3.ヒロインだからと言ってちやほやされるわけではない
本日3度目の更新です。
今、わたしの目の前では悪役令嬢による逆ハーレムが繰り広げられております。
遠目から見ている分には眼福かもしれませんが、わたしとその逆ハーの距離はわずか5メートルも開いておりません。
わたしもすぐ近くにいるのに、わたしは逆ハー要員たちにとってはアウトオブ眼中らしい。
すぐ傍にいるのに、まるでいないか空気かのように扱われております。わたし、一応乙女ゲームのヒロインなのに。
別にちやほやされたいわけではないのです。
ただ、なんというのでしょうか…そう、納得ができないと言いますか…。
この学園に入学するまで関わり合いのなかったお三方に関しては別に空気のように扱われてもいいのです。仕方ないと諦められます。
けれど、入学する前から交流のあったニコラにでさえ眼中に入れて貰えないとはこれいかに。
わたしはニコラのことを兄のように想っておりましたのに、悲しいを通り越して白目になりそうです。
…ところでわたし、ここにいる意味があるのでしょうか。
意味がないのなら、図書室に行って本を読むか借りるかするか、または自室で勉強をするなりして一人の時間を満喫したいのですが。
しかし、ヴィルマ様がわたしの服を掴んだまま離さないのです。まるで逃げるなと言わんばかりに。
いないものとして扱われているのに、イザベラ様とカスティリオーニ様からは「さっさと何処かへ行け」という無言の圧力を感じるような気がするのはわたしの被害妄想なのでしょうか。
「ヴィルマ、この間の茶葉なのですが…」
「ヴィルマが欲しがっていた…なんて言ったか…あずき? そう、あずきが手に入ったんだけど…」
「まあ。二人とも、わざわざありがとう。とても嬉しいわ。そうだわ、今度わたくしの家でお茶会をしましょう。そこでリオが手に入れてくれた茶葉と、ディーノが探してきてくれた小豆を使ったお菓子を作って、皆で食べましょう」
ヴィルマ様がにこやかにそんな提案をされています。
…ところで今聞き捨てならない名詞があった気がするのですが…。
「あずきって?」
わたしの気持ちを代弁するかのように殿下が質問を投げかけました。
そう、それです。わたしもそれが気になって仕方ありません。
わたしの前世の知識が正しければ、あずきというものは、あんこというとても素晴らしい甘味になる魔法のお豆だったはず。
前世の記憶を思い出してから、わたしは時折無性にあんこが食べたくなって仕方ありませんでした。前世が日本人だったからでしょうか。
白米は辛うじてこの世界にあるのですが、お味噌や醤油といった日本の伝統調味料はさすがにこの世界にないようで、わたしはがっかりしていたのです。
温かいご飯とお味噌汁に焼き魚。和食が恋しい今日この頃です。
「東方の国にある豆のことですわ。砂糖と一緒に煮込むととても甘くて美味しい甘味になりますのよ」
「そうなのか」
「そんなものがあるとは初耳です。ヴィルマ様は博識なのですね」
殿下とニコラが感心したように頷きます。
…ヴィルマ様のおっしゃられた甘味って、あんこのことですよね?
これでヴィルマ様が転生者であることは確実となった気がします。
「そんなことは…。ああ、殿下とニコラ様も、お時間があれば是非いらしてください。それに、スティも」
「え?」
突然話を振られ、わたしはぽかんとした間抜けな表情を浮かべてしまいました。
これって淑女として如何なものでしょう。わたしはすぐに表情を引き締めましたが、皆さんばっちり見てしまいましたよね…。
ああ、ニコラ。そんな残念そうな目でわたしを見ないで…!
殿下の優しい笑みに居たたまれなさを感じてしまうのですが。
そしてイザベラ様とカスティリオーニ様、ヴィルマ様がわたしを愛称で呼んだからと言ってそんな目でわたしを見ないでください。
「あずきで作った甘味は、是非スティに食べて貰いたいの」
都合が悪かったかしら…と上目遣いでわたしに言うヴィルマ様。
ああ、そんな顔でわたしを見ないでください…! 悩殺されてしまう…!
