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6.虐められたからと言って泣くわけではない

 先日のルフィーノ様の意味深な台詞が気になります。

 ルフィーノ様は、わたしのこの状況を知っているのでしょうか。だとしたら、一体どんな行動を起こすのでしょう。

 ルフィーノ様はゲームでは"悪役令息"。本来ならばわたしを虐める役なのです。そんな方がわたしの今の状況を知ったということは、この状況が更に悪くなる可能性が高いわけで。…それは勘弁して頂きたいものです。


 しかし、希望的観測をするならば、この世界はゲーム通りに話が進行しているわけではなく、攻略対象者がわたしに恋愛感情を抱く前に悪役令嬢に骨抜きにされている、ということでしょうか。

 ゲームではルフィーノ様は重度のシスコンで、そんな姉の恋路を邪魔するヒロインを苛めたり、攻略対象者を貶めたりするわけですが、ルフィーノ様はゲームほどのシスコンではないようです。

 ヴィリー様とは仲良くさせて頂いているし、ガールズトークとして恋の話なんかもするわけですが、どうやらヴィリー様にはこれと言って好きな方がいらっしゃらないようなのです。ゲーム通りなら、婚約者である殿下に惚れこんでいらっしゃるはずなのですがねえ。


 そんなこんなでわたしはしばらく注意深くルフィーノ様の動向を探っていたのですが、どうやらルフィーノ様はこれと言った行動を起こすつもりはないようです。その事にほっとしながらも、わたしに対する地味な嫌がらせは続いています。

 罵詈雑言の類は最近聞き流せるようになってきたのですが、物を隠されたり机に落書きをされたりするのにはなかなか慣れません。いつか慣れるようになるのでしょうか。

 …そんなことに慣れたくなんてないのですけれど。


「似顔絵は増えた?」


 わたしが一人で中庭の片隅のベンチでこっそりと昼食を取っていると、突然ルフィーノ様に声を掛けられました。ルフィーノ様は珍しくお一人です。


「…そんなにすぐには増えません」

「そう。残念」


 そう言ってルフィーノ様は優雅な仕草でわたしの隣に座りました。わたしがぎょっとした顔をすると、ルフィーノ様はとても楽しそうに声を出して笑いました。


「…君って俺が傍に行くと嫌そうな顔をするよね」

「そうですか? 自覚はありませんが」


 しれっとした顔でわたしはもぐもぐとお弁当を食べ続けます。ルフィーノ様のせいで貴重な昼食時間が削れるのは嫌ですからね。

 この学園は学食があるのですが、わたしはお弁当を持ってきて食べています。最初は学食を食べていたのですが、最近は少し居づらくなってしまったのでお弁当に変えたのです。こうして一人でお弁当を食べる時間が至福のひと時です。


「君、お弁当なの?」

「ええ、そうですがなにか」

「わざわざ寮で作っているの?」

「いいえ。わたしは家から通っているので」


 わたしがそう言うとルフィーノ様は驚いた顔をしました。

モラルーシ学園には寮があります。けれど、わたしとカーティは寮ではなく家から通っています。家からでも十分に通える距離であるので。

 寮に入った方がなにかと楽と言えば楽なのですが…まあ、貴族らしい決まりなどがたくさんあって面倒なのでわたしたちは家通いをさせて頂いております。

 とはいえ、家から通う方はごく少数で、ほとんどの方は寮で暮らしております。家に帰るのも紙一つで簡単に帰ることができるので、移動時間が少なくなる分、寮の方がいいと考える方が大多数を占めているようです。


 …ところで、いつまでルフィーノ様はここにいるつもりなのでしょうか。

 あまりルフィーノ様と一緒にいるところを他の方に見られたくないのですが。

 その思いが態度に出ていたのか、ルフィーノ様は面白そうな顔をしてわたしを見つめました。


「…そんなに俺といるのが嫌?」

「いえ、そんなことは…」


 ないとは言えませんが。

 という台詞を飲み込んでわたしはルフィーノ様から視線を逸らし、食べ終わったお弁当箱をしまいました。

さて、これから何をしましょうか。図書室で読書をしようか、それとも授業の復習か予習でもしようか…ああ、そういえば。

 唐突にわたしが手に持っていた鞄をごそごそと漁り出したので、ルフィーノ様は不審そうな顔をしました。わたしはそんなルフィーノ様を無視して、目当ての物を取り出しました。

 スケッチブックです。ちょうど目の前には可愛らしい花がありますし、天気も良くて絵を描くのにぴったりな陽気です。あ、ちょうど小鳥さんが花のすぐ近くに…! これは良い絵面になりそうです。

