私の宝
じりじりとセミの鳴き声がし、炎天下を歩く。今日もいつものように田と田の間の一本道を通り、学校に行き、授業を受ける。合間の休み時間は運動場へ遊びに行く人がいる中で一人で本を読んでいる。寂しくはないが、集団に馴染めない私にとって、この時間は長く感じた。だが、一つだけいつもと違うことがある。
「明日から夏休みです」
「やったー!」
一斉に皆が大声で喜ぶ。先生の言うように、明日からは夏休みだ。私も心の中で一人喜んでいた。大勢の人が友達と夏休みの予定を話している放課後、私はすたすたと家路に就いた。
家に帰ると、クーラーの効いた居間で母がソファに座ってテレビを観ていた。
「おかえり。暑いね」
「ただいま」
母は私に夏祭りのチラシを差し出した。
「これ、あるんだけど行かない?」
「行かない」
「焼きそばとお好み焼きを買ってきて欲しいな。その日、夕方まで仕事で」
「分かった」
残りは好きに使っていい、と5000円手渡された。なんて陽気なことを言ったものだ、と思ったが、仕事をしている両親を思うとせめてもの労いをしようと思った。
そもそも、どうして私を祭りに勧めたのだろうか。私に友達がいないことを母は知っているはずだ。それとも1人で行けということだろうか。だとすると、この世界のどこにも私の居場所はない。
夏祭り当日、学校に行くと夏祭りのことを話している人が沢山いた。この人達も行くのかと思うと、自分一人だけが場違いかのように思えてきた。
帰宅すると、荷物を置き、渋々、神社に向かった。神社は予想通り、人で賑わっていた。皆は誰かと一緒なのに私は一人だ。言われた通り、焼きそばとお好み焼きを購入した。もう帰ろうとすると、目の前の少女が目についた。同じ年ぐらいの少女で、他の人とは違った、引き込まれるような雰囲気を放っていた。「ねえ、あなた一人?」と少女が話しかけてきた。それはどこか幼く、高い声だった。
「うん」
「私もなの。一緒に回ろ」
「いいよ」
いつもなら断っていたはずなのに、なぜか一緒に回ることになった。周りが気にならなくて、別世界にいるようだ。
まず、りんご飴を買った。
「甘くて美味しいね」
「うん」
短い返事しかできず、会話が続かない。沈黙が長く感じる。何か話さないといけないと思うが、言葉が出てこない。これだといつもと変わらない。
次はかき氷を食べた。
「ジャリジャリしているね」
「氷だからね」
まただ。自分から人に話しかけることは勇気の必要なことだが、場の空気を悪くしてはいけないと思うと、相手への反応も難しい。
次に輪投げをした。なかなか入らず、隣の少女を見ると綺麗に入っていた。
「凄い」
店員も驚いた様子で景品を渡した。
次は射的をした。景品に当たっても落ちないでいると、少女は又もや見事に当て、落とした。私は驚きのあまり声が出なかった。少女は私の顔を見て、得意げな顔で笑っている。
花火の時刻が近いからか人が増えてきた。
「お祭りは好き?」
私は黙った。ここは好きだと言うべきなのだろうか。けれど、この少女に嘘を吐きたくはない。
「分からない。小さい頃に行ったことはあるけれど、それ以来、行っていないんだ。あなたは?」
「お祭りに来たのは初めて。屋台がたくさん並んでいて、浴衣を着た人が歩いていて新鮮だね」
私は少女と考え方が違うのかもしれない。きっと少女の見る世界はとても明るく、1つ1つを知る度に少女は胸を弾ませているのだろう。
気が付くと少女の姿が見当たらない。私が考え事をしている間にはぐれてしまったのだ。
辺りを探してみても、行きかう人々が増えるだけだった。人とぶつかりそうになったが、私はできる限り急いだ。少女が遠くに行ってしまう前に見つけなくてはいけない。折角、不思議な子に会えたのに。
高いところから探そう、と石段を上ると、その上にいた。 息を切らしながら「探したよ」 と話しかけた。
「ごめんね」
気が付けば、花火が打ち上げられていた。
「花火見ていたんだ」
「うん、綺麗なの」
夜空に浮かぶ花火は色とりどりだった。火薬の破裂音と共にどこか切なさを感じた。 夜空で花火が散っていく。時計が止まって、この時間がこのまま続けばいいのに。
「本当に綺麗。ねえ、私は雪。あなたの名前は?」
「あやめ」
花火が終わると、1人、2人と人が帰っていく。私達もその波に飲まれるように帰った。
聞きたいことがたくさんあったが、私は何も言えなかった。
「あ、私こっち。ねえ、楽しかった」
もう終わりか。この世界は幕を閉じるのだろうか。
「私も」
「次、いつ会える?」
「明日の朝9時」
もう会えないと不安になっていた私にとって、その言葉は意外なものだった。
「明々後日まで付き合ってくれる?」
「うん」
「ありがとう。ここまで来て欲しい」
