9.手伝ったからと言って上手くいくわけではない
殿下に告げられた噂の令嬢の正体がわたしだった、という事実を聞いてから早くも一週間が経過しました。ですがいまだ立ち直れません…。いったいなにがどうしてそんな噂が生まれるのでしょう。
ルフィーノ様は今まで通りにご令嬢方を侍らせていますし、わたしとの接触も少ない。なのになぜそんな噂が…。
いえ、人の噂も七十九日と言いますし…しかし七十九日って結構長いですよね。はあ…。
わたしがため息をついていると、ヴィリー様が心配そうに「どうしたの?」と聞いてくださいました。そしてお菓子までくださいました…!
なんてお優しいのでしょう。ヴィリー様は本当に素晴らしいお方です。お菓子頂きます。ん? …これ、お饅頭じゃ…?
「それ、作ってみたのだけど…お味はどうかしら?」
「とっても美味しいです。もっと食べたいくらいです」
わたしが正直にそう感想を言うと、ヴィリー様はとても嬉しそうに顔を綻ばせて「良かった…良かったらもっと食べて?」とおっしゃってくださいました。いいんですか? 遠慮なくいただいちゃいますよ? ああ、あんこうまい…。
「スティ。ちょっと聞きたいことが…って。なに食ってんの…?」
もぐもぐとお饅頭を幸せいっぱいに噛みしめて食べていると、カーティがわたしのもとへ近づいてきました。そして饅頭を頬張るわたしを見て呆れた顔を浮かべています。気にしませんけどね!
「良かったらカーティも食べる? わたくしが作った物だからお口に合うかどうかは自信がないけれど…」
「…これ、ヴィルマ様が作られたんですか? 見たことない食べ物ですけど…頂きます」
そしてカーティがお饅頭を一口で食べました。一口って…もっと味わって食べましょうよ。
カーティがごっくんとお饅頭を飲み込み、目を見開いてヴィリー様を見つめました。
「…すごく美味しいです。これはなんていう食べ物なんですか?」
「これはね、マンジュウと言うのよ」
「マンジュウ…もう一つ食べてもいいですか?」
「どうぞ」
カーティは律儀に頂きます、と言って今度は一口ではなく半分くらい食べて中に入っている物を見つめました。
「これ…周りはそんなに甘くないけど、この真ん中に入っている黒いやつがとても甘いんですね」
「ええ、そうなの。これはアンコと言うのよ。小豆って言う小さな豆からできているのだけど…」
ヴィリー様はあんこについてカーティに語り出しました。カーティもそれを真剣に聞いています。その間にわたしはお饅頭をもう一つ頬った。…ああ、美味しい…あんこ最高…!
尚も続くヴィリー様のあんこ講義に耳を傾けつつ、わたしはお饅頭をひとつ、またひとつと頬張っていきます。至福のひと時です。
「…なるほど。ヴィルマ様は博識ですね」
「そんなことないわ」
「その知識をどこで身に付けられたのですか?」
「それはね…ふふ。秘密」
「秘密ですか……って、あ! スティ! 食べ過ぎだぞ!」
あ。バレちゃった…。
プンプンと怒るカーティからぷいっと顔を逸らし、わたしは窓から見える空を見つめました。ああ、今日はいい天気ですねえ。こんな日に日当たりの良い場所でお昼寝をしたらとても気持ちいいでしょう。
そんなことを考えると、わたしの視界に眉間に皺を寄せて目を釣り上げたカーティの顔が飛び込んできました。……これは、本当に怒っていますね。
「スティ?」
にこっと不意にカーティが可愛らしい笑みを浮かべました。
その笑みに当てられたクラスのご令嬢が「きゃあ!」と叫んだり、気絶しそうになっていますが、そんなことよりわたしピンチです。こういう笑みを浮かべたカーティは恐ろしいのです。
「な、なぁに?」
うふっとわたしも負けじと微笑みます。背中の汗がすごいことになっていますけど、そんなことは表情には決して出しません。ビビッっているなんてバレたらカーティに馬鹿にされ、貶され、蔑まれ、嘲笑われるのですから。ビビってなければ貶されて罵られる程度で終わるのです。それだけでも精神的には全然違うのです。
「ヴィルマ様が作ってくださったお菓子を全部食べてしまうなんて、とても行儀悪いと思わねえの?」
「まあ。嫌だわ、カーティ。全部食べてしまっていないわ。まだ二つ残っているもの」
「ほぉ、二つ、ねぇ…?」
「そうよ、二つも、残っているんだから!」
ヴィルマ様が用意してくれたお饅頭の数は十個。二つも残っているんだから十分ですよね? ね?
ドヤアと自信満々で言うと、カーティがわたしの耳を掴みました。
そうっとではありません。思いっきり、です。
「ぎゃっ。い、痛い! 痛いわ、カーティ!」
「なに当たり前なこと言ってんの? 痛いようにしてんだから痛くないと困るだろ?」
な? と笑顔で聞いてきますけど、わたしは痛いと困るんです!
いや、本当に痛い! わたし涙目ですよ!?
「なぁ、スティ。人様のもん、ほとんど食っちまってさぁ、いいのかなぁ?」
「よ、よくないと思います…」
「だよなぁ。なら、なんでやんの? あん?」
が、ガラ悪すぎじゃありませんか…。どこぞのチンピラみたいですよ、カーティ…。
わたしがうるうると痛みで涙を滲ませると、見かねたヴィリー様が「カーティ、落ち着いて?」とカーティを宥めてくださいました。
が、カーティはそんなヴィリー様をジロッと睨み、「今ちょっと妹の躾中なんで」とわたしに視線を戻しました。あのヴィリー様を睨むとは…そんなとこ、エミリオ様とディーノ様に見られたら殺されちゃいますよ!
「スティ、言うことがあんだろ? 言えよ」
「う…ご、ごめんなさい…」
「聞こえねぇなぁ?」
「ご…ごめんなしゃい!!」
よし、とカーティは満足そうに頷き、わたしの耳を離しました。わたしは耳を押さえてひっくとしゃっくりをしました。
み、耳が痛い…千切れるかと思いました…。耳なし芳一になるかと思いましたよ…。
そしてなによりカーティのガラが悪すぎて怖かったです…いつもこうですけど、やっぱり怖いです…。
「…そんなに怒らなくても…」
ヴィリー様が困ったようにカーティを見つめ、ひっくと嗚咽を漏らすわたしの背中をさすってくださいました。うう…ヴィリー様の手が温かい…。
「いいえ。これくらいしないと、スティは同じことを繰り返すので。お見苦しいところをお見せして申し訳ありませんでした」
そう言ってヘコリとヴィリー様とクラスの皆さまに頭を下げるカーティをわたしは涙目で睨みました。いつか絶対泣かせてやる…! そんな幼い頃からの野望を再び思い出しました。
「…スティ、よかったら、これ食べてくださる? わたくし、試食でいっぱい食べたからもういいの。それに、スティに美味しいって言って貰えてすごく嬉しかったから…」
「ヴィリー様ぁ…ひっく」
わたしはヴィリー様の優しさにまた泣きました。なんてお優しいのでしょう…。
「あ、あの、ヴィリー様」
「なあに?」
「これ、もうひとつ、カーティにあげてもいいですか?」
そう問いかけるとヴィリー様はパチリと瞬きをして、そしてゆっくりと微笑みました。
「もちろん、これはスティにあげたのだもの。スティの好きにしていいのよ」
「あ、ありがとうございます…!」
わたしはお饅頭を手に持ち、クラスメイトに話しかけられているカーティのところへ歩いていき、カーティに声を掛けました。
カーティは一度怒ったらあとには引かない子です。なので、もうわたしに対しては怒っていないはず。
「…カーティ」
「ん? なんだ?」
予想通り、いつもと同じ態度のカーティにほっとしつつ、手に持ったお饅頭をカーティに差し出しました。
「さっきは、ごめんなさい。わたしが考え足らずでした」
「まあ、そうだな。これからは気を付けろよ?」
「はい。…それでね、お饅頭の最後の二つ、ヴィリー様がくださったの。だから、一つ、カーティに」
「…オレに? なんで? スティが食べればいいだろ」
「でも、カーティ、これ気に入ったんでしょう? だから、あげる」
わたしがお饅頭を差し出すと、カーティは困ったような顔をしました。
「ったく…これで機嫌取れると思ったら大間違いだからな?」
そう言ってカーティはお饅頭を受け取り、そしてもぐもぐとお饅頭を食べて、一瞬だけとても幸せそうな顔を浮かべました。わたしにしかわからないくらいの変化でしたけれど、確実にカーティはこのお饅頭が気に入ったようです。元日本人として嬉しい限りです。
「…ああ、そうだ。殿下から伝言を預かっていたんだった」
「……え」
嫌な予感しかしません。続いて告げられたカーティの言葉にわたしはギクリと体を強張らせました。
「『例の件、急ぎで頼む』って言うようにって言われたけどさ…なんの話?」
「…ヴィリー様の話」
それだけ言うと、カーティは「…ああ」と呟き、同情した眼差しでわたしを見つめました。
やめて、そんな目でわたしを見ないで…! わたしだって、後悔しているんですから!
「…なんていうかさ。頑張れよ、スティ。お兄様は陰から応援している」
「…陰からじゃなくて日向からも応援してお兄様…」
「はは、ごめん、ムリ」とお兄様は無常にわたしを切り捨てました。なんて兄でしょう…!
とにかく殿下からこうして催促が来た以上、早急に任務を達成させなければなりません。
わたしは気持ちを切り替えてヴィリー様の元へ戻りました。今はヴィリー様の傍にはエミリオ様もディーノ様もいらっしゃいません。聞くなら今がチャンス!
「お帰りなさい、スティ」
「あ、ただいまです…」
チャンスとわかっていても聞き辛い! なかなか聞けませんよ、『ヴィリー様は誰がお好きなんですか?』なんて!
それにもし、ヴィリー様の回答が殿下以外のお名前だったらわたしどうすればいいんでしょうか? 『良い回答を楽しみにしている』とか言われちゃいましたし、殿下以外のお名前を言われた日にはわたしはどうなってしまうんでしょう? 嘘をつくしかない? 王族の方にそんなことできませんよ。
他愛のない話をして、わたしはそわそわと聞く機会を伺います。しかしいくら待ってもそんな機会はやってきそうにないので、わたしは切り込むことにしました。気分は切り込み隊長。いざ、先陣をきって、尋常に勝負! なんの勝負なのか知りませんけど。
「あ、あの、ヴィリー様!」
「どうしたの、スティ? そんなに意気込んで…」
ヴィリー様が戸惑ったようにわたしを見つめましたが、それを気にしていられません。
わたしは鼻息も荒く、興奮した牛のようになりながらヴィリー様に詰め寄りました。
「え…あの……スティ?」
「ヴィリー様に、お尋ねしたいことが!」
「な、なにかしら…」
若干引き気味になっているヴィリー様。そんなヴィリー様に構わずわたしは真剣な目でヴィリー様を見つめ、神に祈るような気持ちで言いました。
「ヴィ、ヴィリー様は…誰がお好きなんですか!?」
言った! わたし言いましたよ、殿下! 頑張った…! なんかもう、これだけで任務達成した気分になりましたが、報告するまでが任務です。気は抜けません。
「誰が、好き?」
ヴィリー様は首を傾げ、悩むように視線を彷徨わせ、そしてピタリとわたしに目を止めてにっこりと笑いました。とても美しい微笑みに思わずうっとりとしながら、わたしはヴィリー様の回答をドキドキとしながら待ちました。
「そうね…わたくしは…」
ああ、なんでしょう、この胸の動悸。まるで告白の回答を聞くかのような高揚感。
いえ、別にわたし告白したわけじゃないんですけどね?
「わたくしが好きなのは…スティ、あなたよ」
「………え?」
予想外の回答にぽかんとしていると、ヴィリー様はクスクスと笑い声をあげました。
「そういうあなたの可愛いところがとても好きだわ。あなたはわたくしの一番のお友達よ」
ふふっと楽しそうに笑うヴィリー様をしり目に、わたしはなんってこったいと内心で頭を抱えておりました。
わたし、なんて殿下にご報告申し上げれば良いのでしょう。ヴィリー様の好きな人はわたしでした、なんてふざけた報告できませんよ。どうしましょう…。
「…あ、ありがとうございます、ヴィリー様。光栄です…」
わたしはそう答えるのに精いっぱいで、そのあとのヴィリー様の言葉をあまりよく聞いておりませんでした。
「あなたはわたくしの大切なお友達。だからお願い。他の誰を選んでもいい。でもどうか、ルフィーノだけは選ばないで…」
その言葉がどれだけ大切な台詞だったか、わかるのはまだだいぶ先のことでした。