5.弱さを言い訳にしてきた
「魔物だと!? 各門の警備はどうなっている! ……まさかッ!?」
ヴィクトルには思い当たる節があった。城下町と外を繋ぐ門には重厚な警備が張り巡らされている。それにも関わらず街に進入できる魔物とは――。
「魔物の種別は"メテオラ"です! 急遽、空より飛来し街に落下してきた模様です!!」
「メテオラ……」
イリアはぽつりと呟いた。魔物の生態が記された図鑑で見たことがあった。
身体は岩そのもので出来ており、一見すると巨岩のようにしか見えない。しかしそれは突如として空から落下し、数時間かけて顔や手足といった生命活動に必要な部位を生やし、最終的には"卵の殻をつけた雛鳥"のような姿になるという。
イリアは少し安堵した。何故ならここは人口の少ない村でもなく、ただ広い街道中でもない。一勢力の集まる王国なのだ。
更にはメテオラという魔物は戦闘行動に移るまで時間を有する魔物だった。
それまでに騎士団が駆けつけ、魔物と戦ってくれるだろう、そう思っていた。
雪乃を除く、この場に居るメテオラを知る兵士や王なども、同様のことを考えてはいた。
しかし――。
「ほ、報告しますッ! 城下町に落下したメテオラの数は一つではありません! その数……十を超えています! 現在も次々に飛来している模様です!」
新たに王の間にやってきた兵士が言った。メテオラが一匹ならば、さほど震撼することもない脅威だった。
しかし、それが複数となると話は違う。
それらは国にとって、決してあなどれない戦力となってしまう。
「訓練中の王国騎士団を作戦室に集めろ! 俺が指揮を取る!」
ヴィクトルは兵の報告にうろたえず、即座に判断を下し言った。
その言葉を聞いた兵士は敬礼と共に王の間を去っていった。
「……ユキノ」
ヴィクトルは立ち上がり、雪乃へ近づき名前を呼んだ。それ以上言葉は必要なかった。
「……戦えと、言うのですか」
「本来ならば、この国……いや、この世界のことは俺達が解決すべきだと思う。強い力を持つとはいえ、関係のない世界の住民、果てはまだ成人にも満たない者を頼るなどとは、俺もどうかしているとは思う」
ヴィクトルは静かに言った。その言葉には自分の無力さを恨むような、そんな感情が見て取れた。
「頼む……ユキノ。力が必要なんだ。騎士団に入れとは言わん。だが、今この危機を乗り越えるには――」
ヴィクトルの言葉に、雪乃は数秒何も言い返すことはなかった。ただ静けさだけが王の間に流れた。そして雪乃が口を開いた。
「……私、怖いんです」
第一声。それは雪乃にとって紛れもない本心だった。魔物との戦いには常に命の危険が隣り合う。今でも、村で魔物と対峙した時の恐ろしい感覚は思い出すだけで体が拒絶反応を起こすほどだった。
唇は振るえ、手汗が滲み、息が荒くなる。
こんな弱気な自分が、どうして魔物と戦えるというのか。
「元の世界でもそうだった。クラスメイトに宿題を押し付けられても、へらへら笑ってそれを受け入れた。それは、何かを言い返した時、どんな仕打ちを受けるのか分からなくて怖かったから」
言葉の意味が伝わるかは分からない。しかし雪乃は、自分がいかに弱い人間なのか。いかにこの世界に馴染めない"非戦士"であるのか。それを独白せずにはいられなかった。
「学校で、いじめられている男の子がいる。でも、私は毎日それを見てみぬフリをしてた。だって、関わったら私もどんな扱いになるか、想像……できたから……」
声はだんだんと小さくなった。こうして口に出すと、自分がどれだけ卑屈な正確をしているのか、それが嫌になった。
