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16話 なつ休み

八月も半分を過ぎた。

姉さんは蒸し暑い朝でも、セミに負けない明朗快活。

俺は、掃除機に劣らないボリュームの、姉さんの陽気な鼻歌で目を覚ました。


「おはよう、零!」


「ん」


顔を洗い終えてリビングへ向かうと、姉さんは隣の居間で仏壇を掃除していた。

リビングでの家族団らんが見えるように、お父さんの願いで場所を決めた。

居間へ向かうスライド式の扉は開けっぱなしで、お母さんが真っ直ぐこちらを見守ってくれている。


俺の知らない、もう一人のお母さん。

きっと世話焼きの優しい人なんだろう。

朝の挨拶をして掃除を手伝う。


「ありがとう、零」


「ん」


リビングへ戻ると居間へ通る一つを除いて、扉を閉め切って冷房をつける。

そしてソファに寝転がってテレビをつけた。


夏休みといえば甲子園で行われる全国高等学校野球選手権大会。

特に応援したい学校はないけれどダラダラ観戦する。

その途中でトイレに行こうと廊下へ出たところ、しっとりしたラブソングが目的地から聴こえてきたので引き返した。


「お昼ご飯できたよ!起きてーはやくはやくー!」


「ん!」


起こし方は優しくない。

ソファから落ちないように考えてのことだろうが、肩と腕を強くにぎって激しくゆらしてくる。

かなりうっとうしくてムカっとするけれど我慢する。

寝落ちしなければよかった。


「唐揚げいっぱいだよー。まだ揚げてるから先に食べてね」


「え?良かったのこんなことして。夜ごはんは大丈夫なの」


姉さんは今年に入って、ちょくちょく料理を練習するようになった。

それまではフロランタンとスクランブルエッグとサンドイッチくらいしかまともに作れず、冷凍食品をレンジやフライパンで温めるのが基本だったのに。

これも、あの人たちの影響によるものか。

それとも恋をがんばっているのかな。


「そんな顔しなくたって、ほんとに大丈夫だって。怒られないよ」


「俺が気にしてるのは、そっちじゃない」


「じゃあ、何を気にしているの?」


「うーん。明日のことかな」


「ちょっとー何が心配だっての」


「そんなことよりも、唐揚げから目を離しちゃ危ないよ」


「言われなくたって分かってます。あなたは冷めないうちに食べなさい。ごはんは自分でよそってね」


「はーい」


姉さんは、ほんと世話焼きだ。

ねこバスケにおいても変わらない。

朝早くに起きて兄さん(創さんのことをそう呼んでいる)のランニングに付き合っている。

ほぼストーカー行為だけれど。


マネージャーらしくあろうと、テーピングやアイシングを頭から煙を上げながら勉強して助けてくれる。

バスケや猫の勉強もがんばっている。

俺たちをよく見ていて、意見を求めれば驚くようなアドバイスをくれることも。


永遠不滅の元気はチームの疲れを吹き飛ばして活気をくれると奏さんは笑う。


姉さんはチームにとって、ただのマネージャーじゃない。

使い走りなんかじゃ絶対ない。

必要不可欠なチームメイトだ。

と先輩(クロさんのことをそう呼んでいる)はのろける。


俺はと言うと感謝している。

姉さんがいてくれて良かった。

温かいご飯を用意してくれるから。


「明後日は一泊二日の合宿です。なので明日はしっかり休養してね」


そうオジサンに命じられて、ゆっくり休んだ。

つもりだったが、バスケの技術書を読み返したり、インターネットに繋いだテレビでバスケの練習講座を視聴した。

どうも勉強癖が抜けない。

それはいいことだけれど、少し強迫観念めいたところがあって疲れる。

やらなければいけない、という気持ちが俺をまるで焦らして急かすのだ。


「ちょうどピザが届いてよかったわ。ね、奏」


「バッチリだね。このコマーシャルが明けたら試合開始だと思う」


今夜はピザを食べる。

ポテトにチキンまで付いている。

お母さんがそれを並べるのを手伝って、テーブルに着いた。

間もなくホイッスルが鳴った。

来年のオリンピック出場をかけ上位を目指す世界大会。

バスケットボールワールドカップ。

日本代表の初戦その火蓋が切られた。


「奏もこんな風にやっているのか?」


「いや、俺がやってるのは、ねこバスケだよ」


「ああ。ねこをボールにしたアレか。俺には訳わからん」


「俺も最初は戸惑ったよ」


「猫ちゃんは平気なの?」


お母さんが心配してきく。

お母さんは動物が大好きだ。

特に、猫みたいに小さくて可愛らしいの。

でも、自分より早く死んでしまうからという理由で家で飼うことはない。

それくらい動物を大切に想っている。


「お母さん安心して。それが意外と大丈夫なんだ。むしろ平気なくらいで、試合中に寝ていたりするよ」


「へえ。みてる分には気が気じゃないけどね」


「ははは、そうだね。そういう人もいるよ」


「辛い!この激辛ソースはかけ過ぎない方がいいぞ」


お父さんは刺激あるものが大好きだ。

辛いのもそうだし絶叫マシンも好き。

そして、運動も例外じゃない。

特にラグビーやプロレス、柔道や相撲みたいに体でぶつかり合うものが好きだ。

しかし運動は観るより行動したいタイプで、時間を持て余した時なんかにボーッと観戦している。

いまは静かだけれど、きっと終盤にはうるさくなるだろうな。

そうなってくれると嬉しい。


「おお、キレイにきまったな。今のは凄いだろう」


「スリーポイントシュートって呼ばれていて、技術のいるシュートだよ。プロでもなかなか決まらないくらい難しい」


「奏はどうだ」


「俺はなかなか出来ないよ。練習はしているけどね。俺の主な役割はディフェンス。ほら、今みたいにリバウンドしたボールを一番に取ったり、ゴール近くの攻防で、この大きな体を活かすんだ」


