19.サファイア
「魔宝石、サファイア……」
自室が乱雑になっていたことは、つまりそれが理由だった。
恐らくルルシェは昔しまっておいた石が異世界における魔宝石だということに気づき、それを持ち出したのだろうと雪乃は考えた。
「ただでさえ勝ち目がなかったのに、これじゃああんたもおしまいね」
ルルシェはつまらなさそうな顔をして言った。
悔しいがその通りだ、と雪乃は思った。純粋な戦闘能力ではルルシェに勝てない。だからこそ、こちらだけがエーテルを使える、というアドバンテージがあってなんとか戦えていた。
イリアを奪われ、さらに魔宝石まで所持しているとなれば雪乃の不利は揺るがないものとなった。
この状況を打破するには、イリアを救出するほかないと雪乃は判断した。
「(エメラルドを――っ)」
速さではとてもルルシェには勝てない。まずは視力を奪い隙を作る必要があった。
雪乃はエメラルドの力を解放し、翠色の光をルルシェへ向けて発射した。
「知ってるよ、エメラルドの力。ほら、こうして目を閉じれば感覚を奪われることなんてないわ」
エメラルドの特性を理解しているルルシェは、目を閉じることでその光を回避した。
そう、エメラルドの力は"光を見なければ"効果を発揮しないのだ。発動させてから若干のタイムラグのあるエメラルドは、その特性を見切った相手には通用しない。
「それくらい……分かってるよッ!」
しかし、雪乃の狙いはエメラルドの力を浴びせることではなかった。
エメラルドに視力を奪われないためには、目を閉じればいい。だがその瞬間は隙ができるということ――!
雪乃はすかさずルルシェの背後へ回り込み、滅びの剣で横に凪いだ。
「くっ!」
感覚的に背後へ立たれたことを察知したルルシェは、前方へ跳躍することでそれを回避する。
「残念だったわね、光の出ている一瞬で決められないようじゃ――」
ルルシェはそう言いながら目を開け、次の雪乃の攻撃に備える。しかし、雪乃の手には滅びの剣"しか"なかった。
雪乃はぐっと前屈姿勢になった。飛びかかろうとする姿勢だ、とルルシェは思った。そして、屈んだ雪乃の後ろに見えたのはミナセの姿。その手にはエメラルドが握られており――。
「(しまったっ――)」
雪乃たちの本当の狙いに気づいた瞬間にはもう遅かった。エメラルドから翠色の光が発射され、ルルシェはそれを見てしまった。
「(くっ……目が、感覚がッ)」
「魔水晶や魔宝石はエーテルが満タンなら"二回"使える。これ基本だよ」
その雪乃の言葉も、ルルシェには断片的にしか聞こえなかった。それほど視覚や聴覚が失われていた。
雪乃は一度目のエメラルド発動時、ルルシェが目を閉じた隙にエメラルドをミナセに渡していたのだ。背後からの攻撃は、その作戦に気づかれないためのフェイントでしかなかった。
「あっははははははッ!! これで勝ったつもり!? 雪乃ォッ!!」
ルルシェは高らかに笑いながら、あたりを見渡す。断続的にしか機能しない感覚では、雪乃の姿さえ見えないのだ。
「イリアちゃんを返して。そしたら命までは――」と雪乃が言いかけた時。
「うるさいッ! 黙れ!」
ルルシェは激昂した。次に不敵な笑みを浮かべると彼女は蒼エーテルの放出をやめた。
「ふふふっ……教えてあげるわッ! 蒼の力をッ!」
そう言った瞬間、ルルシェの身体は蒼い光に包まれる。エメラルドと同じように、見てはいけないタイプの力か。そう考えた雪乃は咄嗟に目を閉じた。
そして光が止んだ頃、雪乃が目を開けるとそこにルルシェの姿はなかった。
「な……き、消えたッ!?」
背後にも、上にも、ルルシェの姿はどこにもない。
「ミ、ミナセさん? あの子はどこに……?」
「分からない……。壁に穴が空いてるわけでもないから、逃げてはいない。この一瞬で"姿が消えた"……」
部屋に不審な部分はなかった。ルルシェはこの部屋にいながら、その姿を忽然と消したのだ。
「ミナセさん。サファイアの能力って……?」
「分からない。君の持つガーネットやエメラルドは貴重な魔宝石といえどもその存在や能力は認可されている。でもあのサファイアは魔宝石の中でも特級の希少度だったはず。それこそ王族だけが持つくらいの。対となる"ルビー"って魔宝石があることくらいしか……」
「(魔宝石でも知られている物と知られていない物があるのか……)」
雪乃は思考する。ルルシェはあの蒼い光に包まれ、そしてこちらが目を閉じた瞬間に消えた。これが何を意味するのかを。
「(あの光を一瞬とは言え見てしまった。それで幻覚を見せられている……とか?)」
考えられる可能性を一つずつあげていく。そしてそのどれらであっても、次にルルシェがとる行動は雪乃には分かっていた。
「(どんな方法で消えたにせよ、攻撃を仕掛けてこないのはまだエメラルドの効果が残っているからだよね。だったら、その効力がきれる時が相手にとっての攻め時のはず)」
正確な時間は分からないが、消えたまま強襲してくる可能性もある。そう考えた雪乃が剣を構えなおした時だった。
「(……ん? あれは……)」
部屋の隅。一部分の輪郭がぼやけて見えた。目にゴミが入ったのかと、雪乃は目を擦りもう一度見る。しかしやはりその部分のみがぼやけたままだった。
見つめ続けていると、それはじわりじわりと輪郭がはっきりし始めた。何も無かった空間はやがて人の形となりはじめ――。
「イリアちゃん!?」
まだ多少ぼやけているが、そこに居たのは間違いなくイリアだった。サファイアは単純に姿を隠す能力だったのか、と雪乃は内心舌打ちをする。
そしてイリアがいるということは、すぐ隣にはルルシェの姿が――。
「(いない!? ……しまっ――!?)」
イリアは囮だ。気づいた時にはもう遅かった。見えないが、雪乃は背後に人の気配を感じた。
「ジ・エーンド。雪乃ちゃん」
くすりと笑いながら、ルルシェは雪乃の"喉"を的確に手刀で打った。
「ひっ……ぐ……ぁ……?」
一瞬の内に、雪乃は地面へ倒れこむ。呼吸がままならなかった。
「察しの通り、サファイアは姿を消す魔法。でも一度発動すればイリアと手を繋いでいなくても持続するの。残念でした」
ルルシェはイリアの手を引き、蒼いエーテルソードを発現させながら、そう不敵に笑った。
「(や、やられる……!)」
エーテルソードで斬られてしまえばそれで終わりだ。意識が朦朧としている雪乃でもそれは理解できた。
「(イリアちゃん……ミナセさん……ごめん。絶対に、助けに来るから……)」
「じゃあね、雪乃ちゃんっ」
ルルシェがまさにエーテルソードを雪乃へ振り下ろそうとした時――。
「(――ジャンプッ!)」
ふっ、と。雪乃は黒い残滓を残し、消えた。




