7.守ってくれたからと言って好きになるわけではない
冷静になった頭でルフィーノ様とのやり取りを思い返したわたしは、さあっと血の気が引きました。わたしは、公爵令息に対してなんてことを…!
優しくして貰ったのに「あなたの前で泣くものですか」と言って、「わたしはそんなに弱くない」と捨て台詞を吐いて逃げ去るって…。どう考えても失礼ですよね。ルフィーノ様はただわたしを気遣ってくださっただけなのに。
ど、どうしましょう…。とにかく明日、会ったらすぐに謝ってしまいましょう。謝罪を先延ばしにするとどんどん言い辛くなりますからね。
「スティ?」
わたしが一人で悶々としていると、わたしの部屋のドアがノックされて、返事をするとカーティがひょっこりと顔を出しました。
そういえば、わたしはカーティに一言も言わずに帰って来たのでした。きっと心配してくれて…。
「なんで生徒会に来ないんだよ! スティが来ないからオレは…!」
「えっと…?」
…あれ? 心配してくれたわけじゃない…?
逆になぜわたしは怒られているのでしょう。そもそも、殿下は何と言ってわたしが生徒会の仕事を休むと皆さまに説明をされたのでしょうか。
「と、とにかく落ち着いて?」
「…頼む、生徒会の仕事休むのは構わないけど、オレに連絡してくれ…オレ、あの空間に一人でいるの耐えれない…」
「えぇっと…ごめんね?」
頭を抱えて俯くカーティにわたしはそっと寄り添って、その背中を撫でました。
…いったい、わたしのいない生徒会室でなにがあったのでしょう。恐くてとても聞けませんけれど。
「…いや、オレこそ取り乱してごめんな、スティ。体調悪くなったんだって? もういいのか?」
「もう平気。心配してくれてありがとう」
わたしは平気だと証明するようににっこりと笑うと、カーティは安心したように口元を緩め、「あまり無理はするんじゃないぞ」とお兄さん気取りでわたしの頭をポンポンと軽く叩きました。
カーティはわたしよりも背が高く、わたしの頭はちょうど叩きやすい位置にあるようで、よくこうして叩かれます。けれどわたしはそれがそんなに嫌ではありません。むしろ、カーティにそうされるとほっとします。
カーティは「じゃあ、部屋に戻る」と言ってわたしに背を向けました。その背に、わたしはおずおずと質問を投げかけました。
「…ねえ、カーティ」
「ん? なんだ?」
「ルフィーノ様は…今日、どんなご様子だった?」
「ルフィーノ様? いつもと変わらないと思うけど…ルフィーノ様となにかあったのか?」
「ううん、なんでもないの。ちょっと気になっただけ。呼び止めてごめんね」
カーティは訝しげにわたしを見つめましたが、わたしに言う気がないのがわかったのか、なにも言わずに部屋を出ていきました。そんなカーティの気遣いに感謝しつつ、わたしはルフィーノ様がいつもと変わらない様子だったと聞いてほっとしました。
…それはそうですよね。わたしなんかに逆ギレされたことなんて、気になりませんよね。
とにかく明日会ってすぐに謝らなくては。わたしは改めて自分に気合を入れました。
…気合を入れたまでは良かったのですが…。
なぜかわたしは朝からご令嬢方の集団に囲まれて罵詈雑言を言われております。なにがどうしてこうなった。わたしはただ、ルフィーノ様を探して歩いていただけなのに。
わたしが現在いるこの場所は、先日ノートを探していた際に隠れた木のすぐ傍です。ここは人気が少ないので、こういうことをするのに最適な場所です。
「聞いたわよ。あなた、ルフィーノ様の手を叩いたんですってね?」
「まあ、なんて野蛮なの。これだから素養のない方は…」
「そもそも、あなたにルフィーノ様は釣り合わないわ」
「ちょっとルフィーノ様に良くして貰っているからと言ってつけあがって…恥ずかしいと思わないの?」
「ルフィーノ様だけではなく、エミリオ様やディーノ様、挙句の果てにはオステリア様にまで良い顔をして…なんてお尻の軽い方なのかしら」
…最初の台詞以外、言いがかり以外のなにものでもないんですが。
反論していいですか? 良いですよね? 向こうから突っかかってきたんですものね。やられっぱなしは性に合いません。
「…あなた方の目は節穴なのでしょうか」
「なんですって?」
「いつ、わたしがルフィーノ様たちに良い顔なんてしたのでしょう。それに、エミリオ様やカスティリオーニ様、オステリア殿下はヴィルマ様に夢中で、わたしのような者が付け入る隙なんてないと思うのですが」
「ま、まぁ…! なんて口の利き方なの…!」
「そういう態度を取って良いと思ってらっしゃるの?」
「思ってなければ取りませんけれど」
「まぁ…!」とご令嬢方は顔を真っ赤にしてわたしを睨んでます。恐くありませんけれどね! あ、すみません、嘘です…ちょっと目がギラギラし過ぎて怖いです…言い過ぎてしまったのでしょうか。
またご令嬢方の罵詈雑言大会が開催され、わたしはそれを聞き流しつつ、どうやってこの状況から抜け出そうかと考えていると、「君たち、何をしているの?」と甘い声が不意に聞こえ、罵詈雑言大会が強制終了されました。
「ル、ルフィーノ様…!」
ご令嬢方はさっきまで真っ赤にしていた顔を今度は真っ青にさせて、ゆっくりとこちらへ向かって歩いてくるルフィーノ様を見つめました。
わたしは突然登場した悪役の姿に思わず目を見開きました。いったい、ルフィーノ様はどう出るのでしょう。…それよりも、タイミングよすぎませんか?