「ほう。頑張っているんだな」


「まあね」


「ねえ。日本代表は強いの?」


「ああー実は、そんなに」


「あらそうなんだ。対戦相手のカナダは?」


「格上だよ」


「それなら大変ね」


そう。お母さんの言う通り勝利は大変きびしい。

調べてみたところ、これまでのワールドカップで日本代表はことごとく負けてきた。

最後に一勝したのが二十年近く前になる。

それでも選手に応援する人たち、皆んなが一心になって勝利を目指している。


一時間超えて四十分過ぎた。

試合は劣勢のまま最終、第四クォーターを迎えようとしている。

残り十分。点差は十八点。

ここまで食らいついた日本は素人目にも決して弱くはない、可能性があると感じた。


精度の高い技術力によって放たれる鋭いスリーポイントは静かで美しい。

ボールを奪取すれば素早いカウンターで一気に駆け上がり得点する。

手品のように器用な手先、つむじ風のような身のこなしで切り抜ける。

視線で騙すパス、時に背中越しに仲間へ託す。

その敵あざむく変幻自在のテクニックは世界に通用する。

そして、粘り強いディフェンスで堪えて最後まで決して折れない強靭な忍耐力を備える。


ゆえに国民は彼らを「忍ジャパン」と呼び敬愛する。


俺はいま胸が熱くてたまらない。

向かいにいるお父さんは握った両拳をテーブルに置いてテレビを睨んでいる。

この食卓では、お母さんだけが親戚からもらったレモンチーズケーキを口にして落ち着いている。

俺も食べようかな、と腰を浮かして油断したところで最終決戦が始まったので尻を落とした。


「いけえー!!らっ!らっ!そこ!ああっ!」


お父さんうるさい。

俺は我慢して心の中で叫ぶ。

追いついた。逆転した。

スリーポイントを重ねていく。

敵も負けじと決めてくる。

息つく間もない激しい攻防。

忍たちは戦場を駆け巡る。

その果てに……。


「おはよう」


「よく寝れた?まーた寝ようと思ったら寝れなかった、なんてこと言わないでしょうね」


「ないよ。ちゃんと寝た」


「それなら良かった。今日は合宿なんだからね。ちゃんと朝ごはん食べて頑張んなさい」


母さんは朝から小言が多い。

俺は顔を洗って歯を磨いて右のハネた寝癖はあきらめて、あぐらをかいて食卓についた。

まだ眠たくて細い目を凝らしてよく見る。

これは珍しい人がいるぞ。

宇宙規模の野望を抱いて引きこもる姉様だ。


「姉ちゃん。まだ昼じゃないぞ」


「それ嫌味のつもりかい?姉ちゃんはね。あんたの代わりに朝早くにピカの散歩に行って二度寝のできない苦しみに耐えているの」


ピカっていうのは狭い家でも姉ちゃんみたいに文句を言わない賢いゴールデンレトリーバーのオス。


「ああーちょっと気分悪い」


「じゃあ寝れば」


「目がさえて眠れないってば」


「へっ。昼寝も禁止な」


「なぬっ!?眠くなったら難しいかも」


「規則正しい生活しないと不健康になるぞ。せめて健康に生きてくれ」


「分かった分かった。あんたは朝から小言が多いね」


「母さんに似たんだよ」


「なにか言いましたー?」


母さんが不機嫌な顔して朝食を運んできてくれた。

海苔と卵かけごはん、納豆、豆腐の味噌汁、ゴーヤチャンプルー、ツナトマト、ナスのおひたし、きゅうりの浅漬け、高菜漬け、たくあん、うめぼし、めんたいこ。


「多くね?」


「しっかり食べないと体がバテるよ。夏なんだから」


「あたしは味噌汁いらなーい。熱いし」


「食べなさい!」


そこへ、もう一人の姉ちゃんも参加する。

ポニーテールを真っ直ぐに結んで、パリッとした白いワイシャツがよく似合う。

自由な姉と弟に挟まれても、一番しっかりしている。

だからといって厳しくないし、むしろ優しい。


「創」


「なに?」


「ベランダに体育館シューズが干してあったよ」


「あ!マジ!?」


「ふふ。もう少し、しっかりしなさいよ」


「ありがとう、ひな姉ちゃん。あっぶねー」


「ひなの。あなた今日から仕事だっけ?」


「そうよ、ママ。お弁当はいらないからね」


「節約になるのに」


「いいってば。ランチは私の趣味って何度も言っているでしょう」


ひな姉ちゃんは勤めている会社周辺の飲食店を渡り歩いて、いよいよコンプリート目前らしい。

男でも女でも同僚でも部下でも上司でも社長であっても誰がいても気にせず好きな食事を楽しむと言うから、たくましい。


「ママ!お弁当忘れた!」


「わざわざ帰ってきたの?後で持って行くのに」


「わふ」


ほそぼそと小さなハンバーガーショップを営む小洒落た父さんがドタバタ帰ってきて母さんにため息吐かれて欠伸ついでにとピカに見送られて出て行った。

そして自転車を倒した、音がした。

慌ただしい朝である。


俺は、古くはないけれど狭い二階建ての長屋住宅に家族五人で暮らしている。

リビングに三人集まるだけで窮屈だ。

それにしても味噌汁のせいで熱い。

カバーの破けた座布団に尻の熱がこもる。

扇風機もっと仕事してくれ。

星座占いは6位。

それでもハッピー。


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