 わたしは小鳥さんが飛び立つ前にささっとスケッチを取って、ふう、と息を吐きました。とても満足です。あとできちんと仕上げなくては。

 ふふん、と鼻歌を歌いそうになって、ふと思い出しました。わたしの隣にルフィーノ様がいることを。

 サアっと顔を青ざめてわたしはぎゅっとスケッチブックを抱きしめてルフィーノ様から距離を取ると、ルフィーノ様はにっこりと笑顔を浮かべました。


「…別に隠さなくてもいいのに」

「ルフィーノ様にお見せできるようなものではありませんので。お目汚し失礼致しました」


 では、わたしはこれで。そう言ってサッと立ち去ろうとしたわたしの腕をルフィーノ様が掴む。一体なんですか。居たたまれないので立ち去らせてくださいよ。


「絵を見せてくれる約束だったよね?」

「申し訳ありません、わたしにはそんな約束をした覚えは一切ありませんわ」


 わたしはにこっと笑顔を作り、答えました。

 ええ、見せるとは言っていませんからね。持ってくるとは確かに言いましたけれど。


「…なかなか手強いな」


 ぼそりと呟いたルフィーノ様の言葉に、わたしはフフン、と笑いそうになって、寸前で堪えました。危ない、危ない。

 きっとルフィーノ様は今までこのように女性に扱われたことがないのでしょう。ルフィーノ様はとても整った顔立ちをされていますし、たまに聞こえるルフィーノ様が女性に囁く台詞は聞いているこちらが赤面しそうなほど甘く、また女性に対してとても優しい。そんなルフィーノ様が女性にちやほやされるのは当たり前でしょう。

 しかし、わたしは違います。わたしには前世の記憶と言う武器があるのです。そしてルフィーノ様はわたしの敵であることも知っているのです。敵と知っている人に絆らせてしまうほどわたしは甘くはありません。名前は甘いんですけどね! …自分で言っててつらい。


「…今日はこれくらいでいいにしようかな。あまりしつこくして嫌われたくないし」


 今日は、ですか…。ということは明日も同じような目に遭うってことなんでしょうか。

 勘弁して頂きたいのですが。こうしてルフィーノ様と二人きりでいるところを他の方、ましてやルフィーノ様のファンの方々に見られた日にはなにをされることやら…。

 ああ、考えただけで鬱になりそうです。

 もうわたしのことは放っておいて頂きたいのですが。


 「じゃあね」とルフィーノ様は手を軽く振って立ち去りました。その背中をぼんやりと見送って、わたしははぁ、とため息を吐きました。

 ルフィーノ様とお話をしていると、どうも疲れます。わたしはやはりあのお方が苦手です…。




 バシャッと音がしたと思うと、わたしは頭から水を被っていました。

 いったいどこから…と上を見ると、「いい気味だわ」と呟く令嬢の声が聞こえました。


「ヴィルマ様に気に入られているからといって、好き勝手して…」

「ルフィーノ様やエミリオ様だけではなく、殿下にまで媚を売って」

「たかが子爵令嬢のくせに調子に乗っていた罰よ」


 ふふふ、と愉快そうな笑い声を残して令嬢たちは立ち去ったようです。

 ここは中庭で、地面が濡れたとしても問題はないのですが…上の階の教室でわたしがここを通るのをわざわざ待っていたのじょうか。物好きですねえ…。

 わたしは水分を吸って重くなった髪と服をぎゅっと絞りました。結構な量をかけられたようです。わたし一人じゃなかったら彼女たちはどうするつもりだったのでしょう。


 わたしはこれから生徒会室に行くつもりだったのです。しかしこんなずぶ濡れ状態では行けません。生徒会の皆さまに心配を掛けたくはありません。ただでさえ、エミリオ様はわたしが虐められているのではないかと疑っているようですし。

 しかし着替えなどもありませんし、わたしは家から通っているので一回家に帰ってまた戻るというのも…。

 とにもかくにも、こうしてここにずっといるわけにはいきません。どこか一人になれるところに行ってゆっくり考えましょう。

 そう結論に至って、わたしはもう一度よく制服と髪をぎゅっと絞りました。これでぼとぼとと雫が垂れることはないでしょう。


 …しかし、なぜわたしはこんな目に遭わなくてはならないのかしら。


 普段は考えないようにしている疑問は一度考え出すと止まらなくなります。わかっているからこそ考えないようにしているのに、頭から水を被ったこの状態は堪えます…。

 わたしは別に好き勝手になんてしているつもりはありませんし、ルフィーノ様やエミリオ様はもちろんのこと、殿下にも媚なんて売っていません。言いがかりもいいところです。

 …いえ、わかっているのです。わたしは身分が低いのにも関わらず、高貴な方々と気軽とは言い難いですが、それでも他のご令嬢方よりも接する機会が多い。それに嫉妬しているのでしょう。それが友人に接するように気安い態度であるなら、なおのこと。

