一彩先生
泉鏡花の「袖屏風」を現代語(勝手)訳してみました。
本来は原文で読むべきですが、現代語訳を試みましたので、興味のある方は、ご一読いただければ幸いです。
「勝手訳」とありますように、必ずしも原文の逐語訳とはなっておらず、自分の訳しやすいように言葉を削ったり、付け加えたりして、ずいぶん勝手な解釈で訳している部分もありますので、その点ご了承ください。
分かりにくいと思われる部分は(*)において、注釈を加え、各節の後に記載しました。
浅学非才、まるきりの素人の私が、言葉の錬金術師と言われる鏡花の文章を、どこまで理解し、現代の言葉で表現できるか、非常に心許ないのですが、誤りがあれば、皆様のご指摘、ご教示を参考にしながら、訂正しつつ、少しでも正しい訳となるようにしていければと考えています。
(大きな誤訳、誤解釈があれば、ご指摘いただければ幸甚です)
この作品の勝手訳を行うにあたり、「鏡花コレクションⅠ」(図書刊行会)を底本としました。全十章で、次の通り28節ありますが、今回は、一章ずつ投稿する予定です。
一彩先生 1-4
巳年十八 5-6
A-A 7-8
境内 9
尼興業 10-13
露草 14-16
朧富士 17-20
通り魔 21-24
長夜 25-27
一村雨 28
一彩先生
一
「当家一流 人相家相、望事、願事、旅立、縁談の吉凶、方位方角、失物の判断」
最近は見かけないが、一時、仲見世の右側、金竜山浅草餅の手前の角を曲がろうとする辺に、烏帽子を冠り、素袍を着て、反歯隠と俗に言う手巾を巻いた美人の占師が現れて、夜々通行人を驚かせたものであった。
それとは趣を異にするが、ここにまた異様な占者がいる。靴を穿き、釦もきらびやかな学校の制服を着て、目廂のついた帽子を被った年若な人物である。武州多摩郡五宿(*1)をやや過ぎて、駒返村に至る甲州街道に沿って左の方、南に三町ばかり、並木から直ぐのその一叢の樹立も見える、土地の鎮守の秋祭で、夜宮というのに、奥の院の裏手にあたる田圃の細道の、小流の際の薄原を背後に、往来に向かって、杉の切り株の頃合いなのに腰を掛けて控えている。
この先生、家名を九曜軒と名乗り、号を一彩という。すなわち九曜軒一彩。不断なく九星の術を修め、易学に精通した秀才で、本姓は萩原、名は要介。好きこそものの……と、諺にも言うが、とりわけ慾気がないのだから、狙う的は、百発百中、当たりを外さない優れた業を持つ。
去年の菊月(*2)、同じ多摩郡桜木村の知り合いから、近年になく見事に庭木が実ったので、玉川(*3)縁の散策をかねて、泊まりがけで、秋の色を味わえ、池の鯉も肥った、と招きを受けたので、よしそれならと意気込み、木登りもしようか、野山も駈けようかという気にもなって、袖、裾があっては足手まといだからと、制服を着て行った。
ただし、常時肌身離さない、ご存じの竹という情婦(*4)を恭しく袱紗に包んで持って出たのだが、それが事の起因となった。
土曜の昼過ぎ、目指した桜木村の知り合いの家に着くと、待ち設けの饗応があったが、ここで大げさに言うことはしないでおく。あたかもその夜は鎮守の祭礼。小さな社で、属する村数は多くもないから、土地自慢の口からも街道随一とは言わないが、この祭りの夜に限っては、役人も暗黙の了解の許、内緒で、大目に見て、五宿中の遊女屋が抱えている遊女達に外出を許し、参詣をさせる習わしがある。御女郎衆の道中を見てみろ、いや、出ること、出ること、想像以上の賑わいだから、話の種に見物をと勧められた。が、要介がふと思いついたのは洒落が嵩じた悪戯であった。それは恋人の許に忍ぶよりももっと胸が高まることである。自分の得意としていることだから、思いに耐えきれず、東京ではまさかしようとは思わなかったことだが、ちょうどいい機会。筮竹は携えてきている。五里でも八里でも離れていれば、旅の恥も何とかで、度胸を極め、お得意の周易速断の看板を出して遊ぼうと考えたのである。