……いえ、むしろ視殺されてしまいます。イザベラ様とカスティリオーニ様によって。
「予定はないので大丈夫なのですが…わたしが伺っても大丈夫なのでしょうか…?」
わたしはチラっと攻略対象者の方々を見ながらヴィルマ様にそう質問すると、ヴィルマ様はとても嬉しそうに笑いました。
「大丈夫に決まっているわ! ねえ、皆もいいでしょう?」
ヴィルマ様は逆ハーのメンツを見ながらそう問いかけました。
満面の笑みを浮かべたヴィルマ様にそう言われて嫌だと言う方はここにはいらっしゃいません。皆さま二つ返事で了承しました。
だけど内心では舌打ちをしていらっしゃるに違いありません。
わたしを見つめる皆さまの視線に少し恨みがましいような色が混じっているので。
「皆さまが良いのなら…ぜひ、お邪魔させてください」
わたしがおずおずとそう言うと、ヴィルマ様は「とても嬉しいわ! お茶会の日が楽しみね」とふふ、と笑いながらご機嫌そうに言いました。
正直に申し上げますと、わたし、あんこが食べたいのです。あんこに釣られて皆さまの恨みがましい視線に耐えて行くと告げたのです。
だけど当日独りでその視線に耐えられる自信がありません…。
「あの、ヴィルマ様」
「まあ、スティ。ヴィリーと呼んでちょうだい?」
「あ、はい…ヴィリー様」
「なにかしら?」
「そのお茶会にカーティも一緒ではだめでしょうか…?」
「もちろん、いいに決まっているじゃない。ぜひ、カーティと一緒にいらして」
にこにことして二つ返事で了承を頂けて、わたしはほっと胸を撫で下ろしました。
カーティには申し訳ないのですが、わたしの道連れになって貰いましょう。
愛する妹のためにこれくらいの犠牲になって貰わなくては。
こうしてわたしは、ヴィルマ様主催のお茶会にお呼ばれされることになったのでした。
両親にヴィルマ様のお茶会にお呼ばれされたことを告げると、両親は戸惑った顔をしました。
ええそうでしょうとも。ただの子爵令嬢たるわたしと公爵令嬢であるヴィルマ様に接点があるなんて思いませんものね。
ですがここは(恐らく)乙女ゲームの世界。ヒロイン(?)であるわたしと悪役令嬢(?)であるヴィルマ様は自ずと接点ができてしまうのは当然のこと。
……そうですとも。ゲームの流れとまったく違う流れになっているとしても、そして嫌われるはずの悪役令嬢から好かれてしまっているとしても、(恐らく)乙女ゲームの世界である以上、わたしとヴィルマ様の接点が出来てしまうのは必要な流れなのです。
両親にはなんとか納得してもらえるように説明をし、わたしはカーティと共にヴィルマ様のお屋敷へお邪魔しました。
ヴィルマ様のお屋敷はさすが公爵家だけあって、うちとは比較にならないほど立派なお屋敷でした。
いえ、うちと比較することがおこがましいのかもしれませんけれど。
わたしは立派なお屋敷に思わず口をぽかんと開けて見惚れてしまいました。
そんなわたしの脇をカーティはつつき、わたしはハッとしました。
そしてすぐに公爵家の執事さんと思われる男性が出てきて、わたしたちを案内してくれました。
執事さんによって案内されたのは丁寧に手入れのされた庭園のとある一角でした。
細長いテーブルには高価そうなクロスが敷かれていて、これにお茶を零したら染み抜きするのが大変だろうな、とわたしは遠い目をしそうになりました。なにせ、真っ白なクロスでしたので。
わたしたちが到着した頃には攻略対象者の方々はもうすでに来られていたようで、ヴィルマ様を囲んでいつもの如く逆ハーを築いておられました。
……仲のよろしい事で。
ヴィルマ様はわたしたちに気付くと輝くばかりの笑顔を浮かべ、攻略対象者の方々を放ってわたしへ駆け寄って来てくださいました。
「スティ! いらっしゃい、待っていたわ」
「本日はお招き頂きありがとうございます、ヴィリー様」
「こちらこそ、来て貰えてとても嬉しいわ。――カーティも。忙しいところ、ごめんなさいね?」
「いえ。愛する妹とヴィルマ様の頼みですから」
そう言って愛想笑いをカーティは浮かべました。
そしてチラリとわたしを見た目は「…なにこの状況? オレ聞いていないんだけど?」と言っておりました。ですが、わたしはにこにこ笑顔でそれを華麗にスルーしました。
ふふ。双子だからって目で会話が出来るとは限りませんので。
わたしはついでに攻略対象者の方々にもにっこりと、ドヤアと笑って差し上げました。
見てください、ヴィリー様のこの輝くばかりの笑顔。
あなたたちが相手では決して見れないものでしょう。
ヒロインの力を舐めないで頂きたい。
攻略対象者の方々はそんなわたしのドヤ顔に一様に微妙な顔を浮かべました。
殿下とニコラは困った風に、イザベラ様とカスティリオーニ様は悔しそうにわたしを見つめております。
ふふ、いい気味だわ。
散々わたしを空気のように扱った酬いを受けてくださいな。
わたしがそんな優越感に浸っておりますと、ヴィリー様が不意にわたしの背後を見てなにかに気付いたような顔をして、そして不愉快そうに顔を歪めました。
なんでしょう。
