夫と息子が引き取られたら猛獣使いのあだ名が付いた。
読んでいただいてありがとうございます。
シンプルでありながら一目で上物だと分かる品々が絶妙なバランスで飾られた応接間。
このソファーもお高そう。汚したらものすごく怒られそうだなぁ。怒られるならともかく弁償しろとか言われてもお金ないし。
などと思いながらエデルはちらっと隣を見ると、幼い男の子がエデルと同じように若干固まりながらソファーに座っていた。お互いここが場違いだと思ってはいるのだが、ここに来なければ明日にでも2人そろってどこかに売られそうな感じだったし、仕方がなかった。
目の前に座った迫力満点の軍服姿の美女は、エデルが持ってきた手紙を読みその綺麗な顔をしかめていた。
「この手紙によれば、お前たち2人はミレーヌの夫と息子、ということらしいが、相違ないのか?」
美女は声までも迫力満点だ。こんな感じで尋問されたら怖くて口がきけなくなる。エデルは、隣に座る子供のためにもがんばって口を開いた。
「えっと、そうなんですが、正確には違うというか何というか……」
「詳しく説明を求む。出来れば簡潔に、と言いたいところだが、アレが絡んでいると聞き逃した部分が後々重要になる時がある。ゆえに少しずつでもかまわないから出来るだけ詳しく教えてほしい」
美女はミレーヌのことをアレと呼んだ。エデルは便宜上の妻であった彼女の妹の過去のことはそれほど詳しく聞いたことがなかったので、出会ってからのことしか知らないが、美女はそれでも良いと言って話を促した。
「ミレーヌとは1年くらい前に酒場で知り合って、前の旦那さんから暴力を受けて息子と逃げて来た、と言っていました。で、その旦那から隠れたいから偽装結婚してくれ、と言われたのでその時はすごく悲壮そうな感じでしたしついつい同情しちゃって……」
今思えば立派な演技だったのだが、悲しいことにその時の自分は見抜けなかった。
「で、結婚してしばらくしたら身に覚えのない借金が出来てまして問い詰めたら、彼女が生活の為に借りた、と言ってたんです」
「現実はアレのギャンブル代か贅沢品に消えていたのだろう」
「全く以てその通りでした。最初はお金を借りたら返すことも出来ていたらしいんですが、どうもそれも出来なくなったみたいで……」
「気が付いたらこんな手紙一つ残して消えていた、というわけか。それで手紙に従ってここに来たのだな?」
「はい。その通りです」
エデルはしがない吟遊詩人だ。生まれは男爵家だったらしいが、その家もエデルが物心つく前には潰れていたので庶民として生きてきた。一方、ミレーヌは自称・伯爵令嬢だと言っていた。伯爵令嬢だが嫁いだ先の家で暴力を受けて命からがら逃げてきた。そう言われて悲しげに泣くので信じてしまった。
「まぁ、確かにアレの外見は儚げな令嬢といった風情だからな。昔っからアレの外面にだまされる者は多かったのだ。気にするな。で、その子だがアレの息子で間違いないのか?」
「息子なのは間違いないみたいです。この子も物心ついた時から一緒にいたと言っていますし、赤の他人をあの手の女性が育てるとも思えませんし」
「ふむ、確かにそうだな。それにその子の瞳の色は一応、我が家の血を引く者によく出る特徴的な色合いだし、私と一緒でもあるからな」
そう言う美女の瞳の色は青紫色だ。特徴的なその色は子供と同じ色だ。
「隠すこともないので教えておくが、私とアレとは血の繋がりはない。父の愛人の娘が勝手に伯爵令嬢を名乗っていただけだ」
「……は??」
彼女と血のつながりがないというのならこの子供は何なのだろう?瞳の色は同じ血を引いている者の証だと言っているのに妹とは血の繋がりはないと言う。よく考えたらミレーヌの手紙に姉と書いてあっただけで、美女は一度も妹だと言っていない。ずっとアレ呼ばわりしている。
「あの、じゃあ、この子は……?」
「私の従弟の子だ。従弟は婚約者がいる身でありながらアレと付き合っていてな。それがバレて一騒動があったんだ。その時にアレは姿を消したのだが年齢と外見から考えてその時の子供だろう」
一応、この家と血の繋がりはあるらしい。ただあまり公に出来ない感じの子供っぽいので引き取ってもらえるか微妙な感じだ。エデル自身は吟遊詩人なので別にどこでも生きていけるが、さすがにこの子を連れての旅はきつい。子供の方が厳しい生き方になってしまうので出来ればこの家で引き取って教育とかもきちんとしてあげてほしい。
「えっと引き取ってもらえるんでしょうか……?」
「まぁそれはかまわん。借金もこちらで何とかしておくから問題はない。引き取るのに必要なのは外向け用の身分か」
美女はふむ、と思案顔をした。エデルと子供はその様子を恐る恐る見ていることしか出来なかった。なぜだか少しでも動くと殺されそうな気がしてならない。なんか肉食獣に睨まれた草食動物状態だ。いつ襲われるか分かったものじゃない。
「……そうか、ちょうど良いではないか」
しばらく考えた後に美女的良い解決案が浮かんだらしい。
これで解放されるかと思うとエデルは正直ほっとした。
「お前たち、私の夫と息子になれ」
解放されない。むしろがっつり捕まった!何故そうなる!?