「私の国じゃない、別の場所で拉致事件とか、戦争が起こってることをニュースで知った。私は何の関心も寄せなかった。だって、私の親しい人が連れ去られたわけでも、私の国で戦争が起きてるわけじゃなかったから……私ごときが関心を寄せたって、関わることも出来ないし、人は争いをやめない。心のどこかで"私にはどうせ関係ない"って思ってた」
自分には関係ない。自分には無理だ。自分がやれば痛い目に合うのは自分だ。
雪乃は、自分がそう言い訳し続けて、あらゆる出来事から逃げてきた。命を失うかもしれない。だから今回も見てみぬフリをするのだろうか――雪乃は心の中で葛藤した。
「元の世界の私は"力"が無かったから、ずっと言い訳してきた。……でも今は、この世界では、違う。力を持った、私が持ってしまった」
雪乃は、そう言って背中に提げた剣を、鞘から抜いた。
「だからもうそんな言い訳は出来ない。魔物と戦うのは怖くて堪らない。でも……でも! 私――もう逃げたくない。だから、今は戦います。私に優しくしてくれたこの国の、この世界の人たちを守れるなら。私、戦います」
たどたどしく言葉を紡ぎ、雪乃は言った。戦う者を象徴する剣、それを持つ手は震えていた。
ヴィクトルも、イリアも、雪乃がどれだけ覚悟して、怖さを克服しようとしているか。それを知った。
「……ああ、そうだな。いくら強くとも、それは一人の人間、一人の命だ。恐怖に駆られるのも無理はない。お前のような少女を戦場に送るのは俺としても心が痛むが……頼りにしているぞ。ユキノ」
「……はい!」
***
ユキノが作戦室に入ると、既に大勢の兵士が集まっていた。
その人ごみの中に、アイリスの姿を発見した。雪乃とイリアが近づくと、アイリスがその姿に気づいた。
「ユキノ!? ここにいるってことは――。あんた、騎士団入りは断るんじゃなかったの?」
「うん、それは断ってきた。でも、今は非常事態だから……私も手伝うよ、アイリス」
「手伝うってそんな……戦うの、怖くて嫌になったんじゃ……」
「戦うのは怖いよ。でも、私の力が役に立つのなら、それをお世話になった皆の為に使いたいの」
どこまでやれるかはわからない。だが、それが雪乃の出した結論だった。
「……ふん、歯の浮くような台詞だな」
そんなユキノとアイリスのやり取りを傍観していたのは、騎士団の兵士であるアルフレドという男だった。
黒い髪に赤い瞳を持ち、身体は十分に鍛え上げられているようだった。そして背負った大剣は成人の身長に勝るとも劣らないほどの長さを有していた。どうみても騎士団で支給されるような代物ではないことは明らかだった。
「あ、あなたは……?」
「こいつはアルフレド。ユキノと同じく異界人よ。何でも元の世界では人々に崇められる程の功績を残した勇者なんだってさ。強いのかどうかは知らないけど、ね」
アイリスはあまりアルフレドを良く思っていないのか、少し不機嫌な様子を見せた。
「帰ることのできない世界での功績など無意味だ。だが、俺はお前より強い」
無骨で、無口そうな印象を受ける男だったが、アルフレドは強気に言った。自分の強さに自信があるのか、またはアイリスを特別視しているのかは分からなかった。
「な、なんですってぇ……?」
「ま、まあまあアイリス」
今にも食って掛かりそうなアイリスを、雪乃が宥めた。
一方のアルフレドはそんな二人を一蹴するかのように、ふっと笑った。
「女、正義の味方ごっこのつもりなら、やめておけ。取り返しのつかんことになる前にな」
そう言い残し、アルフレドはその場を後にし、人ごみの中に消えていった。
「なによアイツ! 元の世界では"勇者"だなんて、正義の味方ごっこやってんのはアンタでしょーにっ!」
アイリスが憤慨している中、作戦室にヴィクトルが入室した。
とうとう作戦会議が始まるのだ――。