そう話すと、要介を招いた当家の小旦那は、もちろんこの男が占いの得意な九曜軒一彩であると心得ているので、異論のあるはずもなく、本当は一緒について行って、易の判断を聞いてもみたいのだが、折悪くどうしても応対しなければならない客が来たので、人を付けて社まで送らせることにした。
やがて、その時刻になって、誰かいるかと呼べば、「ほゥ」と猪を追うような声がして返事をしたのは、作男の半六爺。庭から廻ってきて、主人の目の前に現れ出た。
「お前を呼んだのは、他でもない、東京のお客様が鎮守の夜宮に占いの店を出したいというご希望なので、面倒をかけるが、供をしてくれ」と言うと、
「そりゃぁ可い」と、皮のぶ厚い掌を打って面白がった。先ずは支度をと、物置から、両方の脚にする籠を二つと張物板を運び出し、これに毛氈をかけるとして、行燈ではおかしいし、洋燈では間に合わず、提灯では張り合いがないな、はて、他に何があるかなと、ぐるり四辺を見廻したが、一段ものではあるが、内の坊やの手遊にするは大き過ぎる万燈があった。直ぐに一つ引剥がして半六が手細工で張り替える。すると要介はお手のもので、それに乾坤の卦(*5)を認め、ちょいと紅を入れて墨黒く、『周易判断』と書く。
*1 多摩郡五宿……現在の調布市
*2 菊月……旧暦9月。
*3 玉川……多摩川と同一。
*4 竹という情婦……易占の道具、筮竹。
*5 乾坤の卦……☰(乾)と☷(坤)を組み合わせた卦。易占いの看板によく描かれている。
二
籠は二つ重ねにしたのを背に負い、板を小脇に抱えた半六、片手には先ほどの看板に灯を点したのを直ぐに提灯の代わりに持つ。
「道々、宣伝なきゃなんべえ」と、大乗気で早くも歩行き出したが、その姿は昔々、板間ヶ原の合戦(*1)で勝手方(*2)が敗北して落人となったような扮装である。
「新造(*3)のお客がありましたら、先生、念入りに占ってやって下さいまし」と、縁の敷居越しに片膝を突いて小旦那は見送った。
広間には台洋燈が三個、黒い天井が見えるまで明るく照らして、祭りの客が五、七人、ちょうど杯を上げて挨拶が始まったところ。未だ座も乱れず、灰吹(*4)の音もトントンと聞こえる静けさの中、
「行ってらっしゃいまし」
「お気をつけて」
と、田舎人の律儀さで、丁寧に挨拶されれば、縁に腰をおろし、片足を膝にかけ、左の靴の踵を填めていた要介は、こう改まられると、何だか気恥ずかしくて、きまり悪く、急いで穿いて、衝と立ち上がると、ものも言わず、莞爾しながら、すたすたと中庭を横切り、半六とすれ違うと、その前にずっと出た。
「待たっせえ、私が先に行きますべい」と、爺は看板の灯を差し翳したが、屋敷の内の樹の蔭になって、座敷の灯も届かない暗がりにあった子どもが使う木馬にばったり突き当たった。
「や!」と言ったが、驚いて、要介はたじたじとなった。
「危ねえ、もし、だから言わんこっちゃあねえ、占者の身の程知らず、と言ったところかい。はて、では、若旦那様行って参じます」
「じゃあ、ご苦労だが、爺や、お気をつけいただくように」と、身を起こして、小旦那は真面目である。
「はい」と、この九曜軒先生をものともしない半六は、しゃっきりと足を整えて、
「待たっせえ、先生、そうせかせかするもんでねえ」
要介は早や門の前に居て、藪と藪の中を通じる、狭くはないが、真っ暗な路傍で待ち受けている。
「さあ、私も何か持とう、結構な荷物だ、お気の毒な」
「何、お前様」
「いや、大変だ、板はあるし、籠はあるし、その上両手に持ち物があっては歩行かれるもんじゃない。貸したまえ、その板を持つから」
「ご心配はご無用だよ」
「そうではない、そんなにご苦労をかけては、私の気が済まないから。いいやもう、ああ、知った人に見られちゃあ、洒落にしても極まりが悪いけれど、これから先は田圃道だ。よ、持つから半分こっちへおくれ」
「それほどまでに言わっしゃるものなら、はい、これを持たっせえまし。この看板と、毛布でがさあ。あとはこうやって図体は大きゅうがすけれど、軽いもんだ。まかり違えば馬でも引担ぐこの親仁だに、さあ、毛布を」
