3話 : 生島くん
驚いた。
まさかこんなところで生島君に会うとは思わなかったし、彼の私服はカッコよかった。無地の白いロンTに、ニット生地のカーディガン。スキニーパンツをはいている。スラリとした生島君のスタイルがより際立つコーディネートだ。そして、僕のようにバンドTシャツでなくても、バンドマンと分かるようなオーラを放っていた。生島君は自分に何が似合うかよく理解していて、自身をデザインすることが上手だ。
「こんなところで早瀬君に会うなんて思わなかったよ!」
はっとした。“こんなところで会うと思わなかった”のは僕ではなく、生島君の方だ。
「早瀬君がギター弾くなんて知らなかったな。しかも、フランホールジュニアだなんて」
そりゃそうだ。僕は早瀬君と音楽の話をしたことがないのだから。
「ギター弾くというか、まだ始めたばかりなんだ。あのフランホールジュニアは、その、訳があって…この店も初めてだし」
「そうだったんだ。俺、よく来るんだ、ここ。リペアマンがみんな凄腕でさ」
生島君の笑顔が眩しい。
彼は、すいません!とカウンターの暖簾の向こうに呼びかけた。ちょっと張っただけの声なのに、いい声だった。女子高生ウケするような。
「ちょっとなに!超イケメン!ユートの友達なの?かっこいいー」
ジェニィでさえも、隣できゃーきゃー言っている。
コーサクさんを呼んでくれた細身の店員さんが出てきて、生島君の対応を始めた。
「修理に出してたギター受け取りに来ました」
そう言って生島君は、控えの紙を店員に渡した。店員は紙の内容を確認しながら、「少々お待ちくださーい」と言い残して奥へと引っ込んでゆく。
生島君と特に話したこともないので、何を話そうか、どのような言葉をかけるのがスマートなのか迷っていると、意外にも生島君から「早瀬君」と呼びかけてきた。
「おこがましいのは十分わかってるんだけど…あのフランホールジュニア、今度よく見せてくれないかな?」
「えっ」
隣のジェニィを少し気にすると、彼女は嬉しそうに頬を赤らめて
「顔もいいのにセンスもいいのね」
とノリノリの様子だ。
「お願い!ウチのとっておきも、家から持ってくるし、ね?」
その言葉に今度は僕の方が嬉しくなって頬を赤らめていたと思う。生島家の「とっておき」…それは是非ともお目にかかりたい。
「もちろん!ギターの話もできたら、僕もうれしいし」
「ホントに?やった!俺、フランホール大好きなんだよ。超うれしい!」
生島君の笑顔は、男の僕ですらきゅんとしてしまうような笑顔だ。きゅう、とバランンス良く細められた目の奥の瞳は、きらきらと輝いている。
隣でジェニィが「やだあ…大好きだなんて…」とモジモジしている。
そうこうしているうちに、奥から店員がギターケースを持って戻ってきた。
「確認願いします」
ギターケースの中には、ヴィンテージ物の渋いギターが入っていた。生島君が店員からの説明を、感じよく聞いている。
「…といった内容で修理させていただきました。型番も古い物でしたので、今回は4万2千円になります」
よんまん!?と僕は声が出そうになったが、生島君は驚く顔ひとつせずに、はい、と言いながらリュックから封筒を出し、万札を取り出した。
僕の視線に気が付いたのか、生島君はこちらにあの笑みを向けてこう言った。
「あ、これ、親父のギターなんだ。今日はお使い」
生島家の養子になりたいと、心から懇願した。
生島君は支払いを終えると、ギターケースを受け取り、僕らに向き直った。
「それじゃあ、週明け、月曜の放課後、第二音楽室集合でどうかな?」
「うん、大丈夫」
よかった、とほほ笑むと生島君はそれじゃあ、と言って春の風のように去って行った。
彼が店を出る際、ドアで別のお客と鉢合わせていたが、ドアを引いて「どうぞ」と自然に譲る姿はどの角度からみてもイケメンだった。
僕とジェニィがほくほくしながら、「月曜日」を夢見ていると、奥からコーサクさんがジェニィの本体を持って現れた。
「おら、おわったぞ」
