外伝2(1).真剣勝負
アイリス・アンダーソンは町外れにある、とある森の中を歩いていた。
ろくに舗装もされていない道だった。視界も悪く、森は茂みで鬱蒼としていた。
しばらく歩くと、古ぼけた建物が見えてきた。
建物は一般の民家よりもとても大きな造りをしており、数十人は楽に納まるであろう集会場を思わせた。
アイリスは物怖じせず、その建物の扉を開けた。
建物の内部には家具のようなものは一切なく、ただ広い空間だった。
壁には剣、槍、盾、鎧、兜――戦闘に関する様々な武器防具が立てかけられていた。
そして部屋の奥には、狐を思わせる仮面を被り静かに座禅を組む人間の姿があった。
「アイリス・アンダーソン、ただいま戻りました」
アイリスの声が静かな建物内に反響した。その声を聞いた狐の仮面は静かに顔をあげた。
「……アイリスか、まだ"アンダーソン"などと名乗っているのか」
「ええ、私は今でもお師匠様の生徒ですから」
「もう私はお前の師匠などではない。教えることはもう何もない。去るのだ」そう言うと師匠、と呼ばれた狐の仮面は顔を下げた。
「いえ、まだ私はお師匠様から伝授されていない技があります」しかしアイリスは引き下がらなかった。
「下村式二針一刀流……その"奥義"を」そう言うとアイリスは腰に提げた二本のワイドニードルと、一本の滅びの剣を床に置いた。
「馬鹿を言うな、あれは決して奥義などではない。禁じ手なのだ。あの技は身体を滅ぼす。この私の身体も、もはや戦うことが出来ぬ」
「お師匠様、強くならなければならないのです。いつか最悪の事態が来たときに、身体を滅ぼしてでも敵を倒さなくてはならない時がきっと来ます」
アイリスの言葉に、しばらく静寂が続いた。やがて狐の仮面は立ち上がり、壁にかかった剣を取った。
「お師匠様?」
「剣を取れ、アイリス。お前の剣が、決意が、どれほどの物か確かめてやる」
狐の仮面はふらふらとしており、今にも倒れてしまいそうだった。とても戦える状態ではないことは明らかだった。
しかし、アイリスは戦わなければならないと思った。かつて剣を習った師匠と納得させる剣を、披露しなければならないと思った。
「……分かりました」
アイリスは滅びの剣を手に取ると、静かに構えた。
「アイリス、二針とエーテルも使え」
「しかし、それでは」不公平だ、とアイリスは言いかけた。何せ目の前の師匠は剣一本。それに対する自分も同じ武器で戦うべきだと思ったからだった。しかしその言葉は遮られた。
「良い、お前の全てが見たい。魔物と戦う時の、全力のお前が」
「……そうですが、ならば容赦はしません。本気でいきます」
アイリスはそう言うと、床に置いた二本のワイドニードルを鞘に収め、グローブにはめ込まれた魔水晶に意識を集中させた。
「(下村陽漸……かつては私の剣の師だった。でも、あの足腰では私の剣をまともに捌くこともできないはず――!)」
「来い」
「――行きます」
アイリスは魔水晶からエーテルを解放した。
強化魔法――その力を足に纏わせ、高速で狐の仮面――陽漸へと接近する。
真正面からの攻撃――しかしそれはフェイクだった。
アイリスは陽漸の目の前でワイドニードルを地面に突き刺し、その柄であるフック状の部分にもう一本のワイドニードルを引っ掛けた。
コンパスのようにアイリスは旋回し、陽漸の背後を取った。そのまま剣を振り下ろす。
「くっ……!」
しかし、陽漸はまったく後ろを振り返ることなく、剣の刀身でアイリスの斬撃を受け止めた。
そして狐の仮面は地面に突き刺さったワイドニードルを引き抜くと、それを思いっきり壁に叩きつけるようにして投げた。
