幸せな王子と姫の物語
満月の輝く夜の窓辺にひとりの少女が【幸せな姫と魔女】という本を片手に腰掛けていた。腰まである艶やかな紺色の髪は月明かりに照らされ絹のように輝いていた。彼女の琥珀色の瞳は本の文字だけを追っていた。
パラリ、パラリと本をめくる音だけが部屋に響く。ついに本を読み終えた彼女はふぅ、と一息つく。すると部屋の隅ーー彼女からみて部屋の暗闇の方ーーからテノールの心地いい声が聞こえてきた。
「その本って今市井で人気の本だよね?面白かった?」
「そう、ね。一言で言って仕舞えば勧善懲悪ね」
「ふぅん。どんな話?詳しく教えて?」
あどけなく聞いてくるテノールの声の主に少し苦笑しそれでいて楽しそうに答える。
「いいわよ。ふふっ、そうねぇ。
あるところに王子様とお姫様がいました。王子様とお姫様は民にとても優しくそれはそれは人気がありました。ある日そのことを妬んだ魔女がある日お姫様をさらってしまいました。それを嘆き悲しんだ王子様は一生懸命にお姫様を探しました。お姫様がさらわれてから数日後、王子様の腹心の騎士がお姫様の食べた食事に毒が入っていたことを見つけました。それはあってはならないことです。王子様は急いでお姫様を探しだしました。お姫様は魔女の家にいたのです。王子様はお姫様を森の中で見つけるとさらった魔女をやっつけて火あぶりの刑となりました。心優しいお姫様はそのことにとても心を痛めて魔女のために慰霊碑を建てました。その後、お城に戻った王子様とお姫様は末永く幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」
まるで童話を子供に聞かせるように、自分に納得させるかのように語った。
「なんか、パッとしないね」
「そうね、でも正義と悪ははっきりしているでしょう?」
「うん、正義は王子と姫。悪は魔女なんだね」
「そう、でもね私は思うの」
「ん?何をだい?」
少し間を置き、スッと目を細めてテノールの声の主に答える。
「この話では、姫に毒を盛ったのも魔女でさらったのも魔女。仮に魔女がすべての犯人なら姫は魔女の家で暴力を振るわれていたかもしれないし、殺されていたかもしれない。でも姫の描写にそんなことはなことはなかった。」
「つまり、君が言いたいことは魔女は姫を助けたって事だよね?」
コクリと頷く少女を見てテノールの声の主は満足気に笑う。
「そうだね、姫を殺したいのなら食事に毒を盛るだけでいいからさらう必要なんてないしね」
「そう、そうなのよ。さらう必要なんてないのよ。もし、魔女が本当に善意でいち早くこの危機を把握していたとして危機が過ぎ去るまで匿っていたとしたら?」
「その可能性もあるね。もしかしたら毒を盛っている場面を見て急いで姫を匿ったのかもしれないね」
「その仮説が通るなら、食事に毒が盛られていたと言った騎士が怪しくなるわね」
少女は顎に手を置きうーん、と唸る。
「“騎士が毒を盛った”という事実があったとしても王子の腹心がまさか毒を盛るという行動に出るとは誰も思わない………まさか、ね」
「ん?どうしたんだい?」
「いや、ただ、魔女が一人で罪をすべて被ったとしてもその後の話に騎士が出てこない。騎士が出てくるのは毒が盛られた形跡を報告しただけ。ねぇ、あなたならどう思う?」
「おや?もうお手上げかい?」
「そうじゃない、ただ……」
少女は言葉を濁し、窓の外を見る。窓の外には華やかな格好をした貴族が続々と集まっていた。ふいっとテノールの声の主がある方向へまた視線を向ける。
「ただ、なんだい?」
「ただ、魔女は騎士が好きだったのかもしれない、と思っただけよ」
「どうしてそう思ったんだい?」
「ふふっ、だってね、好きな人が悪に手を染めるのは見てられないものなのよ」
「そういうものなのかい?」