「ありがとうございます」
ピカピカに磨かれたジェニィの本体は、本当に5年の眠りから目覚めたお姫様みたいに美しかった。思わず、息をのむ。
「すごいですね、コーサクさんって」
僕が言うと、コーサクさんは少し機嫌よさそうに口角をあげた。
「ちがうわ!あたしの質が元からいいのよ」
「お?ジェニィはそんなこと言っちゃっていいわけ?誰のおかげでこうやってピチピチでいられんのか忘れてんじゃねえぞ、このロリババア」
「ばばあ!?」
ジェニィの声が裏返った。
「ま、弦は張ってねえけど、ユートちゃんは本当は弾きてえもんな。不可能だとはおもうけど、こいつの気が変わることがあったり、説得に成功したら持ってこい。弦のはり方教えてやるよ」
コーサクさんの優しさに感動し、お礼を言う僕の横で、ジェニィが「100億パーセントありえないわ!」と口をだす。
ひとまずこれでコメットでの用事は済んだ。
帰ろうと、お礼を言ってドアの方へ歩き出そうとした時だった。
「なあ、ユートちゃん」
コーサクさんに呼び止められ、僕だけが振り返った。
「さっき話してたイケメン青年、知り合いなん?」
生島君のことを聞いているのだろう。たぶん。
「知り合いというか、今日ほとんど初めて喋ったんですけど…クラスメートで」
コーサクさんは、ふうん、と喉の奥から響くような声を出した。
その妙な反応が少し気にかかったが、彼はすぐに「そっかそっか」と言ってヒラヒラと手を振った。
ドアの前でジェニィが呼んでいる。僕は最後にもう一度会釈をして、ジェニィのもとへ向かった。
*
月曜日を待ちに待ったことは、今日が初めてかもれない。
生島君との約束の日だ。
僕とジェニィは仕度を整え、父が家を出るのを待ってからこそこそと出発した。
学校に着くと、幸也とワクさんが僕を見て目をまんまるくした。
「俺、知ってる。それ、革ジャン着たおにーさんとか、生島のようなイケメンが持ってるやつだ」
「ギターって素直に言えよ」
ワクさんが幸也のおとぼけに突っ込みを入れてから、僕に聞いた。
「どうしたのそれ。軽音部にでもはいるわけ?3年のこの時期に」
「いや、叔父さんのギターなんだ。話すと長くなるんだけど、生島君に見せる約束してて…」
僕の話に幸也が驚嘆の声を上げる。
「えっ、お前が生島と?」
「うん。この前楽器屋でばったり会って、盛り上がった的な…」
どうしてちょっと照れくさいのだろう。
友人二人は、ふうーん、と言いつつ、ギターケースに目をやった。ジェニィにはうるさくされても困るので、ケースの中に入ってもらっている。
趣味がバラバラな僕ら3人だ。普段お互いの趣味にはそれほど踏み込むことをしないので、幸也とワクさんと音楽の話をしたこともなければ、彼らがギターに興味を示したこともない。しかし、いざ実物を持ってくると違うようで、今日のふたりはジェニィに興味深々の様子だ。
そういえば、好きなものも、性格もこれほど異なるぼくらは、どうしてずっと仲良く出来ているのだろう。
幸也とは、入学してすぐに席が隣り合ったことがきっかけで仲良くなった。彼がいつも教科書を忘れてくるので、小学校のように机をくっつけあっていた。
しばらくして、いつも一人でライトノベルを読んでいるワクさんに幸也がご飯を一緒に食べようと話しかけた。幸也は、「話せば面白いやつかもしれないのに、引っ込み思案なせいでクラスから浮いちゃうのは癪だよなァ」とか言っていた。
ワクさんは「別に、いいけど」と恥ずかしそうに言い、僕らを入れてくれた。
『ワクさん』というあだ名をつけたのも幸也だ。このあだ名のおかげで、ワクさんはクラスになじんだようにも思う。
そんなこんなで、僕らは3年間、入学当初から仲がいいのだった。
ギターケース、開けていい?と幸也が尋ねてきたので、断った。
*
放課後。
僕は今日、堂々と第二音楽室に入った。
音楽室ではすでに生島君が待っていた。彼の傍らにはギターケースが置かれている。