「よしよし」と取って、真ん中を掴んで要介は肩に乗せたが、続いて渡された周易判断を描いた万燈をジロジロ見て、
「こりゃ消して行こうじゃあないか、些と道中がしにくくなる」
「はれ、駄目言うもんでねえ、宣伝になるだよ。畦道をお前様これを提げて歩行いてみさっせえ、人魂の飛ぶのには馴れっこになって驚かねえ手合いも、不審に思って目をつけるだ。そこで鎮守様で店開きすれば、直ぐに大当たり。どうでございます、お前様、そうはにかんではいけましねえさ」と、呵々と笑う気軽さに、要介もついその気になる。
*1 板間ヶ原の合戦……詳細分からず
*2 勝手方……江戸時代における幕府・諸藩の財政担当のことか
*3 新造……他人の妻、特に若い妻 あるいは若い娘
*4 灰吹……タバコ盆についている、タバコの吸い殻を吹き落とすための竹筒
三
「先生、お前様、小銭を些と持っていさっしゃらぬか」
「ああ、沢山はないが、幾らぐらい?」と、そのまま手巾と一緒に突っ込んでおいたポケットの財布を探って、ああ、これは気づかなかった。幾らくらい、と尋ねるまでもない。親仁が骨折り賃を催促したのだろうと合点した。というのは、要介は鎮守を背後にした畦道で、早々とその占いの新店を開いたのであった。
軍鶏籠を両脚にして板を渡し、毛布を掛け、それへ例の万燈の看板を差し置いたのを前にして、要介は杉の切株に腰を掛けていた。そして、鎮守の森とこの畦道とを区切って流れる用水の小川の岸に、むらむらと茂った薄から、その半身だけを出し、店の蔭にしゃがんでいる半六を些と見下ろして、骨折り賃の請求に応じようとしたが、親仁は何でもないような口ぶりで、
「幾らくらいでないってや、お前様の持っているだけ出さっせえ。私も青銭(*1)を交ぜてありったけ足しますべい」
「お爺さん、そうやって、また五宿をひやかそうとするつもりなんじゃあないか、不可いよ、不可いよ、お前、お祭り酒に酔ってるんだから」要介は苦笑する。
「ははは、はは、いや」
「冗談じゃない、前刻までは何かと人を煽り立てておきながら、途中まで来ると酔いが廻って、自分で強情を張って持ってきた荷物を田圃道へ放り出すって、お前、弱り切ったよ。いやはや酷い道だな、泥濘みで驚いた。そりゃぁ、あんたの齢ではもう、占いなんかに興味はないかも知れないが、それにしても宿場を冷やかそうなんてよくやるね、幾歳になるんです?」
「九紫の午でがす」
「ええと、六十二か」
「当たりました。はあ、魂消た、豪えもんだ」
「馬鹿にしちゃいけない」と笑ったが、急に斜に構えてしゃんと身繕いをした。店の前を二人連れの若者が通りかかったのである。
まばらな星の下、畦の榛の樹の中から出て来て、通りかかったが、二人とも頬被りで、遊ぶのに心が急くと見えて、振り向きもしないでぶらりと行き過ぎる。
鎮守の境内からは動揺めく物音がして、千筋百筋に入り乱れて、脚を交え、袂が搦む雑踏のほどが窺える。露店の裸火はこんもりとした森の中の、一際暗いところに赫と映って、後ろにした背中も暖かく感じられるほどである。五宿をかけて街道筋から群衆の波が一分毎に境内を指して寄せ来る気勢である。
裏田圃は寂りして、風も冷たいが、熱する祭りの気が籠もっているので、今朝から晴れた空も半ば暗く感じ、玉川の流れが大廻りに、却って前の方から幽かに響いてきて、三鷹村、深大寺あたりからトトントトンと絶えては続く鼓の調べ、耳を澄ますと冴え切って、遥かに囃子が聞こえるのである。
「評判だよ! 評判だよ!」
要介は、出し抜けに脚下から叫ばれたので、吃驚した。鎮守の方でも、人混みの中に評判、評判の声。
「あ、評判、評判」と、気疎い声がしたかと思うと、半六は酔いが醒めるのか、度外れなくしゃみを一つ。
「ほう、先生また今のも素通りだあ。それだから、我が、どうでも鎮守様の鳥居際あたりで店を出さっしゃいというのに、お前様といったら、含羞んだだ。口じゃ、こんな寂しいところでなければなんねえとッて、ここらへお神輿(*2)を据えるものだで、見さっせえ、人通りせえ、ろくすっぽありはしねえ。向こう前の御女郎さ目的だで、村の者なんざ、田圃道なんぞは鉄砲玉で飛ぶでがす。足の溜まりようはありやしねえ。どんな賑やかな舞台でも裏手へ廻ると、村芝居じゃあないが、たちまち暗討だ」