「とても楽しそうだね? 俺も仲間に入れて欲しいな」
「いえ…あの、これは…」
もごもごと必死に言い訳を探すご令嬢方を、ルフィーノ様は笑顔で見つめています。けれど、その目は笑っていません。普段とは違うルフィーノ様の様子に空気が張り詰められたかのように感じます。
いっこうに口を開かない彼女たちに焦れたのか、ルフィーノ様はわたしを見てにっこりと綺麗な笑みを浮かべました。
なぜでしょう。嫌な予感がするのですが…。
「ねぇ、スイート嬢」
「は、はい…」
「俺も仲間に入れて?」
「…えぇっと。その…」
なんて答えたものかと悩むわたしに構わず、ルフィーノ様はぐんぐんとわたしに接近してきます。わたしの前にあった壁は、ルフィーノ様の通り道を作るかのようにさっと左右に別れて、わたしの前の障害物はなくなってしまいました。…そのまま壁となってくれて良かったのに…。
「スティ」
「はひっ!?」
突然の愛称呼びにわたしは思わず奇声を発してしまいました。ぎょっとしているわたしを余所に、ルフィーノ様はとても愛おしそうな目でわたしを見つめていらっしゃいます…なぜ。
「俺と君の仲だろう?」
…どんな仲でしたっけ。
そう質問をしたいのに、とても言えそうな雰囲気ではありません。…なんなの、これ。
わたしが状況整理をしている間にルフィーノ様は更にわたしに接近して、わたしはいつの間にかルフィーノ様の腕の中にいました。なぜに。
「あの…ルフィーノ様…?」
「ルフィと呼んで欲しいな」
「いえそれは…畏れ多くて出来ません」
「恥ずかしがって、本当に君は可愛らしい人だね」
「………」
開いた口が塞がらないとはこのことを言うんでしょうか。わたしは甘ったるいルフィーノ様の台詞に絶句しました。
いったいルフィーノ様はどうしてしまったのでしょう。わたしの反応を楽しんでいらしたルフィーノ様は何処に。
わたしを囲っていたご令嬢方も唖然とした表情でルフィーノ様を見つめています。気持ちはわかります。わたしも気持ちは同じですので。
「ル、ルフィーノ様…」
「なに?」
「ルフィーノ様とそこのスイート嬢のご関係は…?」
「俺とスティの関係? 見ればわかるでしょ?」
そう言ってルフィーノ様はわたしを熱の篭った目でわたしを見つめて、数々のご令嬢方を虜にしてきただろう微笑みを浮かべました。ああ、どうしましょう。鳥肌が…。
「スティは俺の大切な人なんだ。だから、ね」
ルフィーノ様は視線をわたしからご令嬢方に移し、凍り付きそうなほど綺麗な笑顔を浮かべて言いました。
「―――スティを傷つけたら、許さないよ。俺以上に姉さんが怒るかもね? スティは姉さんのお気に入りだから」
「ひっ…!」
ご令嬢方はルフィーノ様のその発言を聞くや否や、慌てて立ち去っていきました。さすが、と言うべきでしょうか。ルフィーノ様とヴィリー様のお名前の力は絶大です。
ルフィーノ様はご令嬢方が完全に立ち去ったのを確認してから、わたしを解放してくださいました。そのことにほっと胸を撫で下ろしました。
「…ルフィーノ様、助けてくださってありがとうございました」
「余計なことかな、とは思ったんだけど…あまりにも酷い言い様だったから、ついね。それに、俺にも原因があるようだったし。これでしばらくは大人しくなると思うけど」
「…ご迷惑をお掛けして、申し訳ありません」
「別に迷惑ではないけど…でも、君が改めてどれだけ俺に興味がないかを知ることはできたな」
「は?」
「抱き寄せても顔を赤くしない令嬢は君が初めてだよ」
「…左様ですか」
うん、とルフィーノ様はとても楽しそうに笑みを浮かべていらっしゃいます。なんだか体の力が抜けてきました…。いえ、これでこそルフィーノ様です。
しかし、体の力を完全に抜くわけにはいきません。わたしは当初の目的であった、ルフィーノ様に謝るという目的を達成できていないのですから。わたしは背筋を伸ばし、ルフィーノ様をしっかりと見つめました。
「ルフィーノ様」
「なに?」
「昨日は…申し訳ありませんでした。気遣ってくださったのに、あんな無体な真似をしてしまって…」
「…ああ、あれ。まあ、ちょっと傷ついたよね…」
そう言って目を伏せたルフィーノ様に、ずきんと胸が痛みました。そうですよね、優しくしたのにあんな風に手を振り払われて、傷つかないわけがありませんよね…。本当にわたしはなんてことを…。
「というのは冗談だけど」
「……はぁ?」
思わず低い声が出てしまいました。わたし、本気で悔やんでいたのですけれど。冗談、ですって?
