07 誓
交渉の場は早急に設けられた。場所は、もともとダレスが住んでいた城だった。
代表として、サンメリエ王国からはオーラブとロキスタが出席する。灰色の地からは、民衆のまとめ役をしているというクロードとラルスという農夫が出席する。仲介と称し、隣のヴァンテリエ王国からは第三王子ジアンが来た。実際は灰色の地の後押しをするためだ。持っていたって利益になることは少ない土地だが、恐らく戦前の領土に戻したいのだろう。
交渉期間中は、いかなる戦闘も禁止されている。
よく晴れた日の午後、ジアンにあからさまに嫌そうな顔をしながらオーラブは席についた。
「王太子様。中央では我々のことを反乱と言われているようですが、心外です。我々は、生きるために自分で声を上げているだけなのです」
クロードが述べる。白髪混じりの髭に、がっしりした体だ。
「我々の住まう地が、灰色の地と言われるのは仕方ないと思っています。土地は痩せて、資源はない。税だってろくに払えません。それでも我々は故郷から離れるつもりもありません。サンメリエ王国からヴァンテリエ王国の領土となり、再びサンメリエ王国の領地となり、ダレス殿下は我々のために多くのことを成してくださいました。なのに、あなたはそれを壊した!あなたが壊したんだ!」
クロードがオーラブを睨む。オーラブは彼を見つめ返した。ロキスタは表情にこそ出さないが、怒りを抑えているのがオーラブには分かった。
「これなら、まだヴァンテリエ王国の領地だった方がましでした。どうせ税を取られ、中央から見放されるなら、いっそ独立でもしてしまった方がましです」
一通り喋ると、今度はヴァンテリエ第三王子ジアンが割って入った。金の綺麗な髪を耳にかけ、彼は微笑んだ。
「まあまあ……独立と言っても、サンメリエ政府の承認なしにはいかないでしょう。それに、独立してもまた他国から侵入があった場合、農業国になっては守れません。……実は、父王陛下はあなたがたの地をサンメリエに譲ってしまったのをひどく後悔しておられましてね。財源も改革を見直して……」
クロードの目が、わずかにジアンの方へ動いた。それを見逃さず、ジアンがにやりと笑う。
ロキスタが立ち上がろうとした時、彼の隣でオーラブがテーブルを叩いて立ち上がった。
「ふざけんな!だったら、俺はこれに誓ってやるよ。必ず、この地を豊かにしてみせる」
そう言って彼が取り出したのは、灰色の地を統括する者が持つ印章だった。戦後条約に基づき、ヴァンテリエ政府から譲り受けたものだった。サンメリエ政府は、これに王家の紋章を加えたものを正式な印章としていた。ダレスに預けてあったが、反乱鎮圧と共に中央に持ち帰り、以降はオーラブが所有していた。
「それは、ダレス様の紋章……」
クロードとラルスが呟く。
「違う!ダレスのじゃない!俺のものだ!」
オーラブが怒鳴った。クロードとラルスが黙る。だが、すぐにオーラブを睨んだ。
「い……いくら次期王位継承者だからと、ふざけないでいただきたい!それはダレス殿下の大切な紋章です!」
違う、となおもオーラブは否定した。
「これはもう俺のものだ。あいつはもういない。だから、俺がこの紋章に誓ってやる。一年以内に必ず何か策を提案する。それが気に入らなければ独立するなり、ヴァンテリエに戻るなりすればいい」
何を、とジアンが割ってはいろうとする。それをロキスタが制した。
クロード達は顔を見合わせ、話し込んでいる。
「二人で話したって、たかが知れているだろう。俺は灰色の地に住まう者皆に誓ってやる。だから、外で待っている者達と話してこい」
