたくない。
そこで、まずは彼女と交渉することにした。
「ねえ。二人はまだ付き合ってない感じ?」
「ちょっと笑わせないでよ冬ちゃん高校生で男女交際なんて少女漫画の世界だけだよ。あはははははー」
「そんなことないって。私、彼氏できたもん」
「びえーん!そそそんなあ……誰と……」
「うそ。冗談」
「もう!からかわないで!」
「ふふっ。だって春ってば、からかうと可愛いんだもん」
「それは意地悪だよ……ん?」
「やあ。二人とも俺のこと覚えてる?」
俺と彼女たちは小学校より同じ学校に通っている。
クラスは同じだったり違ったり。
それでも互いに顔も名前もよく覚えているはずだ。
「あんたみたいな、おっきい人。絶対に忘れないよ」
「私も覚えてるよ!えーと、んーと、あれーと?ちょっと待ってね」
「春。名前を忘れても俺は気にしないよ」
「うう……ほんとごめん。たしか女の子みたいな名前だったよね。あ、失礼だったかな?」
「ううん。細川奏だ。改めてよろしく」
「よろしく!春麗嵐です!」
「二人とは、この高校に入ってからクラスが同じになることがなかったから、何だか懐かしい気分だよ」
「だねー。で、奏さんはどうして突然うちのクラスに来たのかな。まさか……あんたも春を狙ってる?」
「えっ!奏様が私を!?」
「奏も様付けするんかい。あんたイケメンにすぐ惚れるんだから。よくないよー」
「えへへ……すみません」
「こほん。実は春、君に相談があるんだ」
俺は彼女に犬飼創を紹介してほしいと頼んだ。
らんらんと目を輝かせているが、一体何を期待しているのだろうか。
彼女が、少女漫画が大好きだということは小学生の時から知っているが……。
「まさか、告白とかしないよ?」
「え……?」
「そう勘違いさせたかなって」
「ややや!私そんなこと考えてませんよ!?」
「考えてたんでしょ」
冬が呆れながらも楽しそうに言う。
お互いを深く理解しているのだろう。
俺にはまだそんな友達はいない。
二人の関係を、うらやましいと昔から思う。
俺はとにかく勉強を優先してきた。
優等生に思われがちだが、実際はそうではない。
頭の出来は恐らく、よくて中の位だ。
生まれつき体が大きくて目立ち、小学生の頃にからかわれたことがある。
それから勉強を頑張って頼られる立場を必死で作っている。
これなら馬鹿にされることはない。
だが同時に、遊びに誘われることが少なくなってしまった。
遠慮しているのか。
真面目でつまらないと思われているのか。
「どうしたの?奏様」
「恥ずかしいから、様はやめてほしいな」
「でも奏様は優等生で王子様みたいだよ!」
春がまた、らんらんと目を輝かせて俺に期待する。
俺は、みんなが思うような人間じゃない。
「奏さん。無理しなさんなよ」
「ん?無理なんてしてないよ」
「うん。それならいいんだけどね」
冬は気付いているのか。
いやまさか、ないな。
春の世界に無理に付き合うことはないという意味だろう。
「それじゃ、また」
「うん。またいらしてね奏様!」
「喜んで、お姫さま」
「きゃ!お姫さまだって!初めて言われたー!嬉しいー!」
「春は単純なのか素直なのか、私はたまに分からなくなるよ」
「冬ちゃん。それどう言う意味かしら?」
仲睦まじい二人と別れて自分の教室へ戻る。
授業までの残り時間、簡単に予習でもしよう。
ルールは覚えたから、次はドリブルを……。
「創様!」
「おう、春。帰るぞ」
「ちょっと。隣の男子が気にならないんですか?ひょっとしたら私の恋人かも知れないんですよ?」
「ねーよ」
「ふしゃあー!」
猫かな?
それよりも彼に敬語を使うなんて、よっぽど尊敬しているようだ。
ようし。それなら俺も一つ見習おう。
相手を敬う気持ちは大切だからな。
「はじめまして、犬飼創様。俺は細川奏と申します」
「え?あ、はじ、え、はじめまして」
戸惑っている。失敗したかな?
こういうことがあるので、自分から誰かに話しかけることは難しい。
でも少しずつ乗り越えてゆかねば。
「急に敬語なんて使って、どうしちゃったの奏様」
「春、お前まさか男子全員に様を付けてるの?」
「王子様だけですよ」
「ああそう……」
「すまない春。彼と話がしたいんだが……」
「あ、話の枝を折ってごめんね」
「腰だ」と彼と同時に答える。
春といると、どうも調子が狂うな。
まるで猫にもてあそばれているようだ。
「それで奏……さん?くん?」
「どちらでも構わないですよ」
「じゃあ……奏!」
呼び捨てか……嬉しい!
まるで親友みたいだ!