と貧乏揺すりを一つして、
「この風の寒いこと、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
その通り。ここに居て祭りの賑やかさを聞くというのは、あたかも大入りの劇場を裏木戸から見る趣である。
*1 青銭……寛永通宝四文銭の俗称
*2 お神輿……店のこと
四
萩原要介は溜息をついて、
「爺さん、頼むからその念仏だけは勘弁してくれ。評判々々にも驚いたが、お前、さっきから一杯気分で、通りかかる者を見ると、さあさあ占いじゃ、占いじゃって大声を出したじゃあないか。どういうことです」と、微笑みながら屹と睨む。
「九紫の午だからだよ」(*1)
要介はチョッと舌打ち。
「しようがないな、交ぜっ返しが済むと小銭はないかって、それで宿場に行こうとするなんて、そりゃあない。それからやがてお祭りの評判々々ね、それがたちまちお念仏となれば、もう神祇、釈教、恋、無情、これを立て続けに言うから可恐ろしい。
可いよ、幾らか差し上げるから一杯飲んできたまえ。天地玄妙の奥を探る術者の前に、お前のような、アイヤ親方さようでございが居た日にゃあ、これでもお客が来た時に、どんな交ぜっ返しが始まるか分からない。もちろん、人通りも少ないんだけれども、お前が小鳥を散らすんです。まるで、案山子みたいに」とわざと神妙に呟きながら、二つ三つ小粒なのを、
「さあさあ、添水(*2)に御報捨、お布施ですよ」と握らせた。
「これは」
と親仁は額を撫でて、
「早や、これはどうも。けど、前刻細かいのと言いましたはこんなことじゃあありましねえ。私も足すだから、お前様も一握り出さっせえ。そうして、豪え先生で、沢山見てもらい人のあるようにと、机の上に並べておくという謀計ださ。たとえ早継ぎの粉でも、見切売の瀬戸物でも、見さっせえ皆積んである、あれだよお前様」と、正直に辞退する。
「解った解った、何、そんな人寄せをするにも及ばないが、これはこれさ。私も些と薄ら寒くなったくらいだ。お前、一杯飲んできておくれ。帰りにはまた手伝ってもらわなきゃならないから」
「いんえ、しかしお前様、これは困ります」と、なお後込。
要介は、そうだと気がついて、
「それに、蝋燭を買ってきてもらいたいしさ」。
「なるほど」と言って、親仁は銭を乗せられた手を曳いて、中腰になり、
「おお、そうそう、つい浮かれ出して、継ぎ交えに気がつきませなんだ」
「そう、あの森の下ン所はどうして、本当に酷い泥濘だった。暗くっては歩行けない」
「いや、その時分にゃあ、お月様がござらっしゃるべいが」と、ガサッと言わせて薄の中から空を仰ぎながら半六はヌイと出て、
「しかし、まあ、些と行って参りましょうかい」
「どうぞ」
半六は、やっとなと、伸びをして、ひょいと頭を下げ、
「ご免なさりまし」
と、直ぐにてくてく。
「爺さん」
「ひゃあ(*3)」
「お前、買い物は蝋燭だ、可いかね」
「ひゃあ」
「油、元結に遣いなさんなよ」
「九紫の午でござりますわ」
二人とも、
「ははは、はははは」
「あの爺さん、どうやっても食えない奴だ、いずれ縁切りにされるだろう」と、要介は独り言。四辺を見廻すと誰も居ない。祭りの物音は聞き馴れて、ふと耳につくのは薄の中の蟋蟀の細い鳴声。
「秋だな」と、思わず呟いたが、何か物足りず寂しそうではある。
手巾で蔽って徽章を隠した帽子を脱ぎ、先ほどから机の上に置いていたが、それでも形が目立つからと、取り直して、薄の穂に預ければ、『はい、確かにお預かりいたしました』とでも言うように薄が頷き靡いた。
*1 九紫の午……陽気で行動的、直接的、熱しやすいという性格の意味か。
*2 添水……ししおどしのこと
*3 ひゃあ……「はい」と言う返事
つづく