15.手がかり
ズキリ、とまた雪乃の頭が痛んだ。
お姫様の名前がアイリスだって? ただの偶然? それとも――?
更なる情報収集のため、また画用紙のページをめくる。
すると、こんな一文が目に入った。
あいりすからもらったきれいな石は、たからものいれにいれました。
これはお母さんにもぜったいナイショ!
かちり、と。
雪乃の記憶に掛けられていた鍵が、外れたような、そんな感覚。そして瞬間、忘れていた記憶が洪水のように雪乃の脳を刺激した――!
「お……思い出した……。そうだ、私は確かに昔の友達に綺麗な石を貰った。それを大事なものをしまっておいた宝物入れに……」
おぼろげに、石を貰ったことを思い出した。まだこの絵本に書かれていることが実体験に基づいたフィクションなのか、日記のような使われ方をしていたのかは分からない。
まだ、小さな頃に異世界へ行ったという記憶は、ない。
宝物入れは、今はほとんど使われていない机の一番下の引き出し。その奥深くに隠していたはずだ。
それを思い出した雪乃は、その隠し場所である引き出しを開く。
「……あれ?」
確かに、奥に保管してあった記憶はあった。しかしその宝物入れは引き出しを開けた瞬間見つかった。最も手前に置いてあったからだ。
「おかしいなぁ……こんな見つかりやすいとこに置いてたっけ……?」
そう思いながら、雪乃は宝物入れと称した小箱の蓋を開けた。
その中には、小さな頃に大事にしていた小物やおもちゃが入っていた。思い出が詰まった箱だ。
しかし、それらの中には雪乃が入れたはずの石はなかった。
記憶違いだろうか、と雪乃は思った。なんにせよ、今はこのようなことばかりに時間を使ってもいられない。
まずは今この世界がどういう状況なのかを把握する必要がある――そう判断した雪乃は一旦この件を放置することにした。
***
「お母さーん……お母さん?」
私服に着替えた雪乃は、自室を出てリビングへと向かった。
そこには放心しているかのような様子でソファに座る母、雪枝がいた。
「お母さん……テレビ、点いてないよ?」
雪枝は真っ暗な画面を写し続けるテレビをぼーっと見続けていた。そんな様子に、雪乃は少しばかり不気味さを感じた。
「あら雪乃、もう帰ってきたの。さっき出て行ったばかりじゃない。用事はもう済んだの?」と雪枝は虚ろながらも小さく微笑んだ。
「う、うん。それはもういいんだ」
さっき出て行ったばかり――? 雪乃は首を傾げる。この世界では行方不明になっているわけではないようだった。
まさか、入れ替わった自分が生活を続けているというのだろうか。少し怖くなった。
「それにしても雪乃。あんた、なんだか急に雰囲気が変わったわねぇ。大人びたというか、そんな感じがするわ。今日もいきなり"水無瀬病院"に社会見学に行くだなんて。どういう風の吹き回しなのかしら」
「そ、そっかな? 気のせいじゃない?」
水無瀬病院――? ミナセ?
二重の意味で、母の指摘にどきりとした雪乃は慌ててごまかした。一年も経ったのだ。それに平和なこの世界とは違う、命のやり取りが頻繁に行われる世界で過ごした一年は、雪乃の纏う雰囲気を変えるには十分だっただろう。
ガーネットにも同じような指摘をされたような気がする、と雪乃は思った。
それにしても水無瀬病院とは一体――?
「凪ちゃんが言ってたのはこのことなのかもねぇ。前から"お姉ちゃんが変わった"って何度も言うんだよ。私はそんなことないよって宥めたんだけど、凪ちゃんは納得しなかったみたい。もっと真面目に話を聞いてあげればよかったのかもねぇ……」
凪ちゃん。それは雪乃の妹である雪凪のことだ。
「あ、そうだ。雪凪はどうしたの? どこか遊びに行ったの?」
がたっ、と。雪枝は急に立ち上がる。
「……あんた、それは本気で言っているのかい……?」
悲しそうな目で、雪枝は雪乃を見つめる。
「あ、いや……そのっ……」
突然の出来事に、雪乃は慌てふためく。どうして母はこんな反応をするのだろうか。
「あのね雪乃。凪ちゃんが行方不明になってからもう一ヶ月以上経つんだよ。お姉ちゃんなんだから、もっとしっかりしなさい。ちゃんと現実を見るのよ」
そう言い残すと、雪枝はふらふらとした足取りで、リビングを出て行った。
「雪凪が……行方不明?」
母があんな様子なのは、それが原因だったのだろうと雪乃は思った。
一ヶ月前と言えば、雪乃が鏡の中の雪乃と入れ替わってから、一ヶ月程経った辺りだが……。
「この世界の私は水無瀬病院に行った……って言ってたっけ」
水無瀬といえば……ミナセ・ユウキ。異世界にも、この世界にもいるという、不思議な人だ。
確かこの世界では、とある精神病の研究を行っている……という情報をニュースで見たことがある。
その研究対象について雪乃はよく知らないが、ニュースで取り上げられるほどなのだから、よほどの大病の研究者なのだろう。
「私が入れ替わってから一ヵ月後に、次は雪凪が行方不明……。これって、やっぱり鏡の中の私が何かした、のかな」
今のところ手がかりはそれくらいしか考えられなかった。
自室に戻り、出かける準備をしようかと考えていたとき、突如妙な違和感が雪乃の頭を刺激した。
「な……に? この感覚。なんか呼ばれてる、ような。ずっと頭の中のドアをノックされているような……?」
雪乃の第六感が、その感覚をテレパシーのようなものではないか、と判断させた。
特に根拠があるわけではない。ただ、"誰かが自分を呼んでいる"ような、そんな気がしていた。そしてその呼びかけに対する返事の仕方も、感覚で理解できた。
目を閉じ、頭の中を巡る違和感をイメージの手でつかみ取る。ぐぐぐ、とその違和感はイメージの手の中で震えていた。
その違和感の中身を開ける。風船の空気が抜けるように、違和感はしぼみ存在を希薄にしていった。その時に漏れでた空気のような何か……情報の塊が雪乃の脳に染み付くようにじわりと、溶け込んでいった。
そして雪乃の頭の中に浮かび上がったのは、いつか見たミナセの研究室。イリアでなくなったイリアがいる、あの部屋の光景だった。
「(ここが……ミナセさんの居る場所……水無瀬病院の中?)」
もしそうなのだとしたら、ここの鏡の中から出た雪乃がいるはずだ、と雪乃は考えた。
「(そうだ――今の私なら飛べる。いつか時の水を使った時は、時間だけじゃなく、"王都からラ・トゥへ"場所も飛べたんだ)」
どういう原理で、場所を飛ぶのかは分からない。ただ、雪乃は今見えている光景に、身をゆだね倒れこむことでそこへ飛ぶことが出来ると、本能で理解していた。
今こうして景色が頭の中で鮮明に映し出されているというのは、それを可能にさせる魔法の力が働いている……あくまで感覚的にだが、雪乃にはそう感じられた。何故か、そうとしか思えなかった。
「(今……行くから――)」
雪乃は滅びの剣、ガーネット、エメラルドを掴み取り、まぶたの裏に焼きついた景色へ溶け込むように、自然に精神を紛れ込ませるように意識を向けた。
ふわりと、無重力のような感覚が雪乃を襲った後、身体は極自然に、その場から姿を消した。