04 光と影
王太子夫妻が提案した舞踏会は早急に準備され、わずか七日後にはその日がやって来た。
「肩の力を抜いて。大丈夫です、私がついているのですから」
優しくロキスタに諭され、彼の隣で頷いたのはエリーザだ。周囲の人々の視線はエリーザに釘付けになっている。当然といえばそうだ。何しろ今まで顔が知られていなかった宰相の妻は王太子妃に生き写しなのだ。人々がざわざわと何かを話している。それを凍りつくような鋭い眼差しでロキスタが黙らせる。
もちろん人々も愚かではない。この国で宰相に睨まれれば生きていけない。それは分かっている。だから誰も何も言わない。たとえ、彼らと王太子が過去に企てた計略に気づいたとしても。
「エリーザさん!」
色とりどりの会場で、二人を見つけて最初に駆け寄ってきたのは王太子妃だった。それによってますます人々の視線は集まる。王太子妃に少し遅れて王太子オーラブもやって来た。
周りからの視線をまったく介さない様子で、エリーザとロキスタは二人に丁寧にお辞儀をした。
「王太子殿下、王太子妃殿下にはご機嫌麗しく……。こちらは私の妻となりました、エリーザです」
ロキスタに紹介され、エリーザがもう一度頭を下げた。
「『はじめまして』、王太子殿下、王太子妃殿下。エリーザ=アイヴィッサと申します。どうぞよろしくお願いします」
頭の中で何度も復唱した言葉を口にする。その様子を微笑ましそうにロキスタが見ていた。オーラブがにやりとする。
「久々に見たなあ。我が国が誇る天才宰相閣下の、そんな締りのない顔は」
咳払いし、ロキスタは目を逸した。その間にもよく似た二人の娘はお喋りに興じていた。
オーラブが宰相をつついた。何事です、とロキスタが問う。するとオーラブは他の者には見えないように右の手の甲を下に向け、左手の人差し指と中指でとんとんとそこを叩いた。この国ではそのジェスチャーは隠し部屋を意味する。何時です、と小声でロキスタが尋ねた。するとオーラブは、泊まっていくんだろ、と笑った。難しい顔をしたが、ロキスタは頷いた。よし、と呟いてオーラブが手を叩いた。とても満足そうな顔だ。
「客も集まってきたことだし、そろそろ始めるか」
また後で、と言い残し、オーラブはアメリアの手を引いて行った。途端に不安そうにするエリーザの手をとり、ロキスタが彼女を引き寄せた。
「今夜はやはり、泊まらされることになるようです。まあ、アメリア様が非常に会いたがっておられましたからねえ。積もる話とやらもあるのでしょう」
そうですか、とエリーザが微笑む。
そうこうしているうちに舞踏会は始まってしまった。いつもならロキスタはひたすら沢山の貴族達に挨拶に行くが、今回はエリーザの隣を離れようとしない。相手が頭を下げに来るのを待っていた。そしていつもなら我先にとやって来る令嬢達だが、彼女達はひとまずロキスタの方へ視線を向けない。皆、見ている先はヘッセンだった。そして令嬢達は皆、七つ星のペンダントを着けていた。細部は皆どれも異なるが、おおまかな形は全く一緒だった。
華やかな音楽の中、半ばうんざりしたような表情でヘッセンがやって来た。
「宰相閣下……助けてください」
「嫌です」
ロキスタがきっぱりと断る。ペンダントで探すという方法もあるが、答えの分かっているロキスタは七つ星のペンダントを身につけている全ての令嬢が愚かしく見えた。それでも、彼女達の努力には頭が下がる。
「自業自得ってやつでしょう。いいんじゃないですか。適当によさげな令嬢と付き合っちゃいなさいよ」
それでもヘッセンは頑なに首を横に振る。
「それでは何の意味もないのです、ロキスタ様。やはりこの手であの令嬢を探さないことには……」
「まあ、一途な方でいらっしゃるのですね」
エリーザが彼に挨拶した。彼とエリーザが少し話している間、ロキスタは会場をざっと見渡した。その中に、質素な服を着ているネリッサを発見した。彼女は今日も王太子妃の世話をてきぱきとこなしている。とても舞踏会を楽しんでいるような雰囲気ではない。
ロキスタはヘッセンを呼んだ。何でしょう、と彼は小首をかしげた。
「この舞踏会が終わるまでにネリッサと最低一曲踊ってこい。私は今日は特にうろつくつもりもない。ここでじっくり見ておいてやるから」
ええ、とヘッセンが声をあげる。
「なんだ。嫌なのか」
そういうわけでは、と彼は口ごもった。だったらとっとと行ってこい、とロキスタに背中を押され、彼は口をもごもごと動かしたまま行ってしまった。
エリーザとロキスタが彼の様子を見守っていると、ヘッセンはそのままネリッサの所へ行った。何か話していたが、ネリッサの表情は硬い。つんとしたままどこかへ行ってしまった。がっくりとうなだれるヘッセンのもとに、少し遠巻きにしていた令嬢達が一気に群がる。