今日は全く気が気でなかった。ジェニィがケースの中で騒ぎだしたらどうしよう、というのもあったけれど、なにより、立てかけられている生島君のギターケースを見ては、色々な妄想を膨らませていた。もしかしたら、生島君のフランホールカスタムを、間近で見れるかもしれない。おまけに、音も聞けるかもしれない。
「お疲れ」
生島君がにこりと笑った。
やっと、やっとこの時が来た。まさか生島君とこんなに二人きりで話す日がやってくるとは夢にも思わなかった。話したいことがたくさん、たくさんある。音楽の話を叔父以外の人と、それも年の近い人とするなんて、絶対楽しいし、夢みたいだ。しかもそれが、あのフランホールカスタムを使って、バンドを組んでいる、ロックスター生島君とだ。
「早瀬君、わざわざありがとう!無理言ってごめんね」
「ううん、全然無理なんかじゃないよ。生島君も、忙しいのに時間作ってくれてありがとう」
「あ、俺のことは、ハルキでいいよ。みんなそう呼んでるし。なんか苗字で呼ばれると、距離を感じるし」
そう言われたが、僕はいきなり呼び捨てにすることが少し苦手な性格である。間をとって、「ハルキ君」と呼ぶことにする。
自ずと僕も自分も呼び捨てでいいと彼に言った。
ハルキ君は人と距離を詰めるのが上手だ。呼び方ひとつで、親しみを感じやすくなる。女の子がされたら舞い上がるほど嬉しいだろう。ハルキ君がモテる理由は顔だけではないのだ。
「早速だけど、その…フランホールジュニア、見せてもらってもいいな?」
「もちろん!」
ハルキ君が嬉しそうに目を輝かせている。こんなハルキ君を見るのは初めてだ。彼もギターが好きなのだと思って、嬉しくなる。
ギターケースを開けると、中からジェニィが出てくる。
「遅かったじゃないユート!ガッコーって退屈なのね」
文句を垂れて不機嫌そうなジェニィだったが、自分を見つめるハルキ君に気がつくと表情は一転した。
「この前のイケメン!」
きらり、とジェニィの目が輝いてハルキ君に近づく。
「うふふ、あたしに会いたかったんでしょ?やっぱり、わかる人にはこの素晴らしさがわかるのね」
ジェニィにすり寄られて、ハルキ君がうらやましい…と思ったが、ジェニィのあの猛アタックに、ハルキ君は無反応だ。
「ユウト、このフランホールジュニア、ほんっとにすごいね」
ハルキ君にそう言われながら、僕は不思議な感覚に包まれていた。なんだろう、この、アンバランスな感じは。
ぽつり、と立ち尽くすジェニィと、僕の目が合う。
ジェ二ィの瞳は、もう浮かれてはいなかった。
「彼、あたしが見えてない」
ハルキ君にスルーされたジェニィの言葉がどっしりとのしかかった。
そうだ。ハルキ君には、ジェニィが見えていないのだ。
ジェニィは、自分を感じることが出来なかったハルキ君を、じっと見つめていた。その目はどこか大人びていて、僕よりもずっと年上に見えた。
「あのさ、気になっていたことがあって」
ハルキ君が僕に向き直って言う。
「ユウトってさ、ファジーフォックスのギター、セイジの甥っこだったり、する?」
彼の瞳がどこか冷え切ったようになって、僕の目をのぞき込んでいた。
どうして、そんなことを知っているのだろう。僕は叔父が人気バンドのギタリストであったことをベラベラ口外していないのに。何が目的なのだろう。急に空気が冷えたような感覚がした。
「そうだよ」
僕が答えると、やっぱり!とハルキ君は笑った。
「だよね!そうだよね!うっわー、嬉しい。噂には聞いてたんだよね。コメットでそのギター見た時、確信したんだ。俺、ファジーフォックスの大ファンなんだよ!解散する前からずっと!うらやましいなあ、ギターのセイジってユウトの叔父さんだったんだ…」
途端にハイテンションで話し出したハルキ君に、僕は気圧された。
「ね、このギター、本物?セイジのギターだよね?セイジって、バンド辞めてから全然何してるか聞かないけど、セイジ…あ、いや、叔父さんって、何してるの?」
ハルキ君が、さっきまでとは別人に見えてくる。僕は、違和感を確信へと変えないように必死だった。