それと連結したワイドニードルを持ったアイリスも同時に壁に吹き飛ばされるが、咄嗟に手を離したおかげで衝撃は薄く、身を回転させ壁に着地するように足を向け、衝撃を受け止めた。
「(なんて力……ッ! 戦えない身体とは、とても思えない……!)」アイリスは壁を蹴り、空を回り着地し一先ず体制を整えた。
「その程度か」陽漸が言った。一歩も動かないその姿からは、ただならぬ威圧感が感じられた。
「馬鹿言ってンじゃ――」アイリスは跳んだ。
「――ないわよッ!!」呆れるほどに直接的な斬撃だった。興奮のためか、相手が師であることを一時的に意識外とし、アイリスは激昂した。しかし陽漸は剣の刀身を傾け、最も衝撃を流しやすい角度でアイリスの剣を捌いた。剣は遙か空中へと舞った。
そして陽漸はアイリスを注意深く観察した。アイリスが考えなしに突進だけで終わるということは、ありえないと考えたからだった。
「(蹴りか、あるいは針か――)」
アイリスはすかさず腰のワイドニードルへと手をやった。
「(針か――!)」
瞬間、陽漸は次に来る攻撃がワイドニードルによるものだと察知し、空中に居るアイリスを軸に後ろへ回り込もうとした。
しかし、陽漸は目を疑った。
アイリスが腰に手をやったのは身体を捻るための動作だった。いや、"まるで本当に直前までワイドニードルでの攻撃だったのではないか"と思えるほどの気配すら感じさせていた。
恐らくこれもフェイク――そう判断した陽漸の首にはアイリスの両足が迫っていた。
避け切れない陽漸は、首をアイリスの両足に絡め取られ、そのまま地に伏せることになった。
事前に身体を捻っていたアイリスは片手で地面に着地、倒れこんだ陽漸の両腕を掴み、一時的に身動きを封じた。
「無駄なことを。私を固めたところで、どうしようというのだ?」
「今に分かるわ」
アイリスはにやりと笑みを浮かべた。
その視線の先には先ほど弾き飛ばされた剣がまさに陽漸へと落下しようとしていた。
「……剣の自由落下が狙いだとしたら、お前はまだ甘い」
「なんですって?」
陽漸の言葉にアイリスはいぶかしんだ。
剣の攻撃が分かっているならば、一体陽漸はどうやってこの状況を――?
アイリスは思考した。しかしそれはもう遅かった。
気づいたのだ、陽漸が"剣を持っていないことを"――。
そして、突如空中で金属同士が弾ける音がした。
そう、陽漸は倒れこむ寸前にアイリスの真の狙いに気づき、自らの剣を上に放り投げていたのだ。
二本の剣は、少し離れた位置に突き刺さる形となった。
「――せいっ!」
そして陽漸は呆気に取られるアイリスの隙を突き、絡められた両腕を無理やり引っぺがし、アイリスを二回転ほど振り回すと壁に向かって投げつけた。
「がっ……は……!?」
壁に叩きつけられ、アイリスは一瞬呼吸が出来なくなった。
衝撃で朦朧とする意識を何とか保ちながら、アイリスは立ち上がる。
「この……馬鹿力女めっ……!」
「それはお互い様だろう」
それぞれの剣は離れた位置に突き刺さっているため、二人は徒手空拳で向かい合った。
――いや、しかしアイリスは違った。
「……武器の使用を許可したこと、後悔しなさいよね」
アイリスは二本のワイドニードルを逆手に構えていた。
「それでいい。勝つためにはあるもの全てを使え。戦いにおいてもっともいらぬものは――捻くれた意地だ」
「余裕ぶっていられるのも――」
アイリスは魔水晶に意識を集中させた。足に更なるエーテルが纏わり付いた。
切り札の二重強化魔法を足に使用するつもりだった。さすがの陽漸と言えど、高速を上回るスピードならば、対処が出来ないと考えたからだ。
「今のうちよッ!!」
叫び声と共に、アイリスは地を蹴った。
そのスピードは先ほどよりも速く、離れた間合いを一気に詰め、アイリスは陽漸の後ろを捉えた――!