「しくじったな、あいつ」
ため息混じりにロキスタが言う。眉間にシワが寄っている。エリーザに優しく諭され、彼は微笑んだ。
結局その後もヘッセンは令嬢達から逃げ切ることができず、ネリッサにも会えないままだった。
夜遅く、王太子の居室でエリーザとアメリアは仲良く話していた。内容はすごくありふれたものだった。最近のドレスの流行りの色は緑だとか、お菓子が美味しいなど、男二人からすればオチがなさすぎて困惑する内容ばかりだ。
そんな話に花を咲かせる彼女達の後ろで、ロキスタとオーラブは険しい表情で話し込んでいた。
「そんなに、か」
ええ、とロキスタが頷く。
「減税でもしなければ無理でしょうね。自慢ではありませんが、私の弟は優秀でした。内心鬱陶しく思っていましたよ……なんていうのは冗談ですけれどね。ですが、私の弟があの場所にいながら、たとえ中央からの補助金がなかったとしてもあそこまで荒廃していたのです。私も、本当にやり遂げる自信はないです」
二人の前にあるテーブルには地図が広げられていた。二人が見つめているのは王国の辺境の地、灰色の地がある場所――かつて二人の弟、ダレスとヤールが治めていた場所だ。土地は痩せていて作物はほとんど育たない。もともと戦争で勝ち取った土地なので、自然災害も多い場所から政府は目を逸らしてきたのだ。昨年、二人の弟達が引き起こしたクーデターを制圧した際、その土地は政府直轄地になった。ロキスタが主導して改革を行おうとしているのだが、税金をその地に回すことに反対している貴族も多く、なかなか思うようにならないのが現実だ。もともとその土地の住民は私財を投げ打って改革を行おうとしたダレスを支持しており、何もしようとしない政府に怒りを抱いていた。その政府側の人間であるオーラブとロキスタがダレスとヤールを葬ったうえ、未だ改革に着手できていない。住民からの不満は膨れ上がる一方だった。そのせいで暴動が起きる寸前らしい。
「まあ、減税は致し方ないでしょう。これ以上問題を増やされても困りますし、もう逆立ちしたって何も出ないでしょうし。そんなところに無理に税をかけても無意味です」
そうだな、と頷いてオーラブが紅茶を飲む。
ふとロキスタの目が地図の一点に留まった。どうした、とオーラブが尋ねる。なんでもありません、と彼は答えた。そしてまた難しい顔をする。
灰色の土地の近くにクランという字が見えた。ヘッセンが幼い頃はそこにいたという話をしたせいで、無意識に注意を払ってしまったらしい。
そういえば、とオーラブがカップをテーブルに置いた。
「ヘッセンの恋人とやらは見つかったのか」
途端にロキスタがうんざりした顔をした。
「近くにいるのに気づかないんですよねえ……馬鹿馬鹿しいというか、なんで私が他人の恋愛に巻き込まれなければならないのか。自分のことだけで手一杯ですよ」
その言葉にオーラブが驚いた。近くにいるって誰なんだとロキスタに尋ねる。しかしロキスタは答えなかった。王太子に話すと面倒事が増えると判断したからだ。もちろん、そうした方が早く解決するかもしれないが、以降のことを考えるととてもそんなことはできない。なんて面倒なのか、とロキスタはまたため息をついた。
一方ヘッセンは自分の屋敷で星空を見上げながら、理由の分からない虚しさと悲しさを紛らわそうとワインを飲んでいた。
散々な舞踏会だった。令嬢達は誰も自分と同じような年齢の者が多く、揃って胸元に七つ星のペンダントを着けていた。人生でこんなにも女性にもてたのは初めてだ。しかし、彼女達が見ているのはヘッセン=オーヴリールという人物ではなく、オーヴリール家の財産だ。
無理矢理にせがまれて何人かと踊った際、ペンダントを見てみた。七つ星のモチーフは比較的ありふれたもので、どれもデザイン自体は似通ったものだった。しかし、どれも本物ではない。見ればすぐ分かる。今日踊った令嬢達の中には熱心に手紙をくれた者もいたが、その度に悲しさは降り積もったまま溶けなかった。
だいたい、宰相閣下もなぜネリッサと踊れなど、突然命令してきたのか。しかも結局果たせなかった。ネリッサは侍女役に徹していたため、きっぱりと断られた。幸いにして宰相閣下からの仕置はなさそうだが、思考が全く分からない。いっそこのまま適当な娘とくっついた方がいいのかもしれないが、こうして恋人探しをしている噂が立ってしまってはそんな不実なことはできない。
なんて面倒くさいことを始めてしまったんだろう。ヘッセンは加えて情けなさに顔を歪ませた。