意味がわからず固まったエデルたちに肉食獣の美女は、良い案だと絶賛自画自賛中だ。
「お前たちが夫と息子になれば血を残せとうるさい親族も黙らせられるし、うっとうしい見合いもなくなる。後継者は一族の血を引いているから問題ないし、夫は我が辺境伯家をどうこうしようとかいう野心もない。全方向で全て丸く収まる最良の解決案だ」
その野心のない夫というのは俺のことでしょうか。全然丸く収まってないです。つか、便宜上ですけど俺はミレーヌの夫なんですが……。
「どうせ神殿にも役所にも届け出てはいない自称なのだろう?アレがそんな自分を縛るようなことをするはずもないだろうからな。きちんと調べさせるがその子の出生届けも出していないだろう。ならば私が引き取って何が悪い。安心しろ。これでもそれなりに権力と財力は持っている。お前たち2人くらい楽に養えるぞ」
安心出来ないです。権力と財力って……辺境伯家の女性当主なら国内屈指です。ついでに戦闘力も国内屈指です。配下の軍人は国内最強の呼び声高いです。養うとかいう問題じゃないです。
「……気絶しそう」
「何だ我が夫は繊細だな」
はっはっは、と豪快に美女は笑っているがこっちはマジで気絶しそうだ。
それにまだ夫じゃないです。
意味が理解出来な過ぎて子供はもう話についてこれていない。目が遠くを見ている。
「私は音楽とは致命的に相性が悪くてな。常々、吟遊詩人はすごいなと思っていたんだ。歌も楽器も一緒によく出来るものだ。場合によっては自分で作詞作曲もするのだろう?人はそれぞれ己の得意分野というものがある。私には出来ないことが出来る我が夫は尊敬に値する」
褒められた。じゃなくて、それでいいのか。
「一つでも尊敬出来る部分がなければ夫婦になる気など起きないからな。今までの男たちは皆、尊敬出来るところが全くなかった。その点、私には出来ないことが出来るお前は素晴らしい」
どうやら今までの男たちは美女基準に達していなかったらしい。普通の貴族の男性が彼女の基準を音楽で突破出来るなんて思うわけがない。むしろ自分は突破する気なんてなかったし、したくもなかった。代われるものならすぐに他の誰かと代わりたい。多分、無理だけど。
「ああ、安心しろ。無理矢理襲うのは趣味じゃないから当分は白い結婚でもかまわん。その子は私の後継者として多少苦労してもらうことにはなるが、最高水準の教育を受けさせるように手配する。親としては新米だが出来る限りの愛情は注ぐように努力しよう。それに辺境伯家の名がその子を守る。アレにも手出しはさせない」
よかった、俺、襲われない。……俺って襲われる方だっけ……?世間一般的には逆??まぁ、でも襲われないならそれでもいっか。
もはや思考回路がおかしくなって来ていることにエデルはこの時、全く気が付いていなかった。
「ふむ、ならば今日から私が母だな。母上……いや、お母様が良いな。お母様と呼んでみてくれ」
「……ハイ、オカアサマ」
全思考回路停止中の子供が棒読みでオカアサマと呼んだ。表情も全くない。
「うむ、悪くない。では手続きの準備をしてこよう。しばらくここで待っていてくれ」
子供の呼びかけに満足したらしい美女は、一方的に全てを決定して部屋を出て行った。
残されたのは、男2人だ。ギギギ、と鳴りそうな感じのぎこちなさでお互い首を回して見つめ合ってみたが、事態は一切何も変わらない。
あっれー?思ってた状況とだいぶ違わない?
一応ここに来る前に、殺されるとは思わないが最悪の事態を想定して逃げる準備も整えてきたのだが、違う意味で逃げれそうになくなった。
「……オトウサマ??」
ダメだ。無の表情をして棒読みで今まで呼んだこともない呼び方をしてきた。
すまん。もうどうしようもない。
エデルは全てを諦めた。
後に辺境伯家の迫力満点美女当主の夫は「唯一無二の猛獣使い」と評されることになった。
暴れまくる妻をその歌と楽器で癒やして落ち着かせる様は辺境中から尊敬の眼差しを受けることになるのだが、本人は全くそのことを知らず、乞われるままに歌を歌い楽器を奏でて奥さんの頭をいつも優しく撫でていたのだった。