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鏡のプロムナード  作者: 猫屋ナオト
第五章.暴かれた秘密の"プロムナード"
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3.熱い夜

 その日の夕食はいつもと比べ豪華だった。


 この世界では高級とされる、雪乃の身体ほどある大型魚を豪勢に、丸ごと焼いたもの。

 とある地方の職人が年に数キロしか出荷しないと言われる特上の香辛料を平たくスライスした牛肉へと惜しみなく降り掛けたステーキ。

 そしてタジが村から持ち込んだ沢山の果物に囲まれ、雪乃は絶句した。


「これはいくらなんでもやりすぎなんじゃ……」と雪乃は思わず苦笑する。


「私、ユキノ様がいない間ずっと胸を痛めておりました。この年で未亡人だなんて、考えただけでも……あぁっ、ユキノ様……」


 そう言って雪乃の右隣の席を占拠していたのは、アルコスタの王女でもあり、"自称"雪乃の婚約者であるアリシアだった。

 彼女はことあるごとに見張りの目を盗み、雪乃に会いに来ていた。

 それがばれる度に見張りの人数が増えたが、アリシアは先天的に持つカリスマで見張りの兵を逆に仲間に引き入れてしまっていた。

 見張りとなっていた人間は男女問わず、そのほぼ全てがアリシアの配下となっていた。こうなるともはや彼女の独壇場である。

 今回のように長い時間城を抜け出すときは、影武者までも用意できるほどになってしまっていた。


「わっ、ちょ……ちょっと離れてアリシア。食べ辛いよ」


 王族の割にはお堅いどころか、フレンドリーを超えた過度なスキンシップを行うアリシアの姿勢に雪乃は手放しでは喜べなかった。

 なぜなら、言動の端々に"貞操"の危機を感じるからである。


「あらあらまあまあ、食べ辛いというのならば私が食べさせてあげましょう。はい、あーんっ」


 雪乃のどんな言葉も、アリシアには都合の良いように解釈されてしまう。

 アリシアは雪乃の側に居るだけでずっと笑顔だった。


「あ、あーん……」


 差し出された料理を、雪乃は何ともぎこちない動作で食べる。

 奉仕することもアリシアにとっては喜ばしいことなのか、楽しそうに何度も雪乃の口へ料理を運んだ。


 そしてその光景が面白くない人物が食卓に一人居た。それは雪乃の従者こと、イリアだった。


 雪乃の左隣を陣取ったものの、アリシアの積極性についつい押され気味になってしまっていた。

 アリシアの行動は、本来は自分が行うはず。何を迂闊に先手を取られているのか。などと心の中では考えてはいるものの、消極的なイリアは行動に移せないでいた。


「そんなんでいいのイリア? ユキノが取られちゃうよ~?」


 そんなイリアを見て、これ好機とばかりに煽っていくのはアイリスだった。

 アイリスの雪乃に対する感情は今一つ不明だが、アリシアの行動に特に何の反応も示さない辺り余裕が見て取れた。

 そればかりか、彼女はイリアにちょっかいをかけ始める始末である。


「取られるだなんてそんな……イリアは別に……」


 半ば諦めているのか、それとも照れ隠しなのか。あるいはそのどちらでもあるのか。

 イリアは拗ねた表情で言った。


「あっ。わ、私イリアちゃんにも食べさせて欲しいなー?」


 そんなイリアを見過ごさないのが雪乃である。

 アリシアの猛アタックに戸惑いつつも、従者の心情を見逃さない。しかしあきらかに無理をしているのは表情から見て取れた。


「ほ、本当ですか? で、では……あーん……」


 そんな雪乃の言葉を真っ直ぐに受け取り、結局は嬉しそうに料理を口に運ぶイリアだった。そしてその光景をアリシアが黙ってみているはずもない。


「ユキノ様。こちらのチェリーもご堪能下さいませ」


 アリシアはそう言うと、果物の籠からチェリーを取り出すとなんとそれを自らの口に含み始めた。


「え、えぇっ!? そ、それってまさか――」


 雪乃が慌てている間にも、アリシアの顔はすぐそこまで迫ってきていた。そう、彼女の狙いは"口移し"である。


 それはさすがに恥ずかしいどころの騒ぎではなかったので、雪乃は丁重に断ろうとした。

 しかしそうすると今度はアリシアが先ほどのイリアのように拗ねた表情を見せてしまう。


「あー、もう分かったよぉ! あーんっ……んっ……」


 半ば自棄になって雪乃はアリシアの口から飛び出ていたチェリーの"へた"を歯で掴み、一気に奪い取った。その際、一瞬唇同士が触れてしまったことは、雪乃はもはや気に止めないことにした。


