4.一年の答えを示せ
次の日。
何とか体調も元通りとなったアリシアは、城へ帰ることとなった。
「ユキノ様。またいつでも私の髪を触ってくださいね」
「あ、はは……。出来ればもう変な薬は使わないでね」
アリシアは万遍の笑みで、雪乃は苦笑いしながら言った。
「まったく、あんたは油断できないんだから」
呆れた様子でアイリスが言った。
「くすくす、お姉様も昔よく使っていらしたではないですか」
「なっ――」
「……アイリス、それ本当?」
じーっと。雪乃はアイリスに疑いの眼差しを向けた。
「あははーっ……や、昔のことだし……ね?」乾いた笑いでごまかすも、アイリスの面子は丸つぶれであった。その表情の下にはアリシアへの敵対心を秘めているに違いない。
「イリア、また一緒に寝ましょうね?」アリシアは悪戯な笑みを浮かべ、イリアに言った。
その瞬間、イリアは顔をかぁっと赤くさせた。二人の意味深なやり取りに雪乃は首を傾げた。
「あ、そういえばユキノ様――」突然、アリシアは表情を変えた。
「もうじき、ですわね。お返事はもうお決まりになられましたか?」とアリシアは言った。
返事、というのはアルコスタ王からの申し出に対する返事のことだった。
期日まで、もう一月もなかった。
「うん、決めたよ」
毅然とした表情で、雪乃は答えた。迷いはなかった。
「そうですか。良いお返事が貰えるよう、期待しております」アリシアは顔を伏せた。
「――"良いお返事"を」
「……アリシア?」
アリシアの様子に違和感を感じた雪乃は声を掛けようとするも、彼女は側近の兵士に連れられ城へと帰っていってしまった。
「……なんだったんだろう」
アリシアの言葉には、どこか含みが感じられた。
「良いお返事を――か」
あと一月で、この国へやってきてから一年経ったことになる。
この一年での経験は、今まで生きてきた中で最も多かった。雪乃はそう確信していた。
この町、世界、人間。それらに貢献するための手段とは――。
***
そして、雪乃が元の時間軸へ帰還してから数日が経った。
大きな事件はなく、少女達はそれぞれの時間を過ごした。
アイリスは騎士団の訓練に打ち込んでいた。しかし、その訓練量は今までに比べて明らかに減っていた。
どうやら空いた時間を使ってミナセのところへ足を運んでいるようだったが、雪乃にはその理由を語らなかった。
イリアはルルリノとのプライベートの時間を過ごしながらも、ザクロから受け取ったEコムの制御訓練を怠らなかった。
始めはザクロのように屋根に登ることすら困難であったが、今はようやくそれがこなせるようにもなってきた。
しかし、まだ三つあるポインタを有効的に使うことはできなかった。せいぜい一つのポインタを使って目的の場所へ一直線に飛ぶことくらいが現状であった。
雪乃は今まで以上に騎士団の訓練に時間を割くようになっていた。
ただし彼女が参加しているのはあくまでも座学、魔物の生態とその討伐の手順についての知識の蓄えである。
肉体的な訓練はひ弱な雪乃にはまだ長時間の参加は厳しいらしい。
そんな毎日を過ごし、そしてようやく雪乃の"選択の日"がやってきた――。
「ユキノ様、準備はよろしいですか?」
「うん、行こう」
王の間、その扉の前で雪乃は言った。
見張りの兵士は無言で扉を開けた。大きな扉はゆっくりと開いていく。
「……来たか、ユキノ」
アルコスタ王、ヴィクトルの声が王の間に響いた。それは大きな声ではなかったが、この部屋の静寂、そして威厳ある声色が雪乃にそう感じさせた。
「お久しぶりです、王様」
一年前訪れた時とは違い、毅然とした姿勢で王に向かい合い、雪乃は言った。
「以前見た時は弱々しい気配だった。だが今は違う、随分と変わった。この一年は、お前にとって有意義だったか?」
深く刻み込まれた皺によって作られた鋭い眼光、その目は雪乃を捉えていた。ただ真っ直ぐに。
「目標が見つかったんです。より正確に言えば、"確かにあるはずの目標"を見つけなければならないことに気づいたんです」
「目標を見つけることが目標……そういうことか?」
「はい。私は今こうして異世界にいる。戦える身体を持っている。それにはきっと理由があるはずなんです」
「異世界にいる理由……か。そのようなことは考えたことがなかったな」
ヴィクトルは口元に手を当て、ふむ……と考え込んだ。異界人は何かしらの理由を持ってこの世界にやって来る――。
雪乃のそんな考えを彼は一蹴することなどしなかった。ヴィクトルもまた、異界人がどのようにしてこの世界にやって来るのか、そのメカニズムは何なのか。大いに興味があったからだ。
「それに……私は魔物が絶対悪とか……そういう風には思えないんです。だから、私は……」
「軍や騎士団には入らない……そういうことか?」
雪乃の言葉を遮って、ヴィクトルが言った。雪乃は黙って頷いた。
「魔物が絶対悪ではない? どうしてそう思うのだ? 現に奴らは多くの人々の命を奪った。それがどうして悪と言わない?」
ヴィクトルにしてみれば、当然の疑問だった。だが、彼やこの世界の人々の多くは、魔物が人間を含めた動物の命を食らわなければ生きていけないことを知らない。
仮に雪乃がそのことを人々に説いたとして、一体どれほどの人がその話に耳を貸すだろうか。今の世の中は、黙って食料にされるのが嫌で人々は戦っているのだ。
それを異世界――平和な世界からやって来た一人の少女の道徳が人々の考えを返ることなど出来るのだろうか。
そこまで考えて、雪乃はヴィクトルに言葉を返すことが出来なかった。
「……答えられない、か。個人がどう考えようと、それは自由だ。しかし我々は戦うことで、国民を、戦う力のない者たちの命を守っている。そして戦う者たちが志す意志は皆同じ、"魔物を打ち倒し平和を願う"ということだ。ユキノ、お前は戦いには向いていないようだな」
ヴィクトルの言葉には棘が感じられたが、出来ることなら雪乃を戦わせたくないという思いの篭った、そんな言葉選びをしているように雪乃は感じた。
イリアははらはらとした様子ながらもただ黙って二人を見守っていた。王の申し出を断った雪乃がどんな処遇となるのか、それはまだ分からない。
協力を断るということは、国からの援助が止まってしまう可能性もあった。そうなれば、個人で金策を持たない雪乃はあっという間に居場所を失ってしまうだろう。
「(ユキノ様……)」
そうなれば、自分はどうしようか。雪乃と一緒にどこか遠くで、偏狭の地に移り住むというのも悪くはない。
イリアがそんなことを頭の隅で考えていたときだった。
不意に王の間の扉がいきおいよく開いた。
「なにごとだっ!」
ヴィクトルはすかさず椅子から立ち上がった。扉の前には一人の兵士が息を切らしていた。
「た、大変ですっ……! 城下町に……ま、魔物がっ――!!」