外伝3(4).種明かし
「さっきのは、なんだ。俺のエーテルパンチをまともに食らって橋の下にかろうじて掴まるなんて、出来るはずがない」
川へ落下したジョンソンが息を荒げながら岸へ上がり言った。
「食らっちゃあいないのさ。"まともには"な」とガーネットは得意げに返した。
「なんだと……どういうことだ?」
「さっきのスプレーの中身。あれにちょいと細工をしておいたのさ」
「スプレーの……中身?」ガーネットの言葉を聞いても答えが何なのか分からないジョンソンはただ戸惑うばかりであった。それはすぐ近くで話を聞いているユキも同じだった。
「あの霧は"ある三つの層"で作っていた。一層目は冷たい結晶。次にエーテルの塊。最後の層は空気だ」ガーネットはそう言いながらスプレーを極少量、ジョンソンの腕へと放射した。
「冷たッ……何をするんだ!?」
「さっき起こったことを実践してやるのさ。まずお前に降りかかったのは第一層、冷たい結晶だ。ここで温度が変わり、お前はエーテルを使えなくなった」
「でも、お前はその原理をあえて俺に教えた……」
「そう、そしてお前は低い温度下で使うような"圧力の高いエーテル"を使用した。それは第二層のエーテルの塊と交わって、最下層の空気を圧縮した」
ジョンソンは先ほどの戦いを再現するように、エーテルを制御した。この時点ではまだ違和感は見られなかった。
「俺はバカを演じた。さも、作戦は無駄だったかのようにお前に思わせた。最後の鍵は俺とお前のエーテルの打ち合いだった。二つのエーテルは対消滅するはずだったが、お前の拳にはまだエーテルが残っていた。何故だと思う?」
「俺の方が、エーテルの制御が上手かったから……か?」
「それもあるだろうけど、本質は違う。あの時俺のエーテルに押されお前の腕に降りかかった霧の最下層である空気は更に圧縮された。空気が圧縮されるってことは、あの一瞬はお前の腕は相当"熱かった"はずなんだ」
「そっか、温度が極端に変わるってことはあの打ち合いの後はジョンソン君がエーテルを制御出来るはずがないんだ。エーテルが残ってたのは、霧の第二層であるエーテルの残りだったんだね」とユキが手をぽん、と叩きながら言った。
「その通り。だから俺を殴る瞬間にはそれはもうただのパンチ。結構効いたが、何とか落ちるフリを演じることは出来たってことだ」
「あの時、俺は勝ちを確信してた。あの油断までも、お前の作戦のうちだった……ってことなのか……?」
「そういうことだ。あそこでお前が騙されてくれなきゃ、俺は負けてた」策がはまっただけで、実際はぎりぎりの勝負だった。とガーネットは語った。
「……完敗だ。まさかそこまで計算の内とはな。エーテルもまともに使えない奴が、策でここまでやれるのか」
ジョンソンは岸辺の芝生に寝そべり言った。別にガーネットを卑怯とは思っていなかった。勝つために策を用いることは当然だと思っていたからだった。
むしろあそこまで練られた作戦を、こうも見事に再現されてしまっては、何の反論もする気は起きなかった。
「これで一勝一敗だな。またいつかやろうぜ」ガーネットはニッとジョンソンに笑いかけて言った。
「……フン、次は俺が勝つ、どんな小細工も見破ってやるからな」
「へっ、次もまた策にはめてやるよ。じゃ、またなっ」
そう言ってガーネットはジョンソンと別れた。彼らは喧嘩から始まった仲であったが、この時の二人からはお互いを認め合っているような、そんな表情が見て取れた――。
***
「どうだった? 俺の作戦」
ガーネットとユキは、庭園のベンチに並んで座っていた。ガーネットは先ほどの決闘の話がしたくてうずうずしていた。
「凄かったよ。よくあんなの思いついたね」
ユキは純粋に驚いていた。まだ年端もゆかぬ少年が、あそこまで策を捻ることが出来るものなのかと思っていた。
「だろ? あれは完璧にはまってたなぁ。ユキ姉も俺が落ちたと思ったろ?」
見事に勝利を収めたガーネットは、まだ勝利の余韻である震えが止まらないほどだった。
「でも、あの時なんで"ガーネットさん"なんて呼んだんだ? ユキ姉の方がずっと年上なのに」とガーネットは何気なく言った。
「あ、ああ……あれ? なんかこう、癖なんだよね。知り合いにそういう名前の人がいたから……あははっ……」ユキは何かをごまかすように、乾いた笑いで言った。
ガーネットは特に気にすることも無く「ふーん、そうなんだ」と返すだけだった。