 そして、恐らくですがゲームの補正のようなものもあるのでしょう。ゲーム通りとは言い難いこの状況ではありますが。


「…スイート嬢?」


 背後から掛けられた声にわたしはビクリと震えました。一番聞きたくない声に、わたしは泣きそうになりました。

 神様はなんて意地悪なのでしょう。ヒロインらしいことなんて一つもないのに、なぜこういう嫌な目にばかり遭わなくてはならないのでしょうか。

 ああ、でも声を掛けたのがカーティではなくて良かったのかもしれません。

 カーティは見た目は美少女のように可愛らしいのですが、中身は真っ直ぐで男と書くよりも漢と書く方が似合う子なのです。一直線で、曲がったことが嫌い。そんなカーティにわたしが嫌がらせを受けていることを知られたら、きっと激怒して、嫌がらせをしてきた令嬢たちに喧嘩を売ってしまうでしょう。わたしに嫌がらせをしてきた令嬢たちの中にはわたしたちよりも身分の高い方もたくさんいるはず。そんな方々に喧嘩を売るのは、カーティの将来を考えればマイナスにしかなりません。


「君、どうしてそんなに濡れて…」

「なんでもありません。わたしのことはお気になさらず」


 そう毅然とした声音で告げ、わたしは振り返りました。

 振り返った先にいたのは、ルフィーノ様でした。取り巻きのご令嬢方がいません。今日は一人でいる日なのでしょうか。

 そんなルフィーノ様は珍しく困ったような顔をしてわたしを見つめています。


「なんでもないって…とてもなんでもないようには見えないけど」

「わたしが少しドジを踏んだだけです。ルフィーノ様は生徒会室へ行かれるのでしょう。どうぞわたしに構わず、行ってください」

「そうは言っても…」


 どうしたものかと悩むようにルフィーノ様は眉間に皺を寄せました。

 …なんでそんなに優しくするのでしょう。ルフィーノ様は悪役令息で、わたしを虐める役なのに。悪役なら悪役らしくずぶ濡れになったわたしを嘲笑ってくれればいいのに。いつもみたいにわたしを揶揄ってくださいよ。優しくされたら、余計に惨めに感じるじゃないですか…。

 わたしは零れそうになる涙を根性で堪えて、「失礼致します」とルフィーノ様の前から立ち去ろうとしました。けれど、手を掴まれてそれは叶いません。


「なんですか」

「…いや、君が泣いているように見えて…」


 咄嗟にわたしの手を掴んだことにルフィーノ様自身も戸惑っているのか、困った顔をしています。けれどわたしにそんなルフィーノ様の様子に気付く余裕などなく、無礼という言葉すら抜け落ちてわたしはルフィーノ様の手を振り払いました。

 そんなわたしにルフィーノ様は目を丸くしました。わたしはルフィーノ様を睨んで、震えた声で言いました。


「誰が…誰があなたの前で泣くものですか! わたしはそんなに弱くないわ!」


 そう叫んでわたしは礼儀作法を忘れて全力で走りました。

 一刻も早く、ルフィーノ様の前から立ち去りたかった。


 一人になると我慢していた涙がぽろぽろと零れてきました。

 わたしはそんなに弱くない。けれど、決して強くもないのです。

 だから一人の時になると心のままに泣いてしまう。わたしは木の陰に隠れてひっそりと泣きました。


「スイート?」


 ひっそりと泣いていると、柔らかい声が上から振ってきました。

 顔を上げるとわたしを心配そうに見つめる殿下の姿がそこにありました。


「で、殿下…」

「どうしたの…って聞いても答えてくれなさそうだね。良かったらこれをどうぞ?」


 そう言って殿下が差し出してくれたのはハンカチでした。柔らかい触り心地のハンカチは殿下の声音と同じで、わたしは思わず受け取ってしまいました。

 ああ、いやだなあ。弱いところなんて見られたくないのに…。


「だ、だめですよ、殿下。わたしなんかに優しくしたら…ヴィリー様に勘違いされてしまいますよ」

「うーん…でもきみが泣いているのを放って置いたら、それはそれでヴィルマに怒られそうだから。ヴィルマは怒るととっても怖いんだよ」


 そう言っておどける殿下の表情が可笑しくて、ふふ、と笑うと殿下は優しく微笑みました。


「きみは笑っていた方がいい。きみとヴィルマが笑い合っている姿を見るのが僕は好きなんだ」

「まあ。…そんなことを言われたら、勘違いしてしまいますよ?」

「きみは賢いから、勘違いなんてしないよ」

「殿下はわたしを過大評価し過ぎです」

「そんなことないさ。なんと言っても、あのルフィーノの口説きを無視できるんだからね」


 どういう意味だろう、とわたしが首を傾げると、殿下は楽しそうに笑い声をあげました。

 そして「今日は家に帰りなよ。生徒会の仕事はなんとかするから」と言ってくださり、わたしはお言葉に甘えてそのまま家に帰ることにしました。

 どうしてずぶ濡れなのか、敢えて理由を聞かずにいてくれた殿下の優しさがとても嬉しいです。わたしなんかのことを気遣ってくださり、本当に殿下はお優しい。さすが我らが自慢の王太子殿下です。

 家に帰ってずぶ濡れ状態なわたしに家の者は皆ぎょっとしていましたが、わたしはなんとか誤魔化すことに成功しました。

 その事にほっと胸を撫で下ろしつつ、ルフィーノ様にはきつく言い過ぎたかもしれない、と反省をしました…。




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