遅い返却
日々繰り返す。学校では、元気な振り。
気遣う友達には、どう見えるのか、言葉数を増やして互いに手さぐり。
家に帰って、部屋に籠り、あのサイトにログイン。
水中に沈む私に、お勧めの景色は『闇』。
バイオリンの音は変わらず高音で、闇に似つかわしくないのか合っているのか穏やかなメロディが流れる。
曲は常に違った。
上下で、光と闇に二分された画面。闇を足元に、アバターは光に立つ。
矢印キーで下を押し続ける。水に沈むより静かで、緩やかに、何かがこすれる様な音が沈むのをイメージさせた。
靴、靴下、肌、スカート、指先から腕と上着、首、顔、頭。その部位によって、闇との摩擦音は変化する。
光に近い闇は、薄暗く、濃い闇へと堕ちていく……
その闇に安堵し、流れる音に癒される。閉じ籠って何も見たくない、何も感じずに、このままで。
下へと押すのを止め、上のキーを押してみる。アバターの視線は上部を見つめた。
視点の角度が変わり、画面の中央に、遠い光が揺れているような画像。
アバターは手を伸ばし、その光を遮った。
自分の選んだ闇を意識する。
そんな生活を何度と繰り返し、親から心配される。
月日は流れ、進級し、相月 晴と同じクラスになってしまった。
彼女が休み時間に訪れ、私の時とは違う、穏やかな静けさ。
自分の時は、幼いまま止まっているのに。
変わってしまった幼馴染に、胸の痛みが切り刻むようだ。血も出ないのに、滲む様な何か。
取り残された気がして、その日、私は部屋に籠るのを止めた。
制服から部屋着に着替え、リビングへ下りる。
久々に、台所で晩御飯の準備を手伝った。家族と共に食事をし、テレビの前で団らん。
何かが変わったわけじゃない。以前に戻ったような居場所で、取り戻すような日常。
まずは、そこから再出発。そう出来ると信じていた。
布団の中、心は結局、あのサイトと同じ。闇に目を閉じ、落ちて眠る。
私は、PCの電源を入れずに次の日を迎えた。
とても天気のいい朝。
いつもと、気分が違う様に感じて学校へと向かう。
もう、忘れよう。新しい恋は、まだ出来ないとしても、大切な幼なじみに大切な人が出来た。狭い心を、少し広げる事が出来ればいいな。
下駄箱で靴を履きかえ、登校時間に入り混じる生徒の声。
階段を上り、逆光に目を細めた。人影が見え、物陰が近づいて、自分の頭に当たった。
「痛っ!」
頭を手で押さえ、転がった物に視線を向けて固まる。
あの日、拾うこともしなかった雪だるまのヌイグルミ。晴なの?
眩しいのを我慢して目を向けたが、人影は無かった。
「未來?」
聞き覚えのある晴の声は、階上ではなく、階下から。その隣には、可愛い彼女が微笑んでいた。
高鳴る心音。
ヌイグルミを、カバンで隠しながら「おはよう。」
自分の表情なんか、分からない。ただ、久々に顔を見て挨拶した。
その後は、逃げるように教室へと向かう。
雪だるまのヌイグルミを、私に返したのは誰なの?
あの日、私と晴の様子を見ていた人がいるんだ。このヌイグルミを拾って、今まで持っていた。
何故、今日なの?
理解できない状況と、答えの出ない疑問が頭を巡る。
ヌイグルミをカバンに入れて、見つめるが答えは出ない。ん?
カバンに手を入れ、ヌイグルミのお腹部分を触る。膨らんだ部分に、指が入った。
隠された空間。
中には、何も入っていなかった。もしかしたら、何かが入っていたかもしれない?
不安のような、恐怖に近い感情で心音が響く。高鳴り、速度を速める音に、思考は真っ白だった。
友達に移動教室を促され、立ち上がって歩くが、どこか不安定。
「未來、ちょっとトイレ行くから、待ってね。」
階段で友達を待つ私に、人影が近づく。
「未來、見てくれた?」
視線を向けると、ぎこちない不安そうな笑みの晴。何かを見た確認。
私の表情は固まった。
「晴くん!移動教室なの?」
階上から、私たちを見つけたのは晴の彼女。晴は彼女に手を振って、私の前から移動する。
「見ていないのなら良いんだ。気にしないで。」
去り際に小さな声が聞こえた。
見ていない何か。
遠退く声が響き、視界が暗闇に染まる。
気づけば、保健室のベッドに寝ていた。
「目が覚めた?あまり、考え事を抱え込まない方が良いわね。高熱で倒れたのよ。家の人が迎えに来てくれるみたいだから、それまで寝ていなさい。」
また、心配させてしまったかな。
情けなさに、ため息。天井を見つめ、ヌイグルミの事を思い出す。
あの日、あのヌイグルミにはラッピングが無かった。多分、私が見ると思った何かが入っていたんだ。
ヌイグルミを返してくれた人は、それを持っているのだろうか?それとも落とした時に、風で、どこかに飛んでしまったのかな?
気にしないでと言ったけど、晴の悲しそうな表情が記憶に残っている。
返却の遅いヌイグルミ……