数時間のことだと思っていたので、長い期間に驚いた。あやめさんの背中を一瞥すると、私は家路を急いだ。気が付くと夜になっていた。 空にはぼんやりと大きな月が浮かんでいた。たくさんの星も光っていたが、月を前にはかすんで見えた。この夜がこのまま明けなければいいのに。
「ただいま。遅くなってすみません」
「おかえり。遅かったね」
帰ると父が帰宅していた。
「お祭り、そんなに楽しかったの?」
「別に」
「顔が楽しそうだよ」
「焼きそばとお好み焼き買ってきたよ」と食卓の上に置いた。
「明日、友達の家に泊まりたい」
「いいよ。友達が出来たんだね」と両親は喜んだ。
就寝をしている時、あやめさんのことを布団で考えた。私に友達なんていない。でも、あの子といて楽しかったのだろうか。幻想的な人で一緒に過ごした時間は刹那のようだった。簡単に消えてしまいそうなほど儚い人だ。 眠りに就いたらいなくなってしまうのだろうか。夢ならば、覚めることのないまま、ずっと見ていていたい。
翌日、身支度をし、神社へ出掛けた。30分前に着いたので、本を読んで待った。昨日とは違って誰もいない。この方が静かで私は好きだ。けれど、誰かと待ち合わせをするのは初めてだ。意外にも待つことが苦ではなく、時間が進んでいく度にわくわくする。
「ごめんなさい。遅くなりました」
到着したあやめさんは昨日に縁日で出会った少女とはどこか雰囲気が違って見えた。それは親しみやすさを感じさせるものだった。
「大丈夫。今、来たところ。今日は何をするの?」
「山登り」
突拍子もないことを言われ、驚いた。だが、新たな世界に冒険に行くかのような好奇心が湧いてきた。私達は神社を出て、山を登った。道は整備されているが、山というだけに険しい道だった。虫が飛んでいて、背の高い木が生えていて、土の香りがして、新緑が生い茂って、それは普段感じることのないものだった。木の根に躓かないように気を付けながら野原に着いた。
そこにはウサギや鳥、リスなどの動物がたくさんいた。テレビで見たことはあっても、実際に見たことはない動物が多かったので、こんなにもこもこで、可愛いことを初めて知った。
「鬼ごっこしよう。雪が鬼」
親以外の誰かに下の名前で呼ばれたのは久しぶりだ。運動は苦手なのに嫌ではない。あやめさんは野原を速く走った。そのままどこかへ行ってしまいそうな気がした。私はあやめさんの背中にタッチする。
「捕まった。じゃあ、私が鬼」
私は足が遅いので、すぐに捕まった。けれど、登下校や体育の授業でかいた汗よりずっと気持ち良かった。
お腹が空いてきたので、昼食を取った。私は母に作ってもらった弁当を食べた。
「美味しそうな弁当だね」
「作ったの」
「料理も出来るんだ」
次にお花摘みをした。色とりどりの花があり、何の花だか分からないが、紫色で大きくて綺麗なのを摘んだ。気が付くと、頭の上に軽い何かがあるのを感じた。手で触って確認してみると、花の冠のようだった。
あやめさんを見ると、微笑んでいる。それからはとても芳しい香りがした。
「ありがとう。手先が器用なんだね」
「ふふ」
少し下ると川に辿り着いた。私は初めての魚釣りをした。釣竿を水面に放って、暫く待った。どんな魚が釣れるのだろう、と想像した。
「釣れた」
隣であやめさんは鮒が釣れたらしい。私も、と思ったが全く釣れない。あやめさんが手本を見せると、釣れた。 釣竿の先に引っ掛かっている鮒は立派で輝いていた。私達は目を合わせて笑った。
夜は川から離れたところにテントを張り、火をおこし、魚を焼き、ご飯を炊くことにした。私は火のおこしかたを知らなかったが、あやめさんは手早くしていた。
「この近くに住んでるの?」
「うん」
あやめさんに料理を教えてもらった。魚の香ばしさと、ご飯のおこげを実感した。 いつもの食事よりおいしかった。
片づけをし、テントに入っていると、「ねえ、見て」とあやめさんの声がした。外に出ると、たくさんの黄色の光が宙を舞っている。蛍だ。
「綺麗」
私は思わず声が出た。
「それだけじゃないの」と言うあやめさん。
「空を見て」
無数の星々が煌めいていた。昨日、見た空と同じだなんて信じられなかった。賑やかに彩られているのもよいが、私はむしろ静かな空間で輝いている方が好きだ。今、私達が見ているのは広大な宇宙の一部で、それよりも小さな世界に私達はいる。その一つ一つは奇跡なのかもしれない。
「あやめさんと一緒に見れてよかった」
「あやめでいいよ。私もそう思う」
もう私はこの世界から抜け出せない。
小鳥のさえずりで目を覚ます。あやめはいなかった。今までのは夢だったのだろうか。途端に私はテントを飛び出す。木の道を一目散に走っていると、歩いている彼女の後ろ姿を発見した。普段、走らないので息切れがする。
