0話 : 叔父と僕
モテたくてギターを始めるのは、男子の特権だ。僕はそう思う。
叔父に憧れた。ステージの上でギターをかき鳴らし、スポットライトを浴びる叔父に。
だから僕の「カッコイイ」は、叔父その人だ。
初めてギターに触ったのは、小学5年生の頃だったと思う。
漫画、音楽、特にロックンロールに否定的な父の目をかいくぐり、叔父は僕に初めて相棒のエレキギターを触らせてくれた。
フランホールという人が考案した丸みを帯びたそれは、『フランホールモデル』と呼ばれていると、叔父は言った。中でもこれは、スタンダードのものよりもひと回り小さな、フランホールジュニアという黄色いギターだった。
「侑斗は、ギター、好きなんだな」
そう言ってぷかりとタバコをふかしながら微笑んだ叔父の横顔を、今でも覚えている。
叔父とは同じ屋根の下で暮らしていた時期もあった。一人っ子の僕と両親、飼い猫のルッカ。そして叔父。
叔父と、年の離れたその兄である僕の父は、折り合いが悪かった。父の方が弟である叔父を、一方的に拒絶しているようだった。
だから、一応は家族であったが、父は叔父と僕が関わることをよく思っていなかった。しかし、そんなことは問題とせず、叔父はよく自分の部屋に僕を招き入れてくれた。
叔父の部屋はまさに秘密基地だった。たくさんのレコード、CD、漫画。当時はそれ自体に興味は無く、父に秘密で入れる特別な聖域にいることに快感を覚えていたと思う。
叔父と僕は仲が良かったし、僕は叔父が大好きだった。
中学1年の時、好きな女の子ができた。明るくてはつらつとした、かわいい子。どうしても気を引きたくて、僕は「カッコイイ」をやることに決めた。
叔父の真似事、ギターを弾く事だ。
叔父の職業は、ギタリストだった。
しかも、当時、日本の音楽界を一世風靡していたパンクロックバンドのギターだ。
叔父のバンド、「ファジーフォックス」通称フォックスは、エモーショナルな取っつきやすいパンクと、若者の心に寄り添う歌詞で世間の音楽ファンを虜にした。
フォックスは、ゴールデン帯の音楽番組には出ず、深夜のランキング番組のエンディングに一瞬流れる程度だ。しかし、フェスに出れば超満員、ワンマンライブツアーは各地でソールドアウト。有名音楽雑誌には常連で、新譜が出る度、表紙にロングインタビューと取り上げられていた。
小さな僕に触らせてくれた、フランホールジュニアは、そんな叔父の大事な仕事道具であり、相棒だった。
人気バンドマンはモテる。無論、叔父もモテた。というのも、フォックスはみんな顔も良かった。いや、ベースとドラムはよく見たらそうでもなかったかも知れない。でも、ボーカルギターとギターの叔父の2人は顔が良かった。
顔が良く、ギターも弾ける。そして僕に優しい。そんなの、カッコイイに決まっている。だから僕は、叔父の真似事をした。
叔父は、ギターを教えてくれるとは言ったが、決して自分のフランホールジュニアを練習に触らせてはくれなかった。僕は叔父のギターが好きだったが、叔父が自ら自分のギターを触らせてくれたのは、はじめて僕がギターに興味を示したことを打ち明けた、あの一度だけだった。
叔父が知り合いから借りてきたエレキギターで適当に練習を始めた。父に隠れながら指導をうけて、何とか一通り弾けるようになった時、僕は意中の彼女にそれとなくギターが特技だとアピールをした。
しかし、返ってきたのは想像を絶する反応だった。
「へえ、でも、あたしロックンロールとかわかんないし。そんなことよりバスケやってる男の人が好き。バスケ部部長の五十嵐先輩、超カッコイイよ」
玉砕だった。
その後彼女は、五十嵐先輩と目出度くカップルとなった。
僕の夢が砕け散り、一世を風靡した叔父のバンド、ファジーフォックスが解散を発表したのは、その日だった。
バンドは「それぞれの道に進むこととなりました」というカッコイイ声明を発表し、最後にゴールデン帯の音楽番組に出て、馴染みのライブハウスでワンマンライブを納め、カッコよく解散した。叔父に何度も解散理由を尋ねたが、答えてはくれなかった。
その後、ファジーフォックスは、ボーカルがソロや別バンドで活躍し、ベースも人気アーティストの新バンドに引き抜かれ、ドラムはバーのような店を始めたらしいとネットで囁かれている。
そして、僕の叔父は、失踪した。
相棒だった、フランホールジュニアを残して。