21.暴け
「行こう。みんなのところへ」
雪乃は呟くと、歪みの中へ身体を預けた。
"いつもの"あの感覚が身体を襲った。何度も経験していると身体が慣れてくるのか、辛うじて目をあけられるくらいにはなっていた。
「(時空の歪み……っていったらいいのかな。変な景色)」
先ほどの空間のように虹色ではなく、濁った紫色がぐにゃりと回転し続けている。そんな景色が見える範囲までずっと続いていた。
やがてザワザワと風切り音が耳を掠めていく。そして次に人の声。悲鳴のようだ。
もうすぐ到着する。時間は、時の水にとりこまれた続きからだ。
雪乃は感じていた。前方に見え始めた光の集合体からそれを感じ取った。なんとなく分かるのだ。
「(私に今出来ること……それは)」
光がどんどん近くなる。風の音、人の悲鳴もそれにつれどんどん大きくなる。
世界が、近い。
「(――守りきること!)」
カッと雪乃は両目を見開いた。その視界に映ったのは魔物からあふれ出した時の水が街を覆い尽くし、そして眼前にも迫っていた光景だった。
「お願いっ、ルビーッ!!」
雪乃はガーネット、エメラルドに次ぐ第三の魔宝石、ルビーに力を込める。
隣には驚いた表情のイリア。彼女の主観ではいきなりこの紅い石が出現したように見えたことだろう。
雪乃の想いに答え、紅い石は光り輝き光の輪を放射する。
輪はルビーを中心にもの凄い勢いで広がり、それに触れた大型の魔物――メテオラの身体を真っ二つにした。
そして光はドーム状に広がり、街を包んだ。
「(この魔宝石の使い方が分かる……いや、"教えてくれている"!)」
ルビーとは、惑う道を照らす光。虚を暴き、真実を写す紅い光だ。そして分からないことが分かってしまう。
これはそういうものなのだと、雪乃は理解した。
「暴けッ!!」
雪乃の声と共に、ドーム状の紅い光が一気に拡散して、消えた。
見上げるほど大きかったメテオラや、街を洪水にするほどの時の水でさえも。それらは光の拡散と共に、消えた。
「ユ、ユキノ様……!? これは一体……?」
驚いた表情でこちらを見るイリア。事情を説明しようとしたその時、頭の中に声が響く。
「今の衝撃はなんだッ!? 魔物が消えた……?」
コメトラと交戦していたアルフレドは唖然とした声で言った。
「こっちも確認したわ。エーテルじゃない光が広がって……飲み込まれていくみたいに消えていったわ」とアイリスの声が響く。
「私がやりました! 詳しい説明は後でします。ただ言えるのは、もうこの場にメテオラも、コメトラもいないはずです」
今はとにかく帰還して、全員揃ってから説明しよう。雪乃はそう思った。
「お前が……か? 一体どうやって……。分かった、また後で落ち合おう」
「分かったわ。分かるように説明してほしいわ……一体なにが起きたんだか」
二人も同じ判断だったらしく、すぐに知りたくて堪らなかったが今は帰還することを優先することになった。
全ては歪、偽者だった。理由も、その方法も分からなかったが、先ほどの魔物達は自然的に発生したものではないらしい。
時の水をあれほど内包し、死亡と同時に破裂する。時の水が街を覆うことでどのような被害が発生するかは未知数だったが、敵の狙いはどうやらダミーを用意して時の水をぶちまけることらしかった。
「ユキノよォ」
ミンドラが歩み寄る。
「何をしたのかはわからんが。これで、お前もう"逃げられん"ぞ」
大きな手が、私の頭に乗せられた。イリアは首を傾げていたが、その言葉の意味は私には分かっていた。
「すぐに分かるよ」
不安そうな表情をするイリアを雪乃は軽く抱いた。いや、不安でたまらなかったのは雪乃本人だった。
逃げることはできない――。
その言葉の意味は、案の定帰還後すぐに判明することとなった。
***
「ならばあの波動は……お前が発したものだというのか」
アルコスタ王、ヴィクトルが信じられないといった表情で尋ねた。
雪乃はこくり、と小さく頷いた。不安げな表情をしているのは、決して"信じてもらえないかもしれない"ということを心配しているわけではない。
むしろ、信じてもらえないほうがいいかもしれないとまで思っていた。
「方法は、どのように」
「……これです」
雪乃はおずおずと紅い魔宝石、ルビーを差し出して見せた。
「――それは、まさかルビー……か?」
いつもは威風堂々としておりどっしりと構えた態度を崩さない印象のあるヴィクトルだったが、この時ばかりはその毅然とした形が崩れた。
「はい、そうです――」と入手した経緯を説明しかけた時だった。
「何故お前がそれを持っている!? そして何故それにあのような力があるのだ!? あ、ありえん……まさか……お前はっ……」
大きく、驚いた声でヴィクトルが言った。驚くにしても度が過ぎているのではないだろうか、と雪乃は思った。
魔宝石を所持していることを指して驚いているのであれば、それは初対面時のガーネットで既にそうなっているはずだった。
ならばこのルビーが魔宝石として希少な、あるいは優れた力を持った物なのだろうか。いや、先ほどのヴィクトルの言葉ではルビーが強い力を持っていることに驚いているようだった。
ますます理由が分からなくなる。そんな考えを廻らせている時だった。
「遅れて申し訳ありません。アイリス・アンダーソン、ただいま到着しました」
戦闘後処理に追われていたアイリスが、王の間に姿を現したのだ。
「……? お父様? どうなされたのですか?」
到着して間もなく、ヴィクトルのただ事ではない表情を読み取ると首を傾げた。
異様な空気が王の間を取り巻いていたことを、すぐに察知する。
「ねえ、一体なにがあったの? ユキノ――。ッ!?」
アイリスが雪乃の方を向く。その瞬間、瞳孔がかっと開き唇が震え、まるで信じられない物を見た、というような表情に変わった。
視線の方向は雪乃ではなく、その手先――ルビーに向けられていた。
「そ、それ……まさか……っ。って、ことは……つまり……あ、あぁ……」
ルビーを指差すアイリスの指が、震えていた。アイリスはゆっくりと、雪乃に歩み寄る。
「やっぱり、あなたが"ルルシェ"だったのね……。おかえりなさい、久しぶり――」
やっと会えた――。と、目に涙を溜めながらアイリスは雪乃を抱きしめた。アイリスが何故その名を――? 雪乃が違和感を覚えた瞬間。ちくりと、脳内の奥が針で刺されたような感覚と共に、気づく。
会っていた。
誰が?
私とアイリスが。
いつ。
どこで?
昔。この異世界で。
本当に? そんな記憶はないのに?
自己質疑、自己応答。
隠れていた自分の過去。その不鮮明を暴くときが、来たのだ。
「そう、だ。私は――」
暗闇に隠された過去が、小さな灯りに照らされ一部分だけ姿を覗かせる。
公になったその一部分が雪乃の脳をがつんと叩いた。目の前がチカチカするような衝撃だった。
思い出す、とはこれほどの衝撃だっただろうか。雪乃は拾い上げたその記憶を口にする。
――私は、小さな頃アイリスに会っているんだ――。