取説
ずっとキスの事を考えているのだけは分かる。
茫然と見つめる私に、父が声をかけてきた。
「そうだ、朱莉沙。家が決まったから荷物も送っているよ?」
私に追い打ちをかけるような父のセリフ。
視線を向けると、腹が立つほどのニヤけた微笑み。
ずっと、そんな顔で私たちを見ていたのだろうか?
「家?荷物?」
当然、とぼけたつもりはない。
会話の流れを読めば、そうなんだろうけど認めたくはない。
現実逃避くらい、許してほしい。
それなのに追撃の容赦ない言葉。
「新居だよ♪結婚したんだ。子作りを、ここでは……ねぇ?くすす……」
駄目だ。何かが、行き止まりの崖っぷち。
嫌な汗が流れる。
「さて、朱莉沙?次に行っても良いよね?俺の花嫁……愛情を育てよう?キスで、俺にも愛情を頂戴。愛情が増えると、君からもキスをくれるんだよね?」
何?何か、色気?甘い囁き?
私に詰め寄り、期待のような眼差し。
私を崖に突き落す気なの?
戻れない後一歩で、逃げ場を……逃げきゃ、私も……
「い、一週間待って!そう、待って欲しいの。私にも、その……準備と言うか。心の……」
視線をさ迷わせ、何とか言いくるめないと。
言葉を探し、逃げ道を探す。
「何を待つの?キス?一緒に住むこと?子作り?」
さら距離を詰め、上から圧力をかけるような視線。
恥ずかしげもなく、私の言っていることが信じられないかのような質問攻め。
「全部!」
「却下!俺の花嫁、標本に拒否権なんかない。じゃあ教授、約束通り頂いていくね?」
全拒否の私に、自分の異論をぶつけ。
奴が私の手を握ったと同時。体が浮いたような感覚が一瞬。
不思議な違和感に目を閉じた。
「朱莉沙……目を開けて、愛の巣に着いたよ?さ、次のステップにいこう……」
握る手が熱く、力の入っているのが分かる。
こいつも、なにか必死な気がする……?
目を開けて、声のする方に視線を向けた。
視界に入るのは、さっきまでいた家ではなく。見覚えのない部屋。
「……どこ、ここ?」
「だから愛の巣だよ。教授が準備してくれたんだ。俺達の結婚祝いに。ね、キスをしよう?」
結婚祝いに。愛の巣。
新居に荷物は送ったよって言っていたな~、確か。ふふふ。
いよいよ逃げ場を失った?
胸がドキドキする。これは。
嘘だ。キスで、愛情なんか育つものか!
これは吊り橋効果に違いない。
きっと……動転して、思考回路がショートしているに違いない。
「ねぇ?逃げないってことは、良い?」
逃げていない?違う。足が動かない。
怖い?違う……
首を必死で振った。
頬に、優しく手が添えられる。
【ビクッ】
「……嫌?」
傷ついたような悲しそうな表情。
ずるい。こんな混乱に、悪意などないような優しさ。温もり。
「嫌なら、逃げて。」
顎を支えるように、指が私の顔を上に向け。
真剣な視線を注がれる。
気づかなかったけれど。講義の時にしていた眼鏡、普段はしていないのかな。
それでわからなかったのか、近くだから分かるのか。
目が紺色に近い黒。引き込まれるような瞳。
目が逸らせず。近づく顔。唇が掠るように触れ……
違う、駄目だ。愛情じゃない……
軽く重ねるようなキス。視線を受けたまま。
切れ長なのに鋭さはなく。目をだんだん細め。
顔の角度を変え、深く求めるようなキスに変わって。
私はゆっくり目を閉じた。
記憶に刻まれた何か。
彼の話した知識。尊敬のような一時。
惹かれる要素があった。
皆を引き込む魅力的な容姿に、声……
それに甘さが加わって愛を囁く。
落ちる……そんな感覚。
キスを受け入れたのは愛情?増えている?
「…んっ…んん?ん~~~~~~!」
自分の舌に、絡む生ぬるく柔らかい何か!
抵抗をして、解放された時には。
また身体に刻まれる記憶。
「次のステップは……はぁ……興奮する。このまま欲望に促されて、君を求めても良いかな?」
「ダメ!まだ無理!うわぁ~~ん!」
両手を掴まれ、逃げ道のない愛の巣。
心惹かれ、突き刺さるような視線を逸らすことも出来ず。
甘い声で、愛情が欲しいと私に求めて。
「俺の花嫁、愛情を頂戴?君は標本……大事にするから、俺の子を産んでよ♪ね?」
私は花嫁の標本……
つなぎ短編:『トリセツ』
登場人物:朱莉沙・孝彬
何度か、してしまったキス……
受け入れている自分が怖い。
理解できない。
一緒に住むしかない状況で、彼は私にそれ以上は触れない。
ただ侵食するようにキスを落とす。
逃げられない崖へと突き落すように……
見つめる視線は、鋭く逸らすことができない。
何故……ドキドキするの?