オーラブが窓の方を指した。訝しげな顔をしたまま、クロード達が退席する。ロキスタは従者に何かを知らされ、彼らと一緒に退席した。
「どういうつもりです」
ヴァンテリエ第三王子が不機嫌そうに尋ねる。
「実際、あなた方が持っていても持て余すだけだったあの地を、まだ所有するつもりですか。今のヴァンテリエ政府は真摯にあの地を考えていますよ。予算案だってもう作っていますし、我々に渡してしまったほうが楽なのではないですか。悩みの種が一つ、減るのだから」
金髪をいじりながら彼は言う。
「手放したりしねえよ」
ぶっきらぼうにオーラブが言う。ジアンは髪をいじるのをやめ、オーラブに鋭い視線を向けた。
「あの場所は俺の弟が命懸けて守ろうとした場所だ。俺は、弟の代わりに命懸けて守る。それを邪魔するなら、お前は敵だ。侵略者として排除しても構わない」
オーラブが睨み返す。ジアンは笑った。
「これだから野蛮なと言われるんですよ。せっかく人が丸く治めてさしあげようというのに」
彼は上品に紅茶を飲んだ。反対に、オーラブはぐっと飲み干した。王族とは思えない姿だ。丁度入ってきたロキスタがそんな主を見て、小さくため息をついた。
「いいんだよ、別に。俺は守りたいものが多くなりすぎた。そのためには手段なんか選んでいられない。上品にまとって失うよりは、泥だらけになって守りぬく方を選ぶね」
ジアンは無言でオーラブを見た。
その時、外からの声が一際大きくなった。
「王太子、出てこい!」
「ふざけんな、これ以上俺達を騙そうってのか!」
はっきりと聞こえた。深く深呼吸し、オーラブは席を立った。どちらに、とロキスタが尋ねる。彼は答えず、まっすぐにバルコニーの方へ歩いて行った。ここは二階だ。何かあってはならないと、ロキスタは彼の後を追った。
バルコニーへ通じる扉も兼ねている大きな窓を開き、オーラブは外へ出た。
「出てきたぞ!」
「これ以上この地を貶めるつもりか!」
民衆から声が上がる。クロード達はなんとか収めようとしていたが、全く効果はない。
「違う、必ず打開策を……」
再びオーラブが口を開くが、民衆の声の方が大きい。何を言っても彼らは聞く耳を持とうとしない。
「そんなもの信用出来ない!」
「きっと口先だけだ!」
「今までだって政府のやつらはそうだった!」
やめんか、とクロードが叫ぶ。
「冷静になれ!殿下は統括の紋章に誓って下さると言ったばかりではないか!」
ふざけるな、と再び声がする。
「あれは、ダレス殿下の紋章だ!」
その言葉に、オーラブは唇を噛んだ。
あの内乱を集結させてから、シミのように頭の片隅にこびりついて取れない不安がある。こんなにも、この地の住人にダレスは支持されている。この世から去っても、一層それは強まったようにしか思えない。
「ダレス殿下の紋章を返せ!」
「そうだ、話し合いなんか無意味だ!」
「もっと苦しくなるだけだ!」
「ダレス殿下だけだ、俺達がついていけるのは――」
民衆から石が飛んできた。ロキスタがオーラブに背を見せ、庇うようにして立った。そして耳打ちする。
「剣、一本ぐらいなくしても構いませんよね」
何事か、とオーラブが尋ねる。言うとおりにしてください、とロキスタは囁いた。
その間にも怒号が飛んでくる。
ジアンが二人の後ろに立った。民衆の様子をじっと見ている。そして小さくため息をついた。
「もう諦めたらどうです……。いくら氷の宰相閣下とて、手に余るのではありませんか」
二人の後ろで、ヴァンテリエ王子が笑う。するとオーラブが剣を抜いた。陽の光に白く光る。一瞬どよめいた民衆が黙った。ヴァンテリエ王子からも笑みが消えた。
オーラブはそれをバルコニーの、木製の手摺に突き刺した。ロキスタもすらりと剣を抜き、同じように手摺に突き立てた。