「そ、それはそうと君、本当にエーテル学に詳しいんだね。私びっくりしちゃった」
話題を変えたかったのか、ユキは唐突にそう言った。
「もちろんさ、俺には目標があるからな」とガーネットは得意げに言った。
ユキは「目標って?」と首を傾げた。
「時間移動さ」
ガーネットはぽつりと言った。
ユキはその言葉を聞いて、笑っていた顔から表情を変えた。
「エーテルにはまだまだ未知の使い方がある。俺はその中でも時間移動ってのが気になってるんだ。その勉強もちょっとずつ始めてる。ねえ、凄いだろう?」
ガーネットは誇らしげに言った。しかしユキはその言葉に対して返答することは出来なかった。
「……ユキ姉?」
ユキの様子がおかしいことを察したのか、ガーネットはユキの顔を覗き込む。その表情は深刻といっても刺し違えない程暗いものだった。
「……知ってるよ、時間移動のこと」ユキはぽつりと言った。
「どういうこと?」
「実は私ね、"異界人"なんだ」とユキは言った。
「え? そうなのっ!? ああ……どおりで見慣れない髪型をしてると思ったよ。なんて世界? なんて国から来たの?」
ガーネットは驚きはしたものの、それほどショックは受けなかった。心のどこかで、既に察しがついていたのかもしれなかった。
「世界の名前は無いよ。国の名前は"日本"。エーテルが無くて、科学で成り立ってる国だよ」
「エーテルが無いのに過ごせるって……その科学ってのはやっぱ凄いの?」
「うん。この世界とは、また違う進化をしてきたって感じかな。理屈は私もよく分かってない部分が多いけど、便利な世界だった」とユキは懐かしむように言った。
「もしかしてユキ姉……その科学っていうので、時間移動したことあるの?」
話の繋がりからして、そういうことなのだろうか。とガーネットは考えた。しかしそれはどうも違うらしく、ユキは首を横に振った。
「時間移動のこと勉強してるならピンと来るかもしれないけど……私の世界の人たちって、"エーテルが体に無い"みたいなんだよね」とユキは言った。
ガーネットは数秒こそ考えはしたものの、ユキの言っていることの"凄まじさ"を理解するとベンチから飛びのくくらい驚いた。
「ええ!? エーテルが無いってことは……その、つまり……。ああ、分かる。分かるよ言ってる意味が! 時間移動の研究で、今一番問題と言われてる部分が解決できちゃってるじゃないか!」
ガーネットの知る"一番の問題"とは、恐らくは現在時間移動を可能とするものは"エーテルが含まれないものに限る"というルールのことだろう。
ユキの言ったことは、この問題をどう解決していくかというよりも、問題そのものをなかったことにしていることと同義だった。
「私ね、今よりも何十年も未来から来たの。君の思っている方法で。でも私帰れなくなっちゃった」
ユキは笑いもせず、悲しみもしない、呆然とした表情で言った。
「か、帰れないって……なん、で……?」
「矛盾事象……って、聞いたことある?」
「いや……知らない」ガーネットは首を横に振って答えた。
「過去へ行ってね、あったことをなかったことにしたりすると……それに関係した人が消えたりするの。それが私。私が今からどれだけ未来へ行ったって、そこには"既に私がいる"。もうどこにも帰ることができないの」
「そんな……そんなのって……」
ガーネットは信じきることができないでいた。でも、だからといってユキを疑っているわけではなかった。
ただ、自分が目指している先。目標としているものが人を悲しい目に合わせているかと思うと、それを信じたくは無かった。
「でもね、だからって君に夢を諦めろなんて言わない。今思い返してみたらさ、要は使い方次第ってことなんだよね。使い方が悪ければ私のように帰れなくなってしまう。でも、上手く使えばきっと人を笑顔にできる研究だと思うよ」
「そうか……。じゃあ、俺が見つけるよ! その上手い使い方ってやつをさぁ!」
半ば自らに言い聞かせるようにガーネットは言った。そして彼は密かに思った。この人を元の場所へ帰してあげたい、と。
そしてもし自分が時間移動の研究に本格的に関わることになったら、決してこの人のような悲しい目には誰もあわせないようにしたい、と。
「……ふふ。それは頼もしいね」
ガーネットの意気込みが伝わったのか、ユキは軽い笑みを浮かべた。
その表情はふとすれば泣いてしまいそうにもみえたが、それはきっと嬉し泣きなのだと思う。