「ユキノも大変ねぇ」


 アイリスは雪乃の取り合い合戦を観戦しながら、くすくすと笑っていた。


「だって、二人がしたいって言うからー……」


 雪乃は涙目で言った。もはや恥ずかしいというよりも、料理の食べすぎでこれ以上は無理だという様子だった。


「まあ、ご無理をなさってはいけませんユキノ様! さあさあ、ベッドに横になりましょう」


「ユキノ様、無理に食べていただくことはありません。さあこちらへ」


 そう言ってアリシア、イリアの両名は雪乃の様子を見て取ると、早速寝室へとエスコートを始めた。

 この二人、もはや奉仕のベクトルが間違っているのではないだろうか。二人に連れられ、雪乃は密かに考えるのであった。




***




「……で、どうしてこうなるの?」


 促されるままにベッドに身体を預ける雪乃。しかしその左右にはやはりというか、アリシアとイリアがべったりと張り付くように横になっていた。


「良いではありませんか。添い寝も妻としての勤めですわ」アリシアは何の恥ずかしげも無く言った。それも万遍の笑みで。


「わ、私もっ……添い寝は従者としての……勤めですから」対するイリアは打って変わって顔を紅潮させ、目を背けながら言った。


「あはは……そう言ってくれるのは嬉しいけどこれじゃあ眠り辛い――」


 と、そこまで言って雪乃はふと言葉を止めた。


「(あれ……なんか良い匂い……?)」


 突如、雪乃は鼻孔をくすぐる甘い匂いを感じた。その匂いを嗅いでいると気持ちが良いというか、柔らかな幸福感に包まれた。


「(アリシアの髪の匂い……? どうしてこんな――)」


 匂いの発生源に気づいた雪乃は頭の隅でふと疑問に思った。

 香水か何かなのだろうか、どう考えても自然に発生する匂いでないことは明らかだった。しかし雪乃は甘い匂いに意識が集中してしまい、考えがまとまらない。


「あら、ユキノ様。私の髪になにか?」


「えっ……あ――」


 アリシアの言葉に雪乃が我に返ると、自分がいつの間にかアリシアの髪に触れていたことに気づいた。

 しかも、それをあまつさえ自分の鼻孔へと手繰り寄せようとしていた。


「ご、ごめんっ! なんか無意識に……」


 雪乃はアリシアの髪からぱっと手を離して言った。

 その瞬間、雪乃が感じていた不思議な幸福感が消えた。名残惜しさにもう一度触れてしまいそうになるほどだった。


「いいですのよ? ユキノ様が望むなら私――」


 アリシアがそう言いかけた時だった。

 雪乃はふいにアリシアの反対側――つまりはイリアの方から荒い息が聞こえることに気づいた。


「イ、イリアちゃん……?」


 見ると、イリアは熱病にうなされるように息を荒げていた。

 汗をかき、眼孔がいつもより大きく見開いていた。どう見ても正常な状態ではないことは明らかだった。


「だ、大丈夫イリアちゃん? 一体どうして――」


 心配になった雪乃がイリアの頬へ手を伸ばし、触れた。その瞬間イリアは大きくぴくっと身体を跳ねさせた。


「凄く熱い……。イリアちゃんもしかして熱があるんじゃ――」


 雪乃がイリアの額に手を伸ばした。その時だった。



「こらアリシアーーっ!!」


 突如、アイリスが部屋のドアを勢い良く開き姿を現した。


「あら、なんですのお姉様? 今はユキノ様のお世話をしているところですのよ?」


 そう言ってアリシアは長い金髪をふわりと手で掻き上げた。また例の甘い匂いが雪乃の鼻孔をくすぐった。ふらりと、一瞬意識を失ってしまいそうなほどだった。


「……そう、こんなモン髪に付けて添い寝するのがあんたのお世話なの?」


 アイリスはそう言うと紫色をした液体の入った小瓶をアリシアに突きつけた。


「あら、見つかってしまいましたのね」


「あ、あのアイリス。それは?」


 見るからに怪しい紫色の液体が何なのか。雪乃は尋ねた。


「数滴、霧状にして吸い込むだけで身体が大変なことになっちゃう大人用のお薬、"コテーアーチの刺激"よ。とっても甘ーい匂いがするの」とアイリスが言った。


 アイリスは幾分、オブラートに包んで言ったが、小瓶の中身は要するに吸った人間の興奮を強制的に促す代物なのだろう。

 そしてそれが社会的に公に出来ないものだということを雪乃は直感的に知った。


「じ、じゃあこの匂いって――」


「はい、私の髪に吹きかけておきましたのっ」あくまでも嬉しそうに、アリシアは笑顔で答えた。


「なるほど、そういうことなのね……」


 タネが分かってしまえば何と言うことは無い。匂いを嗅いでいたい欲望を何とか押さえ込み、雪乃はアリシアから距離を取った。


「それにしてもユキノ、よく平気だったわね」アイリスが感心した様子で言った。


「へっ? なんで?」雪乃が尋ねると、アイリスが「ほら、あれ」とベッドを指差していた。


「う、うわぁ……」


 そこには、完全に身体が出来上がり失神寸前のメイドと、徐々に呂律が回らなくなり息も荒くなり始めた王女の姿があった。


「これ、一級にヤバイ薬なのよね。一歩調合を間違えれば禁止ドラッグになるくらい」


 ため息をつき、アイリスが言った。

 ベッド上の二人はもはや正気を保ててはいなかった。


「え、えっと……あの二人はどうすれば?」


「ほっときましょ。一晩もすれば元通りになるでしょ」


 そう言ってアイリスは部屋から出て行ってしまった。


「……私も無事ではないんだけどなぁ……」


 自信の頬を触ると、まるで大病にかかったように体温は熱いと分かった。それに息も荒かった。


「はぁ……冷たいものでも飲んで寝よう……」


 ふらふらとした視界の中で、雪乃は嘆くように呟くのであった。

 部屋を出た後に、その中からなにやら怪しげな嬌声が聞こえたのは幻聴だと信じたい雪乃であった――。

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