外伝3(5).そして序章へ……
「……それで異世界ってさ、どんな感じ? やっぱこことは違う?」
時間移動についての話も落ち着いてきた頃、ガーネットは興味津々といった感じでユキに尋ねた。
「違うね。文化とか、言葉とか。あと魔法も魔物もいないし」
「魔物がいないの? じゃあ戦ったりとか、そういう危険なことはない?」
「そうだね。私がこっちに来たときはあまりの違いにずっとびくびくしてたくらい。平和だったね」とユキは懐かしむように言った。
「そうかぁ……俺も見てみたいな。平和な世界」とガーネットは言った。
彼は彼で魔物に対して思うところがあるのだろうか、危険の無い平和な世界に望みを抱いていた。
庭園には柔らかな風が吹いた。芝はそれに煽られゆらゆらと揺れた。
周りにはまばらながらも人の姿があった。それらは各々のんびりと現在を過ごしているようだった。
そんな風景は、この世界が魔物などという恐怖に怯えていることを忘れさせた。ユキの目にはどちらの世界も人の有り方だけは似ているように見えた。
「ねえ、ユキ姉の世界の言葉を教えてよ!」
「私の世界の?」ユキは首を傾げた。
異世界に興味津々であるガーネットは、言語の違いも気になるようだった。
「いいよ。そうだねぇ……じゃああれが――」
ユキはそう言って、庭園にある木……そこに生ったりんごを指差した。
その瞬間、ユキは何か思いとどまるような、何かを思い出すように一瞬だけ止まりくすっと笑った。
ユキが何故笑ったのか分からないガーネットはただ首を傾げるだけだった。
「ごめん、ちょっと思い出し笑い。えっと、あれは私の国の言葉で「りんご」って言うの。「り・ん・ご」」
「るぃ……んーぐぉ?」
ユキの発音とはまったく異なる発音で、ガーネットが言った。
「違う違う。「りんご」だよ」
「り……り、んぐぉ」
全く慣れない舌の扱いにガーネットは苦戦していた。そんな様子を見てユキは微笑ましく思った。
「えっと……「りんご」?」
「そうそう、上手い上手い!」
ようやくそれなりの発音をすることが出来たガーネットを、ユキは手を叩いて賞賛した。
「うーん……難しいな……」
どこか腑に落ちないらしく、ガーネットはぽりぽりとこめかみを指で掻いた。
「違う言語を学ぶ時って、大概そんなものだよ」
自分も苦労したなぁ……とユキは懐かしむように言った。
「あ、そうだ。ユキ姉の"ユキ"ってのはそっちの言葉で意味がある言葉なの? 俺のガーネットは古代宝石……今は魔宝石に指定されてるんだっけ。とにかく、魔宝石のガーネットって名前から取ったんだって」
「私のはねぇ、「ユキ」は雪って意味があるの。空から降って来る雪ね。こっちの世界の発音では「ルルシェ」だね」
「雪……かぁ。ってことはユキ姉はこっちの世界流に改名するとしたらまんま"ルルシェ"ってことになるんだね」
ルルシェとは、異界語ですなわち"雪そのもの"を表す単語だった。
異界へと迷い込んだ人物が世界に馴染みやすいように改名することは珍しくもない上、異界では実際にこの名の人物は存在したため、ガーネットの指摘はまんざらでもなかった。
「じゃあさ、俺のガーネットってのはユキ姉の世界ではなんて言うの?」
「ガーネットかぁ……。石の名前はそのままだから色で言うと……」
と、言いかけてユキはまた何かを思い出すように、止まった。
彼女にとって重要なことが、この瞬間に起きようとしていた。無論、それを汲み取れないガーネットからしてみればやはり首を傾げることしか出来なかった。
やがて何かを決心したのか、ユキは口を開いた。
「ガーネットは、"ザクロ"っていうの」
「ザクロ? さっきのリンゴよりマシだけど……やっぱりあんまり聞かない発音だな。でも、なんかいい響きだ」ガーネットはニッと笑った。
「じゃあもし俺がユキ姉の世界に行ったら、ザクロって名乗ればいいんだな」
「ふふっ、そうだね」
