02 伯爵の失敗
その翌日のことだ。ヘッセンが幼い頃の想い人を探しているという噂が立った。
「なぜ宮廷の娘共が知っているんです。あなたの夢の話でしょう」
困惑顔でロキスタが尋ねた。彼は書類を整理していた。時折、何やら書き込んでいる。
「訊いてみたんですよ、何人かに。私は昔はクランの街にいましたから、そこら辺に同い年くらいの子はいなかったかと。それで、七つ星のペンダントを渡したと」
臆する様子もなく、ヘッセンが喋る。すると、ロキスタの顔がだんだんと険しくなった。彼の手元の紙が音を立てた。
「こ、の、馬鹿者がぁ。それこそ重要な手がかりなのに……」
「し、しかし、こうして知れ渡れば早く見つかるものと思いまして……」
弁解するヘッセンを見て、ロキスタは頭を抱えた。
「もしそのご令嬢が名乗り出てきたとき、それを知っていれば特定できたのに。皆が知ってしまったら、確認のしようがないでしょう」
ヘッセンがはっとする。
しかし、もう流れ出てしまった情報は仕方がない。どうしたものか、とロキスタは思案した。
その日の午後に、ヘッセンのもとに手紙が届いていた。三通あった。どれも彼と同い年くらいの令嬢からだった。内容はどれも似たようなものだ。私がきっとその娘です、というものだ。
そんなわけないだろう、と思うが、なにしろ肝心の名前が思い出せない。だから、誰が偽者かも分からない。もしかしたら、全員が偽者という可能性もある。
「だから、言ったんですよ」
ため息混じりにロキスタが言う。そして書類のしわを伸ばした。
全く、さっさと正解を言ってしまえればいいのに。ネリッサもなぜ、ああして拒むのか。女心は分からない。
「で、ですが、閣下!十五年後の同じ日に会いましょうという話は公にはしていません」
「当たり前だこの間抜け!それまで公表していたら、今頃頭と胴が泣き別れになっていたぞ?」
力一杯主張するヘッセンを相手に、ロキスタが彼を睨む。そして大袈裟にため息をついてみせた。
「舞踏会でもすればいいんじゃないですか。ほら、よくあるでしょう……嫁探しで開催するやつ」
ですが、とヘッセンは口をもごもごさせた。
するとそこへ王太子オーラブとその妻アメリアがやって来た。
「いいんじゃないか。最近、大きな催しも無いしな。是非、俺たちも招待してくれよ」
笑いながらオーラブが言う。なんですって、とアメリアが彼の襟を掴んだ。
「殿下、私はあんな場所は嫌いですと何度も申し上げました!だいたい、私が躍りが下手なのはご存知でしょう」
「まあ、そう言うなって。皆、催し物は楽しみにしている。ここのところ国王陛下のご容態がよろしくないせいで、どこも縮小気味だ。鬱憤は溜まっている。だから率先して開催すればいい」
皆見たいものもあるだろう、とオーラブはロキスタを振り返った。何のことです、と宰相はとぼけてみせた。オーラブが笑う。
「お前の嫁とか、な」
次の瞬間、オーラブめがけてガラスの文鎮が飛んできた。片手でオーラブがそれを掴む。
宰相が長く息を吐いた。
「ご存知でしょう。エリーザはああいう場所は好みません」
静かに文鎮を元の位置に戻しながら、オーラブが宰相を見た。
「だが皆、ゴシッブは大好物だ」
相変わらず書類に目を落としたまま、ロキスタは思案顔だった。
「そんなの、知ったことじゃありません。私は観衆の狂喜よりもエリーザが大切ですから」
「あら、でも構わないでしょう?」
微笑んだのは王太子妃アメリアだ。
「私だってエリーザさんに会いたいもの。それに、私にそっくりだと皆が知っても構わないわ。粛清する気でしょう、ロキスタ」
無表情を保っていたロキスタの口許が弛む。
「さすがはアメリア様。私の考えていることなど、手に取るようにお分かりですか」
アメリアが笑う。決まりだな、とオーラブが微笑んだ。一人、ヘッセンだけが困惑している。
夕方、ロキスタはネリッサを呼び出した。王太子妃付きの侍女である彼女は、また王太子妃アメリアのことでなにやら言われるのかと思い、ひどくこわばった表情だ。
「あの、ロキスタ様。何でございますか」
人払いをさせ、ロキスタが彼女を見る。書類を置き、近くへ来るよう言った。
「ネリッサ。今度、王太子夫妻が主宰する舞踏会がある」
珍しいですね、と彼女は言った。
「表向きは単なる舞踏会だが、それとなくヘッセンの想い人を探すという噂を流しておく。だから、アメリア王太子妃のお世話は他の者に任せてお前はクロヴィル家の令嬢として参加しろ」
ロキスタの言葉の後、沈黙があった。どうしたのかとネリッサを見れば、彼女はきゅっと口を結んでいる。
「せっかくのご提案ですが、お断りします」
気分を害されたように、ロキスタが眉をひそめる。
「いいじゃないんですか。これでヘッセンの嫁が見つかる、お前もあいつも万々歳。無意味な令嬢達の妄想も終わる。何より、私が解放される。迷惑なんですよ。私はこの国を動かさないといけないし、アホ王太子のお世話もします。ろくに帰れない家では愛しい妻が待っている。……正直、もう余計なことはしたくありません」
申し訳ありません、とネリッサが頭を下げる。
「時間が経てば、あの人も忘れると思います。それに、私には王太子妃様のお世話をするという仕事があります。私が賜った大切な役目です。自分のために放棄はできません。ご意向に添えませず、お許しください」
失礼します、と彼女は退出した。その横顔に、濡れた痕が見えた気がした。
静かになった部屋のなか、ロキスタは舌打ちして髪を掻き上げた。