わたしがそう疑問に思い、後ろを振り返ろうとしたのですが、ヴィリー様によってそれを遮られました。
どうやって遮られたかと申しますと、物理的にです。
もっと詳しく言うと、ヴィリー様は私の顔を両手で挟み、わたしが背後を振り向くのを阻止したのです。
…あの、変に力が加わったせいで首が痛いのですが…。
ところでこの状況は一体なんなのでしょう。
「姉さん、俺に黙ってお茶会を開くとは…」
「あら。あなたの許可が必要だったかしら? とにかくあなたはお呼びでないわ。大人しくお部屋で本でも読んでいらして?」
「ふーん? 俺が居たらまずいことでもあるの?」
「あるに決まっているでしょう。あなたが居たら折角のお茶がまずくなるわ」
「言ってくれるな、姉さん」
背後から聞こえる甘い声音。この声どこかで聞いたことある気がするなあ、とわたしがぼんやりと考えていると、突然くるりと体の向きが変わりました。
突然のことにわたしが驚いていると、目の前には見覚えのある顔がありました。
「……なるほど。俺が居たらまずい理由はこれか」
…人をこれ呼ばわりですか。
わたしヒロインなんですけれど、もうヒロインのヒの字の恩恵もないようで、少しだけ悲しいです…。
「ルフィ!」
ヴィリー様が珍しく声を荒げてキッと彼を睨みました。
彼はそんなヴィリー様を無視し、わたしを興味深そうに上から下まで見つめています。
正直、正面からまじまじと全身を見られて気分が悪いです。
なので仕返しとばかりにわたしも彼をじっくりと観察することにしました。
漆黒の髪は癖が無くてサラサラで、耳元に掛かるくらいの長さ。腹が立つくらい睫毛が長く、その瞳はまるで朝日に輝く太陽のような綺麗な金色。
切れ長の瞳は少し垂れ目がちで、全体的に甘い雰囲気の整った顔立ち。世の女性が放って置かない容貌をしていらっしゃいます。
彼の名はルフィーノ・レイ・リッツォ様。ヴィリー様の義弟に当たる方で、ゆくゆくはリッツォ公爵の名を継ぐ方。
そして乙女ゲーム登場人物で、彼の役割は“悪役令息”。
敬愛する義姉のヴィリー様の邪魔をするわたしにヴィリー様とは違う方法で嫌がらせをする役の方です。
確か重度のシスコンで、義姉が好き過ぎてヒロインを邪魔者扱いしていたような…。
「ルフィ、いい加減にして! わたくしの邪魔をするつもりなの!?」
「やだなあ、姉さんの邪魔をする気なんてこれっぽっちもないさ」
そう言って彼――ルフィーノ様は朗らかに笑いました。
しかしヴィリー様はそんなルフィーノ様の顔を疑うように見つめていらっしゃいます。
「失礼。自己紹介がまだだったね。俺はルフィーノ。ヴィルマの義弟に当たる。とは言っても同い年だけどね。義姉共々、これからよろしく」
「…スイート・グリマルディと申します。こちらこそ、よろしくお願い致します」
わたしは儀礼的に答えました。
悪役令息とはよろしくなんてしたくないのですが、ヴィリー様の義弟にあたる方ですし、これから接する機会も増えそうなので、挨拶だけはきちんとすることにしました。
「…しかし、姉さんが入れ込むほどには見ないけどな」
「ルフィ! これ以上失礼なことを言ったら怒るわよ」
目をつり上げて怒るヴィリー様を見て、ルフィーノ様は肩を竦めました。
そしてにっこりと、普通の令嬢ならうっとりしそうな笑みを浮かべてわたしを見つめて言いました。
「これから会う機会も増えるだろうし、本当に姉さんが入れ込むほどの存在なのか見させて貰うよ」
そしてわたしの髪を一房掴み、そっとキスを落として「じゃあね」と去っていきました。
……なんて、気障なの。
わたしは呆然として彼の去っていった方を見つめました。
幾らイケメンで様になるとはいえ、こんなことをすんなりとやってのけるとは、なんて気障な方なのでしょうか。
あら。気障って死語でしたか?
「スティ、ごめんなさい。弟が、とんでもないことを…」
「いいえ。わたしは気にしていませんから」
そう言ってわたしはヴィリー様に微笑む。
ヴィリー様はそれでも申し訳なさそうな顔をしていた。
そんなヴィリー様を見かねて、「皆さまお待ちですから…」とわたしが言うと、ヴィリー様はハッとした顔をしてわたしに謝り、そして攻略対象者の方々の元へわたしたちと共に戻りました。
わたしは普通の顔をして用意された席に着きました。
すると攻略対象者の方々に一斉に可哀想な目で見られたのですが、一体なんですか。
「スティ、大丈夫か?」
わたしが攻略対象者の方々の視線に解せないものを感じていると、カーティが心配そうにわたしにそう声を掛けて来てくれました。
「大丈夫」とわたしが答えると、カーティは幾らか安心したような表情を浮かべました。
ああ、やっぱり今日カーティを連れて来て正解だったとわたしか心から思いました。
しかし、残念なことに、わたしは想像以上にルフィーノ様の件に衝撃を受けていたようで、イザベラ様が用意してくださった緑茶も、カスティリオーニ様が苦労して手に入れてくれたあずきでヴィリー様が作ってくださった大福も味がわかりませんでした。
この時は、心からルフィーノ様を恨みました。
食べ物の恨みは恐ろしいんですよ?