「えぇ、そうよ。あなたもそうでしょう?」
「………否定はしない」
「それに、魔女は騎士の罪までも被って火あぶりの刑となった。そのことに姫は心を痛めて慰霊碑を建てたってことは、姫は魔女が無実で好きな人の罪ーー未遂で終わったけれどもーーを背負ったことを知ってたんじゃない?」
「……そうなのかもしれないね」
お手上げだと言わんばかりのため息が暗闇から聞こえた。
「私は、この姫のようにみんなから好かれないと思うし、魔女のように悪にもなれない」
突如、少女の口から弱音のような言葉が吐き出された。それは彼女の本心だった。
それを知ってか知らずかはわからないがテノールの声の主は面白そうにくつくつと笑った。
「君は姫にも、魔女にもならなくていい。私の隣で君らしくあればいいんだよ。メアリ・ミランフォード」
あぁ、この楽しいひと時も終わりなのね。と少女ーーメアリは悟った。カツンカツンと、こちらにやってくる足音と徐々に月の光でテノールの声の主が顕となっていく。琥珀色の髪に深海のような瞳。メアリとは反対の色合いを持つ彼はとても楽しそうで、それでいて名残惜しそうな顔をしていた。
「さぁ、深窓のお嬢様。私とともに舞踏会へ行ってくれますか?」
そう言いながら跪き、メアリの手をとる。
「嫌と言っても連れていくんでしょう?」
「わかっているのならありがたい。私も乗り気ではないのだ。しかし、我が国始まって以来の華々しい舞踏会ということで父上も張り切っているんだ。希望を言えば君とここで色々討論をしたりこれからについて語り合いたいよ」
本当にね、とウィンクをしてメアリに合図をする。その言葉を信じてメアリは本をそばに置く。
その行動を見た彼はニッコリと微笑みメアリをエスコートしようとした。だが、月明かりに照らされる彼女の姿があまりにも美しく、つい動きが止まってしまった。17歳とは思えない妖艶な体つきに、その体がはっきりとわかるドレスに身を包んだ姿はおそらく10人いれば10人が美しいと褒め称えるものだ。
動きの止まった彼を不思議に思い声をかける。
「どうしたの?アーサー?殿下?アーサー殿下!アーサー・ブルグスミューラー殿下!」
反応がない、ただのしかばねのよう「ん?どうかしたかい?」
「フルネームで呼んでやった反応したのよ?どうしたの?いきなり固まって」
メアリの問いにアーサーはニヤける口元に手を置きじっっとメアリを見つめる。
「いや、ただ、美しくて聡明で心優しい……良い婚約者を持てたな、と」
「また、そういう。今で満足しないでね、アーサー?私はこれからもっとせいちょうするわよ!」
「あぁ、期待しておく。とだけ言っておこうかな?」
「うわぁ、憎たらしい。」
微笑みあいながら舞踏会の行われている広間へ行く。
(愛しい愛しい私の姫、どうかあの物語のように当然消えてしまわないでおくれ)
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ブルグスミューラー朝カルストレン国始まって以来の華々しき舞踏会は多くの人を魅了した。
立太子されたばかりのアーサー王太子と美しき婚約者のメアリ嬢は会場に華を添えた。
舞踏会後、ひとりの男爵令嬢があろうことか王太子妃の座を狙いメアリ嬢を陥れようとしたが、アーサー王太子の強い信念とメアリ嬢への深い愛、そして強化してきた国の情報収集能力で男爵令嬢に打ち勝ち、より深い愛を育んだという。
アーサー王太子とメアリ嬢はこの事件のことを物語の題名【幸せな姫と魔女】からとり【姫と魔女事件】とした。
アーサー王太子が王へと即位した後も側室を持たずにメアリ妃をただ唯一の伴侶とし、2男3女の子宝に恵まれた。後世には愛妻家として、子煩悩な親として、優秀な国王として知られている。
〈カルストレン王国ーー アーサー王の歴史〉
より一部抜粋