「少しはショックだったけど、君の気持ちはなんとなくわかるし、気にしていないから君も気にしなくていいよ」
「…そうですか。ありがとうございます」
さっきの謝礼よりも堅い声になってしまったのは、仕方ないと思います。
「礼なんていいよ。俺を好きになってくれれば」
「…は?」
なにを言っているのでしょう、この人は。頭膿んでるんじゃないでしょうか。
わたしが半眼でルフィーノ様を見つめると、ルフィーノ様は楽しそうに声を上げて笑いました。
「…君は本当に……ああ、楽しい」
「わたしはまったく楽しくないのですが」
「…うん、そうだろうね。やっぱり、姉さんの言うことは聞けないな」
ぽつりと呟いたルフィーノ様の言葉にわたしは眉を寄せました。
なぜに今ここでヴィリー様の名が出てくるのでしょう。
「君を振り向かせたくなってきたよ」
「はあ…そうですか。そんな日が来るといいですね」
「随分、余裕だね?」
「ええ、まあ」
「…面白い。その余裕がいつまで続くか、楽しみにしておくから」
じゃあね、とルフィーノ様は去り際にわたしの髪にキスを落としていきました。…なんて方なのでしょう。これで数々のご令嬢方を堕としていったのですね…ああ、ルフィーノ様こわい。
わたしがため息をついて歩き出そうとした時、突如上から「やるじゃねーか」という声が降ってきました。
わたしが驚いて固まっていると、わたしの目の前に赤いものがすっと落ちてきました。
なに、と思って目の前を凝視すると、落ちてきた赤いものは、カスティリオーニ様でした。カスティリオーニ様は綺麗に着地をして顔を上げると、わたしを見てニッと口角をあげました。
「おまえ、やるじゃんか。女どものネチネチした口攻撃を素知らぬ顔で躱して、尚且つあのルフィーノ様の口説きでさえもあんな風にスルーするなんてな」
「…はあ…お褒め頂き光栄です…」
「よし、おまえをおれのライバルとして認めてやる。でもな、ヴィルマはぜってぇ譲らねえからな!」
「はあ…そんなことよりも、カスティリオーニ様はいつからここに?」
「ディーノだ。いつから、か…。少なくとも、おまえがここを通りかかった時にはいたな。剣の稽古の帰りにちょっと寝ようと思ってこの木の上に登ったらすぐにおまえたちが来て、結局眠れなかった」
最後の台詞を少し恨みがましそうにカスティリオーニ様は呟きました。睡眠の邪魔をしてごめんなさいね。別に邪魔をしようと思ってしたわけではありませんけれど。
しかし…なぜ木の上を寝床にチョイスしたのか。危なくないでしょうか。いえ、今はそれを置いておきましょう。つまり、カスティリオーニ様はあの現場を最初から見ていた、ということなのですね。そうですか、あれを最初から見ていらしたのですか…。うん、まずい。
「あの、カスティリオーニ様」
「ディーノだ」
「…ディーノ様」
「なんだ?」
「先ほどのことなのですが…誰にも言わないでください。不要な心配を掛けたくないのです」
「なんでおれがおまえを言うことを聞かないといけないんだ? って言いたいところだが、別に黙っているくらいならいいぞ。なんといっても、おまえはおれが認めたライバルだからな!」
「…別にライバルと認めてくださらなくてもいいのですが…でも、ありがとうございます。助かります」
「大したことじゃねえさ」
そう言ってディーノ様は得意げに笑いました。うん、見た目だけは爽やか。中身は残念。それがディーノ様です。
それからわたしは何かに託けてディーノ様にライバル視…を通り越して目の敵のように張り合ってきて、困っております…。最初の頃のように冷たい視線や邪魔だという雰囲気こそ出さなくなりましたが、「ヴィルマは渡さねえから!」と事あるごとに言われるのです。正直、鬱陶しいです…。
この日以降、わたしへの嫌がらせはぴったりと止まりました。
ルフィーノ様のお名前の効果は絶大でした。ルフィーノ様に加えてヴィリー様の名も出したので、あのご姉弟に睨まれてまでわたしに嫌がらせをするような気概のあるお方はいらっしゃらないようです。こればかりは、心からルフィーノ様に感謝しなくてはなりません。
庇って頂いた吊り橋効果なのか、ルフィーノ様のことが気になって仕方ない……
なんてことにはなりませんでした。
吊り橋効果など、わたしには利かないのです!