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2016年/短編まとめ

私の太陽が沈んだ日

作者: 文崎 美生

「――うーっ……」


ベビーカーに乗せられた赤ちゃんが、唇を引き結んで突然唸り出す。

次の瞬間には、ぽろぽろと小さな雫を落とすのだ。

目を見開いた私を見て、幼馴染みの彼女は、あぁ、と細い息を吐く。


突然泣き出した赤ちゃんに、お母さんは慌てているが、幼馴染みの彼女がゆるりと足をそちらに向け、そっとベビーカーを覗き込む。

そうして、ベビーカーの中に転がっていたガラガラを手に取り、左右に振った。

お母さんはキョトンとしているし、赤ちゃんはえぐえぐと愚図りながら彼女を見上げる。

私も何が何だか。


「……ありがとうございます」


泣き止んだ赤ちゃんを見て、お母さんが緩く頭を下げたが、彼女がガラガラを振る手は止まらない。

屈み込んだ状態で、顔だけを上げた彼女は、「黄昏泣きですよ」と薄く笑みを作った。

唇だけを引き上げる笑みだけれど、酷く柔らかな印象を与える。


「赤ちゃんって、夕方になると泣き出すんですよね。だから、黄昏泣き」


ガラガラと玩具が音を立てて、赤ちゃんはそちらに興味が引かれたのか、涙の跡が残る顔のまま、玩具へと小さな手を伸ばす。

椛のような手の平は、ぷくぷくとしていて、柔らかそうだ。


「何で泣くのか、詳しくは分かってないらしいですけど。昼から夜への切り替わりに付いていけないのか、お日様がいなくなるのが寂しいのかも知れませんね」


ガラガラの玩具を赤ちゃんに握らせた彼女は、ゆっくりと腰を上げる。

長めのプリーツスカートが、その動きに合わせて左右に揺れた。

お母さんは初めて聞いた話なのか、目を見開いて、ほう、と息を吐いている。

因みに私は初めて聞いた。


彼女が動かしていたように、ガラガラの玩具を揺らしている赤ちゃんは、きゃっきゃっと笑い声を上げている。

鞄を肩に引っ掛け直した彼女が、私を見て歩き出すから、私も慌てて足を動かした。




***




思い出すのは、赤ちゃんの泣き声と、ガラガラの玩具の音だった。

手首に引っ掛けた数珠を取り外し指に引っ掛けて回す。

ジャラジャラと擦れ合う音が、鼓膜を揺らした。


昔撮った写真の中の彼女は、やはり唇だけを引き上げる、薄い笑みを浮かべている。

彼女の笑顔を撮るのが下手くそな私が、唯一綺麗に撮れた彼女の笑顔。


美緒(ミオ)


「……緒美(オミ)


指先から外れて飛んでしまった数珠を拾い上げた男が、私の名前を呼んだ。

視線を向けた先には、青みがかった黒髪の、見慣れた姿がそこにある。

仕事で着ているスーツとは別の喪服で、何となくいつもと違う感じがした。


同い年で名前もそっくりだけど、決して双子なんてものじゃなくて、身内だけど親戚に当たるイトコだ。

あまりにも距離が近過ぎて、兄妹のような関係でもあったけれど、書類上、正式な関係ではイトコ。

今も昔も変わらずに、仲のいいイトコだった。


「しっかりしろよ」


「……変なの。しっかりしてるよ」


くすくすと小さな笑い声を漏らし、目に掛かってしまう長さになった髪を払う。

本当なら目に掛からないように、定期的に切り揃えているのだけれど、彼女がいなくなってしまってからは、そんな暇を作れなかった。


彼は、拾い上げた数珠を私に握らせ、眉を寄せながら私の顔を見つめる。

見慣れた顔だけれど、端正な顔立ちを正面から見つめるのは、少し、恥ずかしいかもしれない。

曖昧に笑って見せれば、眉間に刻まれたシワが深くなった。


「太陽が沈むのは、寂しいことだよね」


「……何言ってっか分かんねぇよ」


「でも、また明日も太陽は昇って、また、沈むんだよね」


彼は眉間にシワを作り過ぎて、怖い顔になっていた。

握らされた数珠を手首に引っ掛け、私はジャラジャラと音を立てながら笑う。

赤ちゃんにガラガラの玩具を振っていた、あの日の彼女のように。


「でもね、太陽みたいだって思ってた人は、太陽じゃなくて人だから。だから、戻って来ないんだよ」


赤ちゃんの泣き声が聞こえた気がしたけれど、ここに赤ちゃんはいない。

鼓膜が妙に震えて、目の前の彼が、何かを言っているのに上手く聞き取れない。

熱くなった瞼を感じながら目を閉じたその先には、燃えるような赤い太陽が、ゆっくりと地平線に沈む姿が見えた気がした。

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