流されたらダメだ、これ以上!!
私は講義が3コマ目なので、それまでの時間、家にポツンと独り。
彼は、朝から高校へ行った。
宇宙人らしいが……年下(?)。
恋愛に慣れていないと、私に不器用に近づいてくる。
それも罠なのかな、感覚が狂う。
机にも、ポツン……分厚い本が置かれている。
存在を示すように、私に何かを訴える。
確か孝彬は、あれを見ながらキスがどうとか……言っていたような??
表紙には、『標本:朱莉沙の取り扱い説明書 著:朱莉沙の父』
……完全にふざけてる!あの、おやじぃ~~??
本を開くと、びっしりと並ぶ文字……事細かに……
「朱莉沙、何を見てるの?」
【びくっ】
体が跳ねる。
気配のない後ろからの声と同時で、抱きしめられた。
【ふぅ~】
首元に かかる風。
「ひゃぁ??」
くすぐったくて、そこから逃れようと抵抗を試みる。
しかしビクともしない。
彼の腕の中、伝わる温もり。
同じ石鹸を使っている私とは違う匂い……ドキドキする!!
「ふふっ……のぞき?それに触れると、信号が送られるようにしてたんだ。ね……俺の事、知りたい証拠だよね?嬉しい。先に進んでも良いってこと、だよね?はぁ……息が苦しい。ねぇ……キス、して?」
耳元で、囁く低い声。
いつもより熱を帯びて私に伝わる。
キス、して?していい?じゃなく??
「む、無理ぃ~~~~!!」
オマケ:『バレンタインとは?』
視点:孝彬
この星には、色々なイベントがある。
愛を育むには、命を懸ける Or 削ってでも、参加すべきだと……教授の本に書いてある。
地球人は、大変なんだな……
これは、標本との重要ポイント。
上手く行けば、かなり美味しい思いをするらしい。
美味しい??食い物か何かが関係するのか??
よく分からない……標本に依存しよう。
2月14日。
朝、朝食を整えた朱莉沙。まだ、ぎこちないような気がする。
「朱莉沙?」
「なっ何ぃ??」
……おかしいなぁ??
キスの回数は、増えている。拒絶もない。
時に、見つめる視線でキスをするが……
あれ?思い出したら、嬉しい気がする??何だろう……?
この、くすぐったいような……幸せ……
「孝彬?」
【キュンッ】
胸に響く声……
誘われるように、視線を向けた。
「何?」
「何って、自分が先に呼んだんだよ??」
そう言えば、そうだった。
今日は、チョコをくれるはず。
催促すべきなのか?それとも、くれた時に驚いたふり??
黙って、見つめる俺に首を傾げる妻……
まさか、忘れているとか?夫婦には、関係ないイベント??分からない……
「あ、あぁ~~の、これ!言っとくけど、義理だからね?意味なんて、ないからね??夫婦って言っても、……違う 何を言っているんだ?私は……とにかく、遅れそうだから……先に……」
チョコ、俺の……
イベントには、命を削る覚悟で!!!!
【がばっ!!】
「ぎゃぁあああぁああ~~~~????」
床に押し倒した。
「なっ??何、ちょっ……うわぁああぁ~~~ん!!!!まだ、ダメ!んんっ??」
唇を重ね、抵抗する両手を捕らえる。
唇を強く押し当て、そっと目を開け見つめる。
「……んっ……んん……ぁ……」
頬が赤らんで、息のあがる朱莉沙は色っぽい……
「ね?頂いても良い??」
「……ダメ……遅れちゃう……から。」
「俺の事だけを考えて……俺だけを見てよ。朱莉沙……良い?」
「……ダ……メ。」
朱莉沙の抵抗のない手を解放し、俺の自由になった手で胸に触れた。
【びくっ】
「……ぁ……」
「柔らかい……触れても良い?」
「もう、触った……のに。イヤ……」
「嘘だ……だって……ん?あぁ!ここじゃ、ダメだよね。お風呂でイチャイチャが先だ!!」
さっきまでの朱莉沙は、どこへやら。
冷めた視線で、俺を見る。
そして、震えながら目を吊り上げ叫んだ……
「い、いい加減にしなさぁ~~い!!」
顔を手のひらで押し退けられ、腹に一撃をくらった。
……これがイベント。
さすが……地球人……命を削っても、こなさないといけないとは……奥が深い。
また、愛が育まれたんだ。
戦利品のチョコは、甘くて何かが満たされた気がする。
それなのに、物足りない。
教授の嘘つき……美味しい思いをしたけど、がっかり感が多いよ?
「……ね、孝彬?」
「何?」
【チュッ】
……え……?
頬に、朱莉沙からのキス。
「殴って、ごめん……深い意味なんてないからね!!!!」
……美味しい想い……