彼は照れくさそうに笑う。
これは仲良くなれそうな予感。
「で、俺に話って?」
「君にぜひ、ねこバスケを教わりたいのです」
「ああー……お前もか」
創の表情が曇った。
これまでに多数の生徒から言い寄られたのだろう。
きっと、中にはからかい半分も含めて。
もしそうなら嫌な気持ちになるのも仕方ない。
断られたら素直にあきらめよう。
「創様、断る理由ないよね?」
「うん……そうだな」
「嫌なんだ……創様は人見知りだもんね……」
「やっほー!嬉しいなあ!ぜひ一緒にやろうよ!」
「わーさわやかー」
「ありがとうございます!」
「そんなに俺と、ねこバスケやりたかったの?まさか……お前も先輩に目をつけられたのか!?」
「いや、そんなことはない」
「なら良かった」
「実を言うと、俺は文武両道を目指しているんです。その為に教わりたい」
「部活には入ってないの?」
「うん。勉強を優先していましてね」
「じゃあ、ねこバスケよりも」
「やります。決めたんです」
「勉強は大丈夫?無理するなよ」
「スポーツも勉強です」
「そうか。じゃあ行こう」
「むふふ……青春の匂いを感じますな」
「この変態は放っておいていいからな。あんまり気にするなよ」
「何ですって!奏様は私が変態じゃないって、ちゃんと分かっていますから。ね?」
「うん。君のことは少なくとも彼より知っているつもりだ」
「ほら」
「ちょい待ち。春と奏ってどういう関係?」
「むふふー気になるでしょう?教えませんよ?」
「ちぇ。じゃあいいよ」
こんなふうに二人と楽しく会話を交わして歩いていると、あっという間に目的地の一軒家に着いた。
そこで彼らに紹介されたのは、ねこバスケの元日本代表選手だった。
俺もテレビで見た記憶があるのでとても驚いた。
彼より圧倒的に歓迎されて、ご親切にクッキーと紅茶をいただく。
大変恐縮だが、緊張の糸が少しほぐれた。
「まさか、創様がプロより指導を受けていたとは」
「あれ?君も様付けするの?」
「オジサン、気にしないで」
臆することなくオジサンと呼ぶとは、二人はどれほど前から親しくしているのだろう。
思わずたずねると、高校に入学した時から、つまり一年前だと言う。
しかし、ねこバスケを教わったのは夏休み前。
短期間で先輩に勝つほど上達するとは、よほど教えが上手いに違いない。
俺は早くバスケがしたくてたまらない気持ちになっていた。
「コーチ。さっそく俺にも、ねこバスケのご指導をお願いします」
「今日は遠慮しておくよ」
「オジサン意地悪」
「ひどいよ春ちゃん。そう言うことじゃないって。創くん」
「なに?」
「今日は二人で遊びなさい」
「なんで教えてあげないの?」
「焦ることもないだろう」
「まあそうだな。じゃあ奏、今日は俺と遊ぼう。それでいい?」
「はい。ご指導よろしくお願い致します」
「堅いって……まるで春が二人になったみたいで調子狂うな」
「それはどういう意味の悪口でしょうか?」
「教えない。帰るまでに考えて」
「創様ってば悪い子ね!」
「ははは!俺は不良なんだよ!」
「ふしゃあー!」
「二人は今日も仲良いね」
「そんなオジサンってばやだ。まるで夫婦喧嘩みたいだねって。私はそんな……」
「さあて。オジサンは紅茶のおかわりを、いれてくるよ」
二人で庭に出る。
そして奏にオジサン家のねこ、サイベリアンの、あさひを紹介する。
あさひは人見知りせずに奏のこともすんなりと受け入れた。
遊んでくれと言わんばかりに、彼の腕のなかで体を丸めてジッと見つめる。
広げたヒゲが彼に向けられて興味深々といった様子。
「はじめまして、あさひさん。俺は細川奏と申します」
「少し撫でてみたら?ねことのスキンシップは、ねこバスケにとって大事なことだから」
「ねこバスケとなると、そうなんですね」
「うん。試合中もフリースローの時には、ねこを撫でて集中する人もいるよ」
「へえ、博識だ。リベンジのために本気で勉強したんですね」
「えー、まあ、ははは。そうなんだよ」
実はオジサンから教わった話です。
とはカッコ悪くてとても言えない。
ところで、彼が猫を撫でているのを見ると少し懐かしい気分になる。
ねこバスケを始めてまだ一年も経っていないのに。
「体育でバスケをやっただろ?あの感じでいいよ。俺がディフェンスをやるから、奏は攻めてくれ」
「ねこをドリブルなんてして本当に大丈夫ですか?映像で観たことはありますけど……」
「意外と大丈夫みたいだよ」
奏は恐る恐る、ねこを落とすように手放した。
芝生を、ぽーん、と軽やかに跳ねたのを見て子供みたいに嬉しそうに笑う。
「な?」
「はい!少し安心しました!」
「そんじゃ、かかってこい!」
奏の動きはまだぎこちない。
猫はボールと違い独特の感触がする。
それがコントロールをわずかに乱す。
奏が、ねこを抱えたところを素早く弾いて攻守交代する。
あさひは俺の足に体を擦り付けたあと丸くなってくれた。
軽くねこを吸って乱れた呼吸を整える。