ユキとガーネットは笑いあった。
庭園で楽しそうに笑う二人は傍から見れば姉弟のように見えたかもしれない。
「そういやユキ姉は、時間を越えてここに来たって言ってたよね。何か用があったの?」とガーネットはふと思い出すように言った。
「実は、私時間移動を制御出来ないんだ。何回も経験したから身体だけじゃなくて他の物体も転移は出来るんだけど、ある時勝手に身体が――」ユキがそう言いかけた時、彼女の身体に異変が起きた。
ユキの身体は薄っすらと透け始め、輪郭から黒い霧がじわじわと滲んでいた。
「あ、はは……ちょうど今みたい。身体がめちゃくちゃな時代に、勝手に転移しちゃうんだ」何とかエーテルを制御しようと、ユキは歯を食いしばった。
「ちょ、ちょっと待ってよ。じゃあユキ姉、いなくなっちゃうの!?」
突然のユキの言葉にガーネットは驚いた。
「ご、ごめんね……もっと早く言ってたほうがよかった、かも……」
別れの可能性は、いつ何時でもありえた。
それならもっと早く言っておくべきだったかもしれないとユキは後悔していた。
今この短い時間では、まともに別れることも出来ない。
「そんな! 俺もっとユキ姉の話したいことあるのにっ! 時の水とか、ユキ姉の世界とか、エーテルの使い方とかさぁ!!」
少年は叫んだ。ユキが消える、それは嫌だと思った。
しかし、徐々に薄みが増していくユキを見れば、それを止める事はできないと心のどこかで確信していた。
「わ、私も……もっとこの時代に居て、君と話をしていたかった。でも……でも、私は思うんだ」
じわりと、冷や汗を流しながらユキが言った。表情は真剣そのものだった。
「私がこの時代に来たのは、きっと無意味なんかじゃなかった。未来に繋がる布石が、いくつもあるように思った。きっと、私は役目を終えたからここから消えちゃうんじゃないかと思う」
確信ではなかった。直感だったが、ユキには何故かそう感じられた。
「や、役目ってどういうこと? 未来に繋がる布石って……?」
「いずれ分かるかもしれない……。何十年も経って、君がまだ私のこと……覚えていたら――」
「ユキ姉ッ!!」
ガーネットはユキを行かせまいと、その腕を掴もうとした。
しかしその瞬間、彼女の腕は完全にエーテル化し、霧となり消えようとしていた。
ガーネットは、ユキに触れることが出来なかった。
「さようなら。また、いつか――」
「ユキ姉ッ……ユキ姉ーーーーッ!!」
ガーネットの叫びも虚しく、ユキの姿は完全に消えてしまった。
そこには、ユキが居た存在の証は一片たりとも残っていなかった。
「ずるいよユキ姉……俺、そんなこと言われたらさぁ、気になるじゃんかよぉ……。忘れたくなんてねぇよ……」
ガーネットは半べそになって、誰もいない虚空へ向けて言った。
この時少年は思った。
時間移動の研究をすれば、またユキと会えるかもしれない。また、ユキの言っていた言葉の意味が分かるかもしれない。
彼女との出会いが、後の彼の運命を大きく変えたのだ――。
***
そして数十年後――。
少年は、ずんぐりむっくりとした大男となっていた。
研究者、という印象からは程遠い、鍛え上げられた戦士のような身体だった。
彼はある村の集会場にて、農作業の疲れを癒すため休憩を取っていた。
その時、外から騒がしい足音が聞こえた。
「こんな時間から走り回る奴がいるとは――何事だ?」
彼はしゃがれ声で呟いた。
この時間はガーネットと同じく休憩を取る者が多いため、騒がしい足音が聞こえることはまずない。
そんな時、集会場の扉が勢い良く開いた。
「アニキッ!! 大変だ! 異界人が――」
若い男の、そんな声にガーネットは振り向いた。
そこに居たのは――。
-第四章外伝 過去編 完-
第四章はこれで完結です。
ここで一つのお話の区切りが出来たと思います。
よろしければここまで読んでいただいた感想をいただけると嬉しいです。