「ギターをユウトが自由に持ち出してるってことはさ…」
それなのに、彼は言う。
「もうギター、やってないの?」
ハルキ君の顔は、笑顔だった。
どうして、そんなことが笑顔で聞けるんだ。
「なによ、こいつ」
ジェニィの目に怒りが渦巻いていた。
「セージの何を知ってるっていうのよ」
彼女が拳を握る。
「セージがあたしを、捨てるわけ…」
しかし僕が答えないでいると、ハルキ君はそれを、「そうだよ」という風に受け取ったようだった。
「あのさ、ユウト、コメットで会った時ギター始めたばっかりって言ってたよね?そこで提案なんだけど…」
ハルキ君は自身が持ってきたギターケースに駆け寄り、近くへ持ってきた。
僕は金縛りにあったみたいにその場から足を動かすことを忘れていた。頭の中で初めて抱く感情がごちゃごちゃと渦巻いている。あれほど授業中に気になっていたギターケースの中身に、興味が全くわかなくなっている。
ハルキ君がギターケースを開けた。
そこには、ジェイソン社のロゴが入った、ヴィンテージもののフランホールが横たわっていた。ピックアップが3つあり、色は黒。年代やどういったスペックなのかは分からないが、値が張るものだとは予想がつく。
しかし、このギターからは、ジェニィのような生気が全く感じられないのだった。
きっと弾かれていない。これまでもロクに弾いてもらってもいない。貴重というだけで、レア物というだけで好奇の視線を注がれて、コレクターのコレクションの一つとなり、部屋の隅で時を過ごしてきた、そんなギターのような気がした。
悲しみも喜びもない。
本来の魅力が、くすんでしまっているようだ。
ジェニィがそのフランホールの横に立った。
「この子は、ただの木よ」
カート・コバーンも、似たようなことを言っていた。
「可哀想に…」
ジェニィの目に、涙が溜まっている。
そして、ハルキ君の、形のよく、美しい唇が動いて“その言葉”を発した。
「このギターで、君のフランホールジュニア、譲ってくれないかな?」
いま、僕の中の、ごちゃごちゃした感情が、怒りという感情に固まった。
彼がジェニィを見えない理由がわかった。
ハルキ君、いや、生島君は、僕と同じではない。
ワクさんから聞いた『品のいいカツアゲ』の話を思い出していた。
「ほら、始めたばっかりなんだよね?そんなこだわりがあるわけじゃないなら、どうかな?そのフランホールジュニアはもちろんすっごい価値のあるものだけど、こっちのフランホールもジェイソン社が80年代に出したレア物で、限定10本しか作られなかったやつでさ!マニアの間ではかなりの値段で取引されてるんだよ」
まるで通販番組の司会者のように話す彼を見ていると、これが初めての経験ではないことが容易に想像できた。
生島君はひとしきり話し終えると、ジェニィの本体に再び目線をやる。
「あれ?これ、弦張ってな……」
「さわらないで」
生島君の指が、ネックに近づいてゆくのを見た時、自分の声帯が自然と震えていた。
「あと、“これ”じゃなくて、ジェニィっていうんだ。彼女」
生島君の指はネックの直前でぴたりと停止し、固まっている。
「生島君、その話、無理」
僕はジェニィのギターケースに近づくと、蓋を閉めた。これ以上、そういう目で、ジェニィのことを見てほしくない。
自分の方が変なことくらい分かっている。ギターを女の子に見立てるなんて、好きになるなんて、普通じゃない。
それでも、生島君は分かってくれると思っていた。
「手放すなんてこと、微塵も考えたことがないし、全部が大好きなんだ。それに…」
鼓動が早まっている。息を、吸う。
「元ファジーフォックスのセイジは、ギターやめてないから」
ジェニィの瑠璃色の瞳が、宝石のように閃いた。
生島君が小さく、え?とつぶやくのが聞こえた。
「悪いけど、もう帰るね」
人に面と向かって、こうも自分の気持ちを、それも怒りを露わにしたことは初めての経験だ。生島君の目が動揺している。こんな展開は、彼にとって予想外だったのだろう。