「ディフェンスのコツは相手の手を見ることだよ」
「手をですか。分かりました」
「相手の、ねこの抱え方によって弾きやすい角度がある。例えばこう両手が縦なら、横へ素早く弾くといい」
「なるほど」
「ディフェンスの構えは膝を曲げて重心を低く。そして、とっさに反応できるように集中して、ねこに手を伸ばすことを意識することも忘れないで」
「はい!わかりました!」
これもオジサンから習った基本だ。
奏は体が大きいのでプレッシャーが凄い。
波のように覆いかぶさってきて全身で止められてしまいそうだ。
「奏は身長、何センチある?」
「百八十四です」
「やっぱでかいな。先輩より二センチ上か。もっと大きく見えるな」
油断させて右に走る。
「嘘だろ!?」
奏の腕に阻まれて驚き立ち止まる。
奪われないため守るようにねこを抱える。
背中に圧がきた。強引に奪うつもりらしい。
だが、この加重をうまく利用してターンすれば……。
「しゃ!抜けた!」
「ああっ!すり抜けた!?」
あとは軽くドリブルしてシュート。
ねこは、ふわっと宙を舞ってリングに当たって返ってきた。
それを奏が受け止める。
「今だ奏!シュートだ!ねこの背中を撫でるように投げろ!バックボードに描かれた枠のなかを狙うといいぞ!」
奏は、ぎこちなく腕を伸ばして猫を投げた。
あさひの体重はメスでも五キロを超える。
それをうまく投げるのは簡単ではない。
が、力んだのが良かったみたいだ。
ねこはバックボードに当たってリングに収まった。
「……やった!」
「うん、やったな」
あさひは立ち上がると体を頭から尾までブルブルと震わせて伸びをした。
そして奏のシュートを褒めるみたいに見上げて鳴いた。
「上手だってさ」
「え?あさひさんが?それは光栄です」
「休憩にしよう」
尊いだの何だの言って身もだえする春を背に縁側に二人並んで腰掛ける。
その隣に、あさひも落ち着いて顔を洗いはじめた。
「奏は知ってる?なんで、ねこバスケが3x3しかないのか」
「言われてみれば確かに、なぜでしょう?」
「そもそも普通のバスケに3x3がある。その試合時間が10分なんだ。この10分という試合時間が大切なんだ」
「うーん……つまり?」
「ねこの身体を気遣って3x3バスケを選んだんだよ」
「なるほど!そういうことでしたか!」
「でも、そもそも何で、ねこでバスケやろうと思ったのかは俺にも分からない」
「くふふ、それオジサンに教えてもらった話ですね」
「春、余計なこと言うな」
「……はっ!男の世界に女に入ってきてほしくないんですね!」
「そういうことじゃない」
「すみません。気遣いが足らず」
「いやいや謝るほどのことじゃないだろ。それより、奏のプレーはどうだった?」
「とても楽しそうでした!」
楽しそう……。
ここに来てから奏はすごく嬉しそうで、すごく楽しそうだった。
学ぶことよりも、プレーを楽しんでいた。
もしかしたら、奏はいま俺と同じ気持ちなのかも。
「奏。もし間違ってたら悪いんだけど」
「なんですか?」
「もしかして、誰かと遊びたかった?」
「え?」
「あ、や、ごめん。何となくそんな気がしてさ。実は俺、自分で言うのもほんと恥ずかしいんだけど、こうして、その、友達と遊びたかったんだ。この町に引っ越してきてから、まだ、そういうのなくて」
「きゃん!」
ひっくり返る春。
かなり恥ずい俺。
でも不思議と、どうしても打ち明けたい気持ちになったんだ。
「創様のおっしゃる通りです。俺も遊びたかった」
「マジ?」
「はい。文武両道なんて、本当はどうでもいいんです。そもそも勉強は好きではありません」
「え?そうなの?」
「そうだよ春。小学生の時からずっとね」
奏も本心を打ち明けてくれた。
からかわれるのが嫌でがんばって勉強したら、友達に気を遣われるようになって、ずっと寂しい思いをしていたようだ。
俺と似たところがあって、彼には悪いけれど、ちょっと安心した。
「俺は、前に住んでた家が本物のボロアパートで。それを理由に、みんなから貧乏がうつる、て軽くからかわれてた。それでちょっと人間不信になって、しかなも、こんな目つき悪い不良みたいな顔になったんだよ。笑えるだろう」
「創様も苦労されてきたんですね」
「いやいや奏こそ」
「だめだ、まぶしい!この中に私は入れない!」
「お前よく心の声がぜんぶ漏れてるぞ。てか、二人は本当に幼馴染?」
「まさか創様は幼馴染の奏様という恋のライバルの登場に嫉妬心を燃やされているのでは!?」
「ねーよ!ばーか!」
「うっわーついにバカって言ったー。きらいー」
「は!?今のは冗談だ。そんなので嫌いになるなよ」
「人にバカって言うの、そんなの、で済ます人なんですね」
「猫みたいに拗ねるな」
「はあー?」
「俺が悪かったです。ごめんなさい」
「べー」
「ぐぬぬ……!」
新しい友達ができた。
今日から毎日がもっと楽しくなりそうだ。
それに、もっとねこバスケが好きになった。
いつか仲間とチームを組んで試合をやってみたいな。