マスクを外してもらえませんか?
駅構内。
夕方の帰宅ラッシュ時間。サラリーマンや学生、多くの人々が行き来している。ホームのベンチに黒のロングヘアー、マスクをした三十代ぐらいの女性が一人で座っていると、そこへ二十代と思われる若い男性が突然近づいてきて声をかける。
「あのう、すみません」
「はい?」
「女性に対して失礼なのは重々承知しているのですが、一つお願いしたいことがありまして。あのう、マスクを外してもらえませんか?」
「は?」
「マスクを外してもらえませんか?」
「嫌ですよ、どうして私がそんなことしなきゃいけないんですか」
「あなたの顔が見たいんです」
「いや意味がわかりません。ナンパですか? 他をあたってください」
「お願いします。マスクを外してください」
「嫌ですって気持ち悪い。どうしてあなたに顔を見せなきゃいけないんですか?」
「実はあなたが、もう何年も探している女性に雰囲気がとっても似ているんです。なんとなくなんですが、あなたがずっと探している人な気がするんです」
「何を言っているんですか? 私はあなたみたいな人は知りません。初対面ですよね? 本当に気持ち悪い。駅員さんを呼びますよ?」
「お願いします、マスクを外してください。少しでいいんです。どうしても確かめたいんです」
「嫌ですって。これ以上近づかないでください。誰か、誰か助けてください! 変な人がいるんです。駅員さん! 駅員さんはいませんか!」
「ちょっと騒がないでくださいよ、私はただあなたの顔が見たいだけなんですって! 少しぐらい見せてくれたっていいじゃないですか!」
「きゃっ! ちょっとなんなんですか、離して!」
「どうしてそんなに顔を見せたがらないんですか? 見せられない顔だからですか? 見せられないんですよね? 違いますか? そうですよね? そうですよね! だってあなたは口が……」
「きゃー!」
駅のホームに女性の声が響き渡る。男性の声は悲鳴にかき消される。悲鳴を聞いた二人の駅員が異変に気づき大慌てで走ってくる。
「離せ! 離せよ! おれはただマスクの下の顔が見たいだけなんだ! 邪魔をするな、この部外者が!」
男性は怒鳴り散らしながら抵抗するが、駅員に腕をつかまれ女性から引き離される。怯え切った表情をした女性は遅れてやって来た三人目の駅員に状況を説明した後、呼び止める駅員を無視して足早にその場を立ち去った。
「あの黒髪と横顔、絶対にあいつだと思ったんです。あいつに間違いないんです。五年前におれの彼女の顔に大きな傷をつけたあいつに。復讐するためにずっと探してきてやっと見つけた、見つけたと思ったのに……」
駅員によって事務所に連れてこられた男性。彼は恨めしそうに駅員たちを睨みながら、自分の行動の理由を何度も何度も繰り返し説明する。
しかし、男性のにわかには信じがたい話を信じる者はここに一人もいない。駅員たちは意味不明なことを言い続ける気が狂ったこの男性をどう対応すべきだろうかと頭を抱えるだけ。誰も男性の話をまともに聞こうともしない。
「何者なのあの男、頭がおかしいんじゃないの。あんなに人が多いところでマスクを外せる訳がないじゃない。人が少なくてすぐ立ち去れる場所でないと。それにしてもいつ見られていたんだろう? もっと気を付けなきゃいけないわね」
駅から少し離れた高架下の通路でマスクをした女性がぶつぶつと呟く。女性の顔には駅員に見せた怯えたような気配は微塵もない。
「今日はどうしようかしら? あ……あの子いいわね、かわいい女の子。今日はあの子にしよう」
女性の視線の先には学校帰りと思われる制服姿の女の子が一人。高架下は人通りがほとんどなく、女性の妨げになるようなものもない。マスクをした女性は獲物を狩る獣のように、慎重に、でも素早く女の子の後ろに忍び寄り笑顔で尋ねる。
「ねえ、わたし……きれい……?」