自分の言葉で人間が狼狽するのを初めて見たことに、僕も動揺していた。
「生島君の持ってきたギターも、レアってことより、ジェイソン社の80年モノってことよりも、ずっとずっと、素晴らしい魅力があって、それを生島君もわかってると信じてたのに」
言いながら、情けない気持ち、悲しい気持ちも同時にあると気が付いた。リュックを手に取る。
あの白いフランホールを思い浮かべた。生島君とフランホールカスタムを。学園祭で、ロックスターだった生島君の姿。この部屋の隣にある準備室から覗き見た、きれいな、きれいな、白いフランホールカスタム。
彼女は素晴らしい、生島君のギターだ。
「僕、生島君のフランホールカスタムに憧れてた」
生島君を見ずに、ドアノブをつかんだまま言う。
「あのカスタムも、今日みたいな最低なやり方で、バンドマンから巻き上げたんだね」
「それはちがう!」
初めて生島君が声を張り上げて反論した。
不覚にも僕の心臓は撥ねた。
怒りで、余計なことまで言ってしまったと今になってはっとする。兄弟もおらず、親子喧嘩もしたことがない僕の、初めての喧嘩だ。
「バイトして、自分で買ったんだ」
生島君の声が震えていた。
「高校入って…すぐバイトして…ずっとずっとお金貯めて…」
生島君が声を絞り出した。
「俺だって、憧れてた…」
噂で聞いた話と違う。社長でギターコレクターの、父親からのプレゼントではなかった。
それなら、どうして。
悲しくて、悔しくて、辛くなる。僕はギターケースを強く握って、第二音楽室を出ると、走りだした。
「ユート!」
ジェニィの声色が慌てている。
初めての経験で、少しパニックになっていたのかもしれない。とんでもないことをしてしまった。
生島君に怒った。生島君を傷つけた。
でも、彼の提案にヘラヘラと笑ってやり過ごすことも難だった。ジェニィに、触ってほしくないと、心から思ったのだ。悲しくて、悔しくて、やりきれなかったのだ。
無言で、足早に、歩き続けた。いつもはバスに乗るが、徒歩で家を目指していた。
常に強気で僕を尻に敷くジェニィが、不安そうな顔色をして僕の傍らにいる。それがまた申し訳なかった。こんな時、笑うのも変だし、今あったことを愚痴るのもおかしいような気がしていた。その結果、無言になるしかないなんて。彼女を、こんな不安な顔にさせるなんて。
こんな時、叔父ならどうしただろう。
きっとこんな、かっこ悪い姿は見せないはずだ。もっと自然に、いつもの余裕のあるユルさで、さらっと断ったはずだ。ジェニィにこんな顔を見せないし、ジェニィを困らせたりなんか、しないはずだ。
それに比べて僕はどうだろう。なんて、かっこわるいのだろう。
そう思ったとたん、ぶわ、と視界が滲む。
「ユート、かっこよかった」
その時、傍らの低い位置から、きらきらした声が聞こえた。
「ちょっと、見直しちゃった」
ぷく、とジェニィが頬を赤らめてそっぽを向いていた。
「あたしを守ろうとしてくれたし、守ってくれた」
思わず立ち止まって、ジェニィを見た。
「嬉しかった」
恥ずかしそうに、ジェニィがうつむいた。
「だから、ちょっと、ユートになら、弾かれてもいいかなって…」
「ほんとに…?」
嬉しくて聞き返すと、ジェニィがこくん、と頷いた。
「ちょっとよ!ちょっとだけだからね!セージがいない間よ!」
「うん」
「あたしはセージのギターだから、セージが帰ってきたら、ひいちゃダメだからね!」
「うん」
「だから浮気じゃないんだから!」
「うん」
僕は涙を少しにじませたまま、ジェニィの言葉に頷き続けた。
道行く人々が、僕のことを不思議そうな、怪訝な目で見ながら通り過ぎてゆく。
夕暮れ。母親に手を引かれた男児が「あのお兄ちゃん泣いてる」と僕を指さしている。母親は「見ちゃだめよ」と小声で言って男児を引き寄せる。
「あんた、どこか痛いんか?」
見知らぬおじいちゃんに話しかけられて、思わず、「夕日がきれいで」と答えていた。