「……何をしていたの」
「散歩。朝起きたらいつもこうなの」
私は胸をなでおろした。夢ではなかった。 そうだ、これが現実だ。
「朝ごはん食べよ」
「うん」
私達は来た道を戻ると、朝食にトーストを食べた。
少し歩き、洞窟に着いた。私達はこれから肝試しをする。入る前から中は暗いのだと知った。
「大丈夫だよ」とあやめは私を宥める。私達は、暗くて長いそれへと足を踏み出した。強い風の音がし、人気がない。頭上から何か衝撃があって頭が濡れた。
「あ!」
水滴が落ちてきた、と知った時、あやめの顔を見た。私の顔を見て笑っているので、恥ずかしくなった。コウモリが「キー、キー」と飛んでいる。私達は不気味な世界の入り口にいるのだろうか。
「あやめは怖くないの?」
「雪ほどじゃない」
こんな時に余裕だ。一歩一歩、進むにつれて不安が募っていくばかりだ。
歩いていると「立ち入り禁止」の看板があったので、私達は引き返した。怖い思いをしなくて済んだが、物寂しさを感じた。道中「お化け、出なかったなあ」とあやめは呟いていた。それから山を登り、神社に着いた。「また明日会える?」と私は聞いた。
「うん、同じ時間にここで」
帰宅すると、両親は「どうだった?」と私を迎えた。
「……楽しかった」
部屋に入ると、花瓶に今日摘んだ紫色の花を活けた。それはまるで私に、未来には希望がある、というメッセージを伝えているかのような花だった。私とは対照的であるが、どこか親しみやすさを感じた。
翌日、また神社で待ち合わせをした。
「また遅れてごめんなさい」
「まだ10分前だよ」
「早いね」
「今日は何するの?」
「私の家に来て欲しい」
両親の知り合いの家に行くことはあっても、誰かの家に一人で行くのは初めてだ。私達はまた山を下り、木の道を歩いた。家は近くで、小屋だった。あやめは小屋の近くのプランターに向かった。そこで緑色の植物を摘んでいる。
「ハーブを取ってるの。手伝って」
「うん」
ハーブだなんて上品だな。それにしても、山で暮らしていて、あやめの両親はどんな仕事をしているのだろう。
作業が終わり、小屋にあやめが入ると私もお邪魔した。家は片付いていて、席に着くように促され、椅子に腰かけた。机の上には、この間の花が花瓶に活けてあった。少し待つと、あやめが紅茶を持ってきた。
「ハーブティー入れた」
「ありがとう。良い香り」
あやめが座ると「何で夏祭りの時、私に話しかけたの」と質問した。
「何ででしょう?」とはぐらかされた。
「雪の家族はどんな感じ?」
「兄弟はいなくて、両親が共働き」
「友達は?」
「学校にはいないよ」
あやめからの質問が続いたので、今度は私から話した。
「私は何も持ってない。あやめみたいに綺麗じゃないし、才能もない」
「雪は優しさを持っているよ。ご両親が忙しくて、友達がいないかもしれない。でも、ご両親は雪のために働いているし、友達だって、人生の中でいつか見つかる」
「私には、あやめしかいない」
私がそう言うと、あやめは俯いた。傷つけてしまったと思うと、それは他の人間関係が上手くいかないことよりも辛い。
「折角、言ってくれたのにごめんなさい」
「大丈夫」
私は何かを言わなければいけないと思ったが、この小屋を出た。
それから暫く経ったが、私はあやめに会っていない。今日から学校だ。また日常が始まる。まだ暑さが残る中、久しぶりの道を歩いた。
いつものように授業を受け、いつものように休み時間は一人で過ごし、いつものように帰宅するだけだ。
皆みたいに、休み時間を一緒に過ごしたり、帰宅したりする友達が私にはいない。だから、あやめの言うことが信じられなかった。私には、あやめしかいない。
今日は家に帰り、時間を無駄にし、夕食を取り、就寝をした。初めて、あやめに出会った日の晩と同じように会いたくて仕方がなかった。あの時とは違って、会いたいと願っても、会えない。あやめへの思いが募る一方だった。
ずっと、昔のこと。それは、私が保育園にいた頃だ。
皆が積み木や縫いぐるみで遊んでいる中、私は友達が居ないので、一人で絵を描いていた。
それは私の理想の友達だ。綺麗な顔をした同じ年の少女で優しい。
「お母さん、まだ来ないの?」
「もうちょっとしたら来るからね。それまで先生と待とうね」
1人、2人と園児が親の迎えで帰っていく。1時間が経ち、母は来た。
「お待たせしてすみません」と先生に謝ると「ごめんね」と私にも謝った。
「うん」
気が付くと、布団の中にいた。もう、あやめには会えない。夢からは覚めるのが必然だ。けれど、明日がある。人間は生涯にたくさんの人間と出会う。生きている限り、可能性を諦めずにいたいと私は思った。