オーラブは一歩前へ進み、顔を上げた。
「王家の紋章と、アイヴィッサ家の紋章にそれぞれ誓おう。一年以内に必ず策を打ち出す。それが気に入らなければ、この剣で俺達の首をとりに来い!そして、独立なりヴァンテリエに戻るなり、好きにするがいい」
呆然としていた民衆が再びざわつき始めた。それを収め、クロードが前に進み出た。
「……いいでしょう。ただし、一年とあなた方がご自身でおっしゃったことをお忘れなきよう、お願いします」
もちろんだ、とオーラブが頷いた。二人が部屋に入ると、ジアンが軽く睨むようにしていた。
「強がりもここまでくると、もはや力量がしれてしまいますよ?あなたのような者が次期王位継承者というのだから、笑わせてくれますよ。あなたは世の中を甘く見すぎている」
ジアンが嘲笑った。すると、音もなくロキスタが歩み寄った。
「いい加減にしていただきたい。我々は自国内で双方の矛先を納めた。もはやヴァンテリエの出る幕はない。早々に帰国していただきたい。さもなくば、地獄までご案内しますが」
遠慮しとくよ、とジアンが笑った。彼は従者を引き連れ、退出した。扉が完全に閉まってから、ロキスタが舌打ちした。
「あいつが王子でなければ、今この場で二度と喋れないようにしてやったんですがね」
「やめとけ、お前が手を下すほどの奴じゃない。それに、腐っても一国の王子だ」
それはそうですが、とロキスタがオーラブに向き直った。
「非常に気分が悪くなります。主をあんなに言って、私が黙っていられるとでも?」
わざとらしいため息をついて、オーラブはロキスタを見た。
「それは、きっとあいつの部下もそうだろう。どんな奴でも一度従うと決めた主だろう。だったら、お前がジアンを侮辱したらあいつの部下もきっと同じことを思うだろうよ。あいつは俺を屑だと思ってるかもしれないし、実際そうなのかもしれない。でもお前はそんな俺のことを決してそうは思っていないだろう。それはお前が俺の部下だからだ。だから、やめろ。あいつだってきっと誰かにとってはこの世で唯一忠誠を誓うべき相手だ」
そうですね、とロキスタが俯いた。ところで、とオーラブが続けた。
「一年の期限を設けてどうするつもりだ。言っとくが、俺は策なんてないぞ」
胸を張り、清々しいまでに彼は言い切る。途端にロキスタがじっとりとした目で彼を見た。
「ま、こんなあなたでも私の良い主ですからね……」
「おい、絶対馬鹿にしてるだろ」
してませんよ、とロキスタは言った。そして王太子に手紙を見せた。なんだこれは、とオーラブが尋ねる。
「昔、まだヴァンテリエにこの地を譲渡する前に、アイヴィッサ家の当時の当主がこの灰色の地を個人的に調査した資料が我が家にあったのです。記憶が曖昧でしたから、使用人に調べさせていました。確かにこの地域では銀が採れます」
「なぜ、今まで知られていなかったんだ」
それは、とロキスタが呟いた。
「身内の恥を言うようですが、調査した時の当主が銀を独占するために、鉱山に魔物が住むという噂を流し、立ち入らないように森を作ったからですよ。ヴァンテリエに譲渡される頃には鉱山の麓に植えた木も成長し、長いこと誰一人近づかなかったようです。噂に翻弄される時代だから出来たことです。幸いにもヴァンテリエ政府はあまりこの地に興味がなかったようですし、今まで何もなかったのでしょう」
そうか、とオーラブは微笑んだ。窓辺に立ち、空を見上げた。
「必ず変えてみせる。俺はダレスとは違うんだ。助けてくれるな、宰相」
ロキスタは真剣な面持ちで、そう呟いた主の横顔を見た。そして彼は主と同じ空を見て、静